詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

伝え方をめぐって伝え方を考えずに書いてみる

2016年06月29日 | 雑記

たぶん最初から引っかかっていたのだと思います。立ち読みのときから。『伝え方が9割』。おもしろい!すごい!と思いながら、やっぱり納得いかない、というより、方法さえ知れば、ひとの心を動かす言葉を作ることができる、ということに対して抵抗感というか危機感を感じていたのだと思います。なぜ?私の領域が侵される、と思ったのでしょう。実際は、ちっとも侵されていないのですけどね。別にひとの心を動かす言葉、作ってないじゃん!と自ら激しく突っ込みたい。

実は(と、使うと効果がある、と書いてあった)以前、私はライタースクールなるものに通ってみたことがあります。結果的にお友達を作っただけだったのですけどね。それもすばらしい財産ですけどね。そこで大手広告代理店で働くコピーライターさんにコピーも教えてもらいました。最初からコピーライターさんを唸らせるコピーを連発していた本当に魅力的な言葉を作れたある生徒は、転職してコピーライターさんになっちゃいました。その方と私は同い年で、いまも親しくさせて頂いていて、実は明後日も会う約束をしています。うふふ。

そのお友達は本当にすごくて、授業のときに作ったコピーは何本か、いまでも私、言えます(もう十年くらい経つのに!)。本当はここに書きたいくらいですが、それはいけないことなのでしませんが、教えてあげたいくらい素敵で上手です。たった一行なのに、魔法みたい。そうですよね、言葉って使い方によって、魔法のじゅうたんみたいにふわっと浮かび上がって、読んだ人も一緒にそこに乗せてくれる。

あるとき、そんな彼女に、詩とか短歌とか作ったらすごく上手にできるんじゃない?と言ったら、勉強になるかもしれないけど、私はいまはその時間と余裕があったらその分仕事に力を使いたい、というようなことを言っていました(そうでなくてもとても忙しい仕事です)。仕事として言葉を作る、ということがきっと彼女にとっては大事なことのです。それは私からしたらすごいことです。とても立派なことです。仕事には責任が伴うし、仕事であるからには、社会へ貢献している。彼女はきっと、それがどんなに大変でも、自分の能力を発揮して社会への責任を果たしたいと思ってる、それが本当の充実だとわかってる。

一方、私は夢見る夢子で、文章に惹かれながらも夢ばかり見て、それを仕事にしようとはあまり真剣に考えなかった。同じところの仲間でフリーライターになった人もいるけれど、私は私が書きたいことを書くのでなければ嫌だ、と思ってしまう。だから仕事にするのは難しい、と思う。でもなぜ文章を書くのか、それはやっぱりその先に人を想定しているのでは?誰かに読んでもらいたいと思っているのでは?そうなら、ひとりよがりの文章じゃダメだよね、と思う(いつもそうなってしまうけど)。だからこそ、コピー的に言葉を捉え、考えること、とても大事だと思う。

あるとき、どういう話の流れだったか忘れてしまったけれど、夫に「コピーと詩は違うの?どちらも人を感動させようとしているんじゃないの?」と言われた。違うと思ったけど答えられなかった。良いコピーは特に、そのお友達の作る言葉のように、いかにも感動させようという心ミエミエでなく、何気ないある瞬間を上手に効果的に伝えて、ふわっとさせる。むしろ言葉がある瞬間を創造さえしてしまう。そんなふうに言葉を書けたらいいだろうなぁ、ぜひそんなふうに努力してみよう、と思う。

でも、やっぱりコピーと詩は違うと思う。
コピーはある目的があって、その狙いのために作られた言葉。人の心を動かすための言葉。でも詩は、人を感動させようとするよりもまず、自分が心動かされたものについて書く、ものなのではないでしょうか。そして、これはコピーも一緒なのかもしれないけれど、書いている自分自身もふわっとするような言葉を目指している(私はできてないけど……がっくり)。

なのに、それが「方法」によって、「コンピュータ」(これは別の話ですけど)によって、作れてしまうよ、ということが、一瞬、怖いっと思ってしまう。典型的な、変化嫌い!の保守的人間の捉え方なのですけれど。たぶん、何かしら信じてずっとそっと自分の中で守ってきた価値、それこそ方法が否定されてしまうことを恐れているだけなのでしょうね。そして、しがみついてきた価値だって、絶対的に正しいから大事だと感じるのではなくて、結局はいつかどこかでどのようにしてか、学んだ知識にすぎないのです、きっと。

ところで本の話(『伝え方が9割』)がないじゃないか、と思われますよね。最初は興奮したのですけどね、何せ大きな声では言えませんがほぼ二回目なもので……。冷静に読むと、創作の秘密はまだまだ、明かしてないっすね、と思うけれど、それは2を読めってことかもしれません。いやいやでもやっぱり初めて読んだときは、そっかー!そうなんだー!やられたー!と思った気がする。一度教えてもらったらもうこっちのもんだ、みたいな気持ちが私にあるのかもしれません。使えてないけど。こうやって、効果的な言葉を作る方法がある、ということをはっきりと自覚する、というのは、すごいことですよね。画期的ですよね。伝え方、考えたいと思います。私も。方法も大事だけど、そうやって意識する姿勢がさらに大事なのだろうな、と思いました。

方法によって効果的な言葉を作れるのならば、それで世の中を変えることだってできるかもしれないわけですしね。人を良い方向に変えたり幸せにしたりする言葉を作れるかもしれませんよね。国と国との関係だって、伝え方がうまくなればもっとスムーズになるでしょうしね。

ブログについて、詩についてもたくさん考えてしまいました。まだまだ途中ですけど。でもひとつ、わかったことは、自分が何を書きたいか、どう書きたいか、をある程度わかっていないとうまくいかないな、ということでした。コピーと詩の違い、詩とは何かについても、もっとよく考えたいです。それから、自分が何を書きたくて、それによって何をしたいのかについても。なんだか大げさな言葉になってしまって恥ずかしい……。

もっともっと書きたいことがあるような気もするのですが、長くなり過ぎたのでひとまずこの辺で。

伝え方が9割』佐々木圭一著 ダイヤモンド社

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反省だけなら私でもできる

2016年06月27日 | 雑記

まずは反省。
読みました。『伝え方が9割』。
探しました。政治家について書いてあったところ。

驚いたことに、探すのに少し時間がかかったほど、ちょこっとしか書いてありませんでした。記憶力の悪い私があんなに印象を強く持ち続けていたのに。いいかげんなこと、書いたらいけませんよ、ほんとに(→自分に言ってます)。

以下引用です。

私は政治について知見があるわけではありません。ですがコトバの専門家として、日本の政治に足りないのは、「政策」ではなく「感動」だと思っています。人は規則では動きません。人を動かすのは「感動」です。

『伝え方が9割』佐々木圭一著 ダイヤモンド社

という文章でした。
感覚的には、やっぱり、感動によって動かされていいかどうかはかなり冷静に判断しないといけないのでは、と思うのですが(そんなふうではそもそも感動できないか……)、話の流れでチラッと書かれていることを、急に思い出して取り上げて文句言うのも失礼な話ですよね……。

ただ、言い訳すると、よく言われている今の日本の社会の傾向にかなりビビっているので、つい過剰反応してしまうのかもしれません。でも感動ってけっこう怖いですよ、やっぱり(しつこい)。

それから、過剰反応した自分を改めて振り返ってみると、そこにまた別の問題、というと大げさだけれど、言葉をめぐって自分の中の葛藤があるらしいことに気が付くのでありました。

今夜は眠くなってしまったので、落ち着いてのごめんなさいのみ、取り急ぎ。葛藤の内容については、つづく……。

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買いました

2016年06月24日 | 雑記

そうは言っても、やっぱり買わずに文句を言うのは最低ですよね。と反省して、買ってきました『伝え方が9割』。2も出ていて、1はかなり立ち読みしちゃったから(ほんとスイマセン)、2を買いたくなったけど、1に文句言ってたわけだから1を買わないとね、と思って1を買いました。
(よろしければ「小さい勇気」をご覧ください)

ちゃんと?立ち読みした本屋さんで買いました。そこは家の近所の小さな本屋さんで、ひそかに応援しています(立ち読みしてるくせに。でも立ち読みは大事ですよ。立ち読みできなかったらたぶん買わなかった本、いっぱいあります!)店長さんらしき人ががんばっているのが伝わってくる。今日もディスプレイの小さいマスコットの角度を一生懸命直してました。

以前、「『現代詩手帖』は置いてないのですか?」と尋ねたら、「置いてないですね〜」と店員さんが言ってたのに、しばらくして店内をぶらぶらしていたら『現代詩手帖』がちゃんと置いてあった!まさか私が言った一回きりで仕入れることにしたわけではないと思うのですが……うれしかったけど、ちょっと責任を感じました。たまにしか買ってないから!谷内さんのブログを読んでいてたまに衝動買いするくらいで……。私ほんと悪いヤツみたいだ、こうして書いていると。

でもきっと他にも誰か「『現代詩手帖』置いてないですか?」と聞いた人がいるのですよきっとね。そう考えるとこの同じ町の中に詩を読んだり書いたりしている人がいるのだ、と思ってわくわくします。なんて能天気なことをまた書いてしまったりして。『現代詩手帖』もできるだけ、できれば、もしかしたら、がんばって、買うので許してください(でも私はなかなか捨てられない性格なので、毎月定期で本が増えるというのはプレッシャーなのです。まして詩はそんなにたくさん読めないし)。

小さい本屋さんの良さって、ありますよね。小さい面積だけに、本のセレクトに個性があって、それが「(自分的に)おっ」と思うような感じだと、お気に入りの寄り道場所になりますよね。

高松にいた頃にもそういうお店があって。そう大きくはないのになかなかマニアックな本が置いてある!しかも私の好きそうな本が……。理解できないけど買いたくなる本たちが……。哲学系とか心理学系とか。平置きしてあるんです。ユングの全集まであった!思わず買いそうになったけど、たぶん読めないだろうと思って我慢しました。買っとけばよかったかなぁ。本は積ん読がいいって誰かが言ってたし(そして家には積ん読がいっぱい)。

大きな書店だと分野毎のコーナーがはっきりわかれすぎていて、目的のところに直行してしまうので、いまならたぶん哲学系とか心理学系には行かない、だから面白そうな本を見つけることもない。でも小さな本屋さんだとすぐに一周できるからちょっとした時間つぶしにもいろんなコーナーをふらふらして実際に目にするまで興味があると思わなかったような本も見つけることができるのです。そうして、知識欲、というより、所有欲?それとも、名誉欲……?もしくは誇大妄想癖?
正体のよくわからない欲で本を買ってしまうのでありました。

話が逸れまくりですが、「一気に読んで一気に感想を書くぞー」と意気込んだものの、今日は結局まったく追いつかず(まだ40ページ。なぜなら今日は帰りにデパートでいとこの子どもにあげるプレゼントを探し、本を買って家に帰ってものすごく簡単な晩ご飯を食べ、洗濯物をたたみ、明日の朝のためにスープを作ろうと思って玉ねぎとにんじんとセロリを切ったところで、あ、そうだ、と思ってピアノを弾き、スープを作る続きをして、お風呂に入って、いまはこうしてブログを書いているものだから)。

とりあえず、買ってもいないで批判するなんて最低!という自分の気持ちと、もしかしてこのブログを読んでくださっている方の気持ちをなだめるために、本を買ったという報告のみ、取り急ぎ(と、よくメールで書いてあるのを読むけれど、この言葉必要なのかなぁといつもなんとなくおもしろい。夫にいま、「取り急ぎってメールで使う?」と尋ねたら「チョー使う。だってオレ、いつもチョー取り急いでるもん」だって。笑ってしまった)。

感想はまたゆっくり書きます。まだ40ページしか読んでないけどけっこう興奮してしまいました。あれこれ思って。悪い方にじゃないですよ。とてもおもしろい本だと思います。私もコトバ、磨けるかも、とテンションあがっちゃいました。影響受けやすいんです……。

『伝え方が9割』佐々木圭一 ダイヤモンド社

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小さい勇気

2016年06月22日 | 雑記

谷内修三さんという詩人の『詩はどこにあるか』というブログをいつも読んでいます。

今日、仕事の帰りにブログを開いてみると「詩を書くひとへ、詩を読むひとへ」といういつもと雰囲気の違うタイトルの記事がアップされていました。

なんだろう、と思ってドキドキしながら読んでみると、来る参議院議員選挙に向けて書かれたものでした。ごくたまに政治のことにもチラリと触れるけれど(それもことばの使い方、動かし方といった例で)、普段はほとんど書かないのに、こうして書いているのはかなりの危機感を持っているからなのだと思います。

影響を受けやすい私はすぐに伝染して、恐ろしくなってしまいました。本当に、そうだな、と思いました。

なんで選挙行かないの?なんでそんな政党選ぶの?と思って、結果的にそうなってしまった事態について、そういうふうに選んだ人たちが悪い、といくら言ったところで、その結果は自分も引き受けなくてはいけない。

選挙に行かないと親がうるさいから、投票には行くけど、白紙で出す、という人に激しく「なんで?!」とそのとき思ったけれど、口に出しては言わなかった。みんなで話しているときには政治と宗教の話はタブーと言われる。

でもそんなことを言っていられない状況もある。

そういうことを書く場所ではないけれど、書きたくなって、書き出した。

でも、ふと手をとめると、谷内さんと違って、私は自分の身元を何も明らかにしていないから(ある意味では恥ずかしいくらいに明かしてしまっているけれど)、何も書く権利はないんだ、という気がしてきて、しゅううーんと気持ちはしぼんだ。

自分がいろいろ甘えて生きていること、思い出した。そうですよ、私には何も言えませんよ。勉強不足だしね。のんきだしね。

でも政治家ですか?私も信用してないです。「政治とカネ」とかではなくて、私たちのような顔の見えない小さな個人のしあわせなんて、考えてないんだろうなぁ、という意味で。大きな力を持ちたい人間のほとんどは、普通の暮らしのしあわせなんて、わからないんだろうなぁ、という意味で。大きな論理で動いているのか知らないけど、その先に私の思うような明るさがまったく見えないから怖い!
ほんとに怖い。
一体どんな世界にしたいんだろう?
理解できない。
積極的に子どもを作る気になれるわけないじゃん!と思う。待機児童とかの問題よりも前に。

そういえば、しばらく前ですが、『伝え方が9割』という本を立ち読みしました。立ち読みでスミマセン。でもよかったら買います。私はその中のひとつに激しく異議を持ったので買いませんでした(という、言い訳)。政治家もスピーチが大事だ、というのです。感動的な伝え方が大事だと。それね、政治家に言うならわかる。でもその本を読むほとんどの人は政治家ではなくて、政治家を選ぶ人たちなんです。その人たちに伝え方が大事って言ってどうする!と言いたい。感動的なスピーチ、すばらしいですね、でもそういうのが上手な人、なんか知ってます。キング牧師もそうだし、ガンジーもそう?オバマさんもそうだろうし……
でもヒトラーもそうでしょ?

佐々木さんは政治家を信用しているのですねきっと。私は恐れているから、スピーチがうまいなんてあやしいと思ってしまう。スピーチライターがいるだろうし。悪い権力者がいて、それらを倒すために弱い者たちよ立ち上がろう!とか、良い方向に向かって世の中を動かそうとするときにみんなを説得する人がスピーチがうまい!というのはものすごく大事なことでしょうけど、悪い人(自分の都合のために世の中を動かそうとする人)がスピーチがうまいなんて恐ろしすぎるし、そうやって私たち、すでにたくさんだまされてますよ。たぶん。捉え方によっては、まるで良い政治家はスピーチがうまいみたいなこと、私たちに向かって書いちゃダメでしょ!と思った……のですけど、間違ってますか?

いつまでものんきなことをのんきに書いていられる世の中でありますようにと私は願っている。いつまでも平和ボケしていたい。だから苦手な(苦しくなるから)ニュースも見て、選挙へ、行こうね!

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見つけるサイクル

2016年06月20日 | 
朝、寝ぼけまