詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

待ちくたびれた朝

2016年01月31日 | 
闇の底へ向かって
集中に集中に集中を重ねていると
待ちくたびれた朝が
カーテンの間から手を伸ばし
そっと肩に触れ
おはようと言う
今日はこんな朝ですよと言う

ねぼけまなこでもいいですよ
卵とパンとコーヒーをとるといいですよ
寒いですけど出てきてくださいよ
今日はこんな朝ですよ

ドアを開ければ
風に顔から浸かってしまう
鍵を閉めながら
がちゃがちゃがちゃ
と何度も確かめながら
一度あきらめがやってくる

階段を降りるときには覚悟が決まる
寒さがわたしを磨く鏡に思えてくる
逃げればどこまでも逃げていくし
振り向いて立ちはだかれば
同じ強さで闘ってくる
もう始まっている朝は

着物の合わせのように
道から隔てられている
階段を降りきって表に出ても
まだ朝は露わにはなっていない

両側の巨大なマンションから
からくり時計のように人が出てくる
同じ時間同じ動きで
マンションが途切れた
さあどうですか
今日は、こんな朝ですよ

雲が光り
土手の上を
木々のシルエットを縫って走る自転車やバスが
美しい約束を抱えているように見える
土手の下の
前日の雪が残る真っ白な原っぱが
光を反射して
間の風景を挟み
遠くする
カレリア
という言葉が
口をついて出る
白い息と

偉大な作曲家が五線譜の前で
ペンを持ったまま思いに耽る
聴いているのかもしれない
その険しい額が輝く
かもめが飛んでいく

わたしは鏡
朝を映す
沈んでいく船にのって
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滲んでいく

2016年01月31日 | 雑記
ふとたいむましんについて考えてみた。

たいむましんと書いてあると一瞬なんのことだかわからなくないですか?
てんとうむしかかたつむりの仲間に見える。
「む」にひっぱられすぎか……。

手書きだったら最初からタイムマシンと書くのに。
パソコンの面白いところは、自分が思っていたそのとおりに文字が出てこないで、違うところを通ってしまうところですね。思わぬ新しい発見、というと大げさだけど、へー!と思ったり、笑っちゃうようなことがある。

以前働いていた会社で、「ほにゃららインスツルメンツ」と入力しようとキーをぱちぱち叩いていたのですが、途中でどの文字まで入力したのかわからなくなってしまって、気が付けば
「ほにゃらら いんすつるめんつるめんつ」になっていた!
うどんか!
これはもしやその後に香川県に引っ越しすることを暗示していたのだろうか……なんて。

たいむましんからだいぶ離れてしまいましたが。

ふと、なぜかタイムマシンについて考えみたのです。
考えた、というか思っただけだけど。

ふと、タイムマシンは絶対に!ありえないと思ったのです。
ドラえもんに出てくるような、バックトゥザフューチャーに出てくるようなタイムマシンは絶対にありえない、と思った。たぶん。(絶対と言いながら弱気)

相対性理論なんて難しい話はまったくわからないし、時間が歪むということが何を表しているのかもわからないけど。

タイムマシンが行けるところは未来でしかなく、その未来も、移動する時間がかかった分の未来でしかない、と思う。

タイムマシンが過去のいつかの時代に行けたり、未来のいつかの時代に行けたりするのは、想像の中だけの話(理論上の話?)で、実際にはありえない。なぜなら、過去はもう過ぎ去ってしまったことだし、未来は未だ来ていないことだから。そのまんまじゃん!

未来よりも過去のほうが考えやすいかも。過去はもう終わっていることなんですよね。だからどんなに時空を歪めようが、その先にあるのは、過去に行こうと思って行動を起してから、移動しました、着きました!という時間を経たさらに未来に進んでいるだけなのではないかと思うのです。

という、当り前過ぎて何も考えたことになっていないかもしれないことを、なんの勉強もしていない私が考えることにはなんの意味もないのかもしれないけど、ふと思ったのでした。

でも、世の中でものすごく先端を行くような人とか、めちゃくちゃ頭がいい人って、平凡な私からするととんでもなく恐ろしいことを考えたりしちゃったりするのですもの。ロボットに人間以上の知能を持たせようとか、遺伝子で死んでしまった人を再生するとか(安らかに死なせてください……いや、それはもう別人格か)、そういう発想が私にはまったくわからない。

