詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

いまはまだ無題

2016年11月27日 | 
窓にもたれて座っている人は
鳥の声を聞くともなく聞き
流れる雲を見るともなく見ている
そうしてひとつひとつピンを差している

生まれただけで
ステンドグラスのように入ってきた色
底を濡らしている
手をかざせばその手を濡らす
底など忘れたように

いつのまにかすべての色の素である光が
消えてしまっても
手をかざしてさがす
差しておいたピンに
ちぎれた写真が残っていないかと
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青森旅行6

2016年11月23日 | 雑記
ようやく辿り着きました、素晴らしいブルーな思い出に。こんなにひっぱったのに、あらためて見直してみると葉っぱ葉っぱ葉っぱで、ぜんぜん伝わらない写真でした。ビジターセンターみたいなところに戻ったときに流れていたビデオを見ていると、とても美しく撮れていて、そっか、こんなふうなんだ、と思いました。こんなふうにたくさんの落ち葉がないときはもっとその色がわかるのだろうし、紅葉のときだったり、雪のときだったり、季節や天気によっても姿を変えて、その時々の美しさがあるのだろうとわかりました。それでも、とても感動しました。

行く前は特別思い入れがあったわけでもなく、ガイドブックで見てきれいそうだったから行ってみたいな、と思った程度で、まさかこんなにとは、と、なぜか声をひそめて興奮しまくりでした(きっとあたりが静かだったからですね)。本当に、深いインディゴブルーのインクを垂らしたような色。そして水の中に沈んでいるのが見える白い木(白く見えるだけかもしれない)。まるで水の向こうにもうひとつの宇宙がひろがっているみたい。感動すると自分の内側にそれと交信、共鳴?している部分があるような気がしませんか?その美しさ、というか深さ、というか神秘さに、驚いてしまいました。自然にこういう場所ができるなんて、そして自然にできたからには(江戸時代の大地震でできたらしいと書いているページをネットで見つけました)、いつかまたなくなってしまうのだろう、と思うと、はかなく、奇跡だ、と思います。

インターネットで探してみると、美しい写真がたくさんあって、私の写真など載せるのが恥ずかしいようですが、あんまりきれいなのを写真で見てしまうと、これから初めて青池に行く方にはよくないと思うのですよ、だからこれくらいがちょうどよいですよね(という、ものすごく強引な言い訳)。現代の私たちのように、あそこに素晴らしいものがある、なんて知らずに、ただ山菜を採りにかなにか、で森に入っていって偶然これを見つけた昔の人の感動はいかばかりか、と、こういうとき、よく想像して、私も勝手に興奮してしまいます(あ、また三瓶小豆原埋没林思い出した。今度きっと書きますね)。離れがたいような場所でした。

ビジターセンターに戻ってしばらく待機。コーヒーを飲んだり。ここから出るバスがその日の宿である不老不死温泉に連れて行ってくれます。

不老不死温泉に着いてみると空がすごいことになっていました。もちろんこの空を見ながらお風呂に入りました。残念ながら雲が多かったので太陽が海に沈むところ(ジュッ)は見えませんでしたが。写真でもよく見る海のすぐそばにあるお風呂には行かず、女性専用のお風呂へ。そこでも空と海を心ゆくまで眺めることができましたよ。外のお風呂に向かう(もしくは戻る)男性たちからも、ここのお風呂に入っている女性たちは心ゆくまで眺められることでしょう(遠いけど)。露天に出てくる一瞬は丸見え、でもすぐに首まで浸かっちゃいますけどね。それにさすがにあきらかにこちらを振り返っているような人はいませんでした。一瞬、女性の裸を見ることができて不老不死になれるのか、と納得しそうになりましたが、空と海がきれいでそんな気持ちにはなりそうになかったです(私はですけど。って私は女ですけどね)。

きっと『死ぬまでに行きたい!世界の絶景』に載っているような場所は、実際に行ってみるとすごく感動するのでしょうね。と、言いながら、私はアンチ『死ぬまでに行きたい!世界の絶景』派なので本は見ません。絶景は自分の目で見たいじゃないですか、写真で見ても意味ない。なんて。思ったりする。行かないくせに。でも、感動するぞ!と思って行って、ほんとに感動できるのかなぁ、とか、思ったりして。ではなぜガイドブックに載っている人気スポットへ行くのだ!それをブログに載せるのだ!という感じですよね。うーん、なぜでしょう?自分に甘く、人にきびしい的な何かなのかな?気軽に絶景を見に行く友達は、あの本が大好きと言っていました。見ているだけで癒されると。私の拒否感、さては嫉妬か。こんなことを書いていると、急に怖いもの見たさのような気持ちで本を開きたくなってくる(実はうちにある)。人の気持ちはけっこう毛だらけ矛盾だらけ。です。

車窓より


ここらかバス
















バスに乗って不老不死温泉に向かう。車窓。


近づいてきた。


部屋からも海が見える。
かもめも夕日をみているのかもめ(かもね)。


太陽が「フロウフシ〜」と言いながら沈んでいくように見える。
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ことばのタペストリー

2016年11月19日 | 
青い空に白い月
貴婦人の小さな頭のように高く
かすれて青さの透ける

貴婦人と一角獣
『マルテの手記』を読んでから
記憶喪失の見えない手が
本棚にLa Dame à la Licorne の画集を差し入れてから
いく年も経ち
住んでいる街もくるくる変わっていき

ある日
走っていく景色の中に
貴婦人を見つけた

緑の枝を押しやり訪ねた
紅茶と焼菓子
タペストリーに囲まれ
貴婦人と一角獣と花に囲まれて

ミルフルール
長い角を手なづける
くるみの痛み
長い衣に覆われて
受け継がれてきた

中庭であきらめ
塔の上で夢見た
めぐりあうことが
入れ子になって繰り返され
縦横に
無尽蔵に
ゴブラン

忘れられた古城
ブサック城で
忘れられて
長い歳月を花を散らしながら
くるくると
待っている舞っている
這いのぼる黴に追いつかれる前に
水面に顔を浮ばせようと
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青森旅行5

2016年11月16日 | 雑記
ちっともupのスピードがupしないのでした。気持ちはあるのですけどなかなか難しい。しかも青森旅行三日目は写真もたくさんありまして。同じような写真がたくさんありまして。選ぶところから時間がかかります。

さてさてでも、「ブルーな思い出続きます」と書いた時に頭にあったブルーはまさにこの日に見たものなのです。でも写真が多くて書きたかった、というか載せたかったブルーは青森旅行6になりそうな予感……。

三日目は、たくさん買い込んだお土産(荷物が多くてケンカになりそうになった)と一緒にパッキングして送ってくれる、というとても親切な、泊まったホテルのお土産屋さんのおじさんに、いらなくなった荷物を預けて身軽になって弘前を出発。リゾートしらかみには乗れなかったけど、同じ線路を走る電車に乗って海岸線を走ります。期待高まる!

良い席を取ろうと早めにホームに行って、入線してきた電車に早く早く。まずはどちら側に座れば海側か、から。「えーと、岩木山がこっち側に見えるということは……」と考え始めた私に夫は「そ、そこから⁉︎」やっぱり難しいので素直に駅員さんに尋ねました。尋ねて正解!フェイクだったのです。というか、途中で(五所川原だったかな。まだ内陸です)スイッチバック(だったと思う)して、電車の向きが逆になるのですって!よかった!いくら岩木山の位置から海側の席を割り出して座れたと得意になっていても、途中で反対向きになってしまって、またまた泣くところでした。

駅員さんから教えてもらってばっちり海側のボックス席に座ってあとは出発を待つばかり。こういう時間は最高ですね。いよいよ出発して、窓の外の景色を楽しんでいましたが、まだ海は近くないので途中から爆睡。でも海が見えてきて(少しして)からは、目を覚まして楽しい電車の旅でした。

途中、深浦というところで一時間と少し、待たなければいけないのですが、ちょうどお昼の時間なのでごはんを食べに行くことにしました。何もないところかと思っていたのですが、太宰治が宿泊した旅館を改装した「太宰の宿ふかうら文学館」があるとガイドブックに載っていましたし、降り立ってみると、駅の裏の方が山になっていてそちらへ登っていく雰囲気のある階段も気になり、行ってみたかったのですが、お昼を食べていると一時間は意外にあっという間でした。お昼はセイリングというお店に行きました。ガイドブックにも載っていたし、おしゃれなお店でお客さんもいっぱいでした。ここでゆっくりして、駅のほうへ帰ってきたとき、気が付きました。大きな岩が海の中にあって、そのてっぺんに人がいることに。よく見るとその岩まで道があるらしいことに。これから乗るはずの電車が出るまであと20分くらい。でもどうしても行ってみたくて、走りました。久しぶりに。しかも写真も撮りたいではないですか!こんなに必死になったのは久しぶり?

さすが青森。あちこちにあるリンゴ畑はとてもきれいでした。




このあたりから海沿いの道。








乗るはずだったリゾートしらかみ……こんにちは。




深浦です。これは駅ではなくて、お昼ごはんを食べに入ったセイリングさんの壁かも。ごはんの写真がなくてすみません。


透明度が高い。きれいな色。


あ、あれはなんだ?




岩までの道は載せられず残念。落ち着いて撮る時間もなかったので。途中で岩の中に入る。こんな楽しいところだったなんて。深浦さん、やりますね。途中下車ができてよかったです。


こうなってます。


美しい海。恥ずかしながら、日本海はもっと黒く暗いのかと思っていました。こんなにきれいなのですね。




巨岩の上から撮りました。


時間があれば岩までの道に座って裸足になって足を浸したかったです。




電車に乗れなかったら、今日の目的地にたどり着けないどころか、宿にも行けないですから、必死で走りました。なんとか間に合ったー。といっても、この電車は私たちが乗る電車ではなかったかも。とにかく、間に合いました。

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木枯らし

2016年11月12日 | 
風が吹いて
吹いて
一枚一枚
一度にたくさんだったとしても
一枚は一枚
空中に一瞬の
ダイイングメッセージを描きながら
アスファルトに落ちて
卒業アルバムの顔のように
あざやかにかすんで
重なるけれど

細い枝が絡みあっている木は
数えるほどの葉っぱを
かろうじてつなぎとめていて
擦れる石灰の味

水をたっぷりと含んでいることで
緑色だった葉の
あせた時間はコンクリートの壁に
やせた息を吹きかける
冷たい固さが引き立てる
乾いた黄赤(キセキ)

めくるめく枯れ葉は
しずかなためか
まるで作り物めく
幼いまなざしが夕日のように注がれている
枯れていることが幼年の夢想に
含まれていたと中年で知り
驚いてしまう幾度も
ぽってりとした木彫りのスプーン
過去は未来を未来は過去を
行ったり来たりして
いつも不在

ずっと遠くを見ている子ども
新しく驚いてばかりのおとな
一つの光景を前にして
離れるほどに共鳴していく
まるで作り物めいて
深まっていく季節
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