行き着くところまで行かずにはいられないのでしょうね、人間て。それも生物的な本能なのかもしれないし。実際、がんがん突き進むパワーがあってのいまの暮らしで、その恩恵に私は浴しまくっていて、文句言うな、という感じではあるのですが。怠惰で文句だけ言って、一番罪深い種類の人間かもしれません……。

地球滅亡まであと3分
なんてカウントダウンしてどうするんだろう。とまりませんよ。みんな前に進みたいんだもん。
特に世の中を動かしている強~い人達は進みたくて仕方ないもん。
私みたいな平和がいいよ~、変化はやだよ~と現状維持を望みたがる人間はほんとはストッパーなのだけど、なにせそういう人間なもんで、世の中を変えるようなことはしないんです。日々の暮らしで満足しちゃうんです。

タイムマシンの話がなぜかものすごく大きな話になってしまった……。
学生時代は本気でいろんなことが怖くて怖くてたまらなかった。

こんな無責任なことを言って、必死で世の中を変えようとしている方にごめんなさいです。自分にできることを考えることはそれでもきっと大事ですよね。それがなにかは、わからないけど。

タイムマシンよりも、こういうもののほうがふと違う場所に行ける、と思ってしまう私は無力な人間。無力さに絶望もしないほど無力な。
世界に一瞬開くスリット。とイメージしてうっとり。


携帯でこんなにきれいな写真を撮れるように努力してきた企業の一戦士たちもすごい!名前は出なくてもそういう人たちはた~くさんいる。みんなみんなそうかもしれない。みんなが世の中を支えている、というイメージにうっとり。私も私も?!


写真を撮っているほんのわずかな時間でもどんどん滲んでいく。未来に進んでいる。




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月とマドンナ

2016年01月29日 | 雑記


そうだ、東京も好きだった。
四国に住んでから、私は地方が好きだーと思っていたけれど。
ゴタゴタした街も好きだった。

だからだから
ずーっと散歩していたんだった。
ずーっと自転車にも乗っていたんだった。
学生時代。
学校も行かなかったとき。
何時間も歩いたり、何時間も自転車を漕いだり。
HOKOマンションなんていうのも見つけて苦笑したっけ。
ヘルマン・ヘッセの『青春彷徨』が大好きだった。
本棚に差さっていた『郷愁』という本は少し読んでやめてしまっていた。
あるとき、手に取ってついに読んだ。
あれ?なんか似てる。
というか、これはもしや、『青春彷徨』?!

すでに絶版になっていた『青春彷徨』とは訳者が異なるだけだった。
『青春彷徨』に慣れていたから『郷愁』の訳が最初は嫌だったけど、こっちもいい!!とやっぱり大好きになった。
星型の泡が出るビール。
青春だった。ぜんぜん華やかじゃなかったどころか、どちらかというと内気な男の子みたいな青春だったけど。
そうか、だから私は女々しいのか。

ともかく、私は東京も好きだったのだ。
だから海外のとても美しい街並みを見ると
素敵~と思う一方、住んでいたら飽きるかも、とも思う。
たとえばどこの街よ?と言われると思い出せないけれど。
混沌にはいろんなものが隠れている気がする。
自分のまったく知らない世界があると思える。
だからずっとわくわくしていられる。

表参道のあたりは、最近また新しい建物が次々できているし、どれも、オレが一番!私を見てよ!と個性を競っているし、自分はまったく知らない華やかな世界があるのだろうなと思うと楽しい。
たぶんそれを現実に生きてしまったら大変だろうけれど想像するのは楽しい。
夢を見ているのが楽しい。
自然の景色を見るのもものすごく好きだけれど
建物を見るのもものすごく好きです。
なぜかしらん、わくわくするの。


「なぜかしらん」は耳で聞いたことがない。
だから読み方は勝手にこうだと思い込んでいる。
あるときまで、男の人でも、ちょっとかわいく女性のような柔らかさでもって、
「なぜかしらん♪」という感じで使っているのだとずっと思っていたけれど
「なぜか知らん」と書いてあるのを読んで
これはもしや実はかなり男っぽく、イメージ、腕を組んで
「(オレは)なぜか知らん」みたいな口調なのか?と思ってそのよくわからない感じがまた面白かった。のに。
いま、ネットで調べちゃった!
あーあ、調べちゃった。
宙ぶらりんなほうが面白かったのに。
自分の中でずっと「なぜかしらん♪」「なぜか知らん」が揺れているのが面白かったのに。
世界からまた謎がひとつ減ってしまった。
















夜に浮ぶ月とマドンナ。




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鹿の角

2016年01月24日 | 
近頃、鹿の角がよく目に入る
痛いでしょうって?
そりゃあ痛いです
白さが
灰色がかっているのに
雪とは違う
ごろり、ざらり
手ざわりが白い
白い白い
そう思うんです
そう思うのはなぜなのか
考えてみたんです
答えなんて首を傾げて
ちょっと思い巡らしてみれば簡単なんです
でもそうしないんです
脳の生地を斜めにひっぱる力があって
ちょっと考えればわかることを
考えないようにさせるんです
でもちょっと考えればわかるんです
なぜ白いかではなく
なぜ白いと思うのかがわかるんです
角が骨に似ているからだとわかるんです

私は何を鹿の角と見ていたのか
二、三、兄さん、兄さん
考えるとわからないんです
二、三、鹿の角を見つけたのは確かなんです
それがいつのまにか
二、三、死後
積み上がっているんです
角の枝が絡まって
持ち上げるとひとつながりで
長い蛇腹ができそうなほどなんです

鹿の角を見た
印象がころげていて
がらがらがらがら
音がします
木琴の端から端まで
ばちを流れ星みたいに滑らせたり
鍵盤の一本一本は
骨でできているかもしれないし

友だちに骨を拾わせるなんて
ひどい奴です
奴ののどの骨は
私の頭を叩いて
自分の話し声を演奏させました
グリッサンドみたいに
だらららら~んと

落差を忘れちゃいけない
落差を忘れないでくれ

そうか
慣れるということは
落差がなくなるということなんだ
平らにならすということなんだ
慣れなきゃ生きるのは支離滅裂
だけどならされてもならされても
あかず落差を作り続けるべきことって
確かに、ある

おい、おれのこと、
そんなに悲しまなくてもいいよ
だけどさ、その落差を忘れないでくれよ
おれがいたってこと
そしておれがいなくなったってこと
そのとき、何が見えた?
なあ、こういう話をさ、
もっとしたかったんだよ
なあ、切り立った崖が見えたんだろう?
それとも深い亀裂が見えたんだろう?
絶望でも虚無でもなく
自分の立っていると思っていた地面と
現実らしさの地面とが
ぜんぜん違う高さになっていることに
ただただあ然としたんだろう?
そのことを、どうかたまにでいいから
思い出してくれよな
人が死ぬって、
お前が死ぬって、
そういうことなんだって
忘れないでくれよな
流れ落ちるエネルギーを
感じていてほしいんだ

そしていま、思い出したんだろう?
世界の蓋が開き
地平の先に馬のひづめの形で
うっすらと青みがかってくる
夜明けのような突端に
小さな黒い影になって
同じような人々と立っていた夢
そこにおれもいたってこと
いまわかっただろう?
感じることができただろう?
そしてもはやそれはおれでもなく
他の誰でもあって
他の誰でもない
ということ
夜明けのように蓋が開いたのは
この夢を思い出した瞬間の
お前の気持ちのほう
だったのかもしれないね

そう鹿の角が
青空に枝ぶりを誇らしく立て
裸の冬の木が
言う




鹿の角でだしをとる
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カナシバリ星人

2016年01月23日 | 雑記
 東京暮らしの悲しさで、通勤には時間がかかり、一昨年の四月に東京に越してきてから朝は五時五十分に起きるようになりました。私にとって五時台に起きるなんてこれまではあり得ないことだった!そんなわけで、私は半年くらい無職だったので夫と一緒に起きるものの、朝ごはんの支度(といっても果物を切るくらい……)をして、夫を見送った後、こっそり二度寝をしていました。でも何時間も寝てしまったら一日がもったいないし、働いてないからって一人でのんびりしてちゃ悪い、と思って、七時とか七時半に目覚ましをかけて寝るわけです。
 これで起きるのがまたつらいんです。目覚ましをあとちょっと、あとちょっと、と三十分刻みで延長していったり……していると……。奴が、来る!
ビビビビビビ。ビビ。カ・ナ・シ・バ・リ・星人。
 
 この家に越してきてから最初にやってきたのは夫でした。いつものように夫を送り出し、再び布団に入って眠る。眠りながらも、早く起きなくちゃ起きなくちゃ。夢うつつに格闘していると……。布団のまわりや上をそっと人が歩く気配がする。その雰囲気で夫だとわかる。何か忘れ物で戻ってきたのかな。でもこんな時間に家にいたらとっくに遅刻だろうし、慌てていないなんておかしいし。夫に何かあったのだろうか、と思い始める。起き上がって確かめようとするけれど体が、動かない。無気味な気持ちになってくる。起きなくちゃ起きなくちゃ……。
 またある日のこと。やって来たのは両親。目が覚めると私は実家にいた。いや、夫と住んでいる今の自分の家にいるはずなのに、何か様子が違う。足元のほうのリビングとつながっているドアのところを見ている。すぐ横の本棚代わりのカラーボックスや、その上のCDラジカセも見える。いつも通りの部屋の様子だ。でも、まるで実家にいるかのように、部屋の向こうから足音や台所で水を出す音、父と母の話し声が聞える。私は昨日、実家には帰らなかったはずなのに、なぜ実家なんだろう?実家なのかな?いや、違う。すると今話している両親は?いないはずの母が起こしに来たら、どうしよう!必死に起きようとするけれど、体を、動かせない。
 それからしばらく経ち、やって来たのは、ついに、自分!部屋の中を誰かが歩いている気配がして、それがなぜだか自分なのだとわかるのです。あり得ないことです。あり得ないと思うからちょっと怖い。起き上がって確かめたいけれど、体が動かない。自分のときが一番無気味でした。一番、あり得ないから(なのかな?)。

 目が覚めている時に見ていたまったく同じ様子(暗さ、明るさ、光の具合まで)の部屋で寝ていて金縛りが起きるので、そのときは現実だと思っているのですが、実際は半睡の状態だということは自分でも後でパチッと完全に目が覚めるので、わかります。起きよう起きようとして起きられなかったのが夢の中だったとわかるのです。その時、私は目を開けているのかいないのか、夢ならば、私はきっと目をつむっているのでしょうけれど、どうなんでしょう?もしかしたら半分は起きていて、だから目も開けているのかも。そうだとしたら、それが一番ブキミだよ!!

 周りに人がいる気配がする、というのもなんだか奇妙です。カナシバリ星人たちはみんな、私を起さない配慮なのか(困ったことに)、そ~っと歩く。布団や畳の上をそっとそっと踏んでいる感触があるのです。これは幻覚みたいなものなのでしょうか。私の感想ではですね、これは、記憶の再生なのではないかと思うのです。こういうシチュエーションならこういう状況がいかにもありそうだ、ということを予測して、先行して再現する。それは動物的な本能なのかもしれないですよね、まわりに敵がいるかもしれない、だからもしかしたらこういう状況が起こるかもしれない、という予測をさっと立てる癖がついている、とか。それでカナシバってちゃ、意味ないじゃん!という感じではあるのですが。うーん。だからその危機感までが本能、ということなのかなぁ。それで私の場合は、起きなくちゃあ(“あ”は眠りながら闘っているところを再現)という焦り(=危機感)が半覚醒状態をつくり、幻覚(もどき)を起こすのだろうなぁと思うのです。そしてそんな状態になっても、寝続ける私って……。

 ところで先日、他の人よりも長めの正月休みをもらっていた私はまたまた星人を呼んでしまいました。夫は仕事だったので、一緒に起きて、見送ったあと、
「夫よ、すまない!!おやすみなさーい」
布団にもぐりこみ、すやすや。志は高く、七時半に目覚ましをかける。が、起きられるわけもなく……、久しぶりにきました!カナシバリ星人。
 布団のまわりをそっと歩く人の気配。私の場合はいつも親しい人のようです。優しい雰囲気が漂っています。途中でなんかおかしいな、起き上がらなきゃ、確かめなきゃ、と思う(確かめることで解決するらしいのだ)。それで、今回は誰だったかというと……残念ながら忘れちゃいました!たぶん自分みたいな感じ、だったような気がします。金縛りに遭いながらも起きられない私は引き続きうとうと。「起きなければぁ~せっかくのお休みがおわるー」ともがき続け、ともかく何かして目を覚まそうと思ったのか、枕元の携帯を手に取り、半分寝ながら「睡眠時間」と検索。「ロングスリーパーとショートスリーパーの性格の違い」という記事を見つけ「ロングスリーパーは芸術家タイプなどの人に多く、研究職や文章を書く仕事が向いているとされている」という文章をこれまた半分寝ながら読んで、
「よかっ・た……」
ガクッ。グォー。
携帯を手に持ったまま再び眠りに落ちていったのでした。

全然関係ないけれど、高松の頃に撮った写真。どこだったかな……。屋島かな。


半睡状態の街、なんて言ったら怒られるか。天気のことです天気の。




カナシバリ星人(写真はイメージです)


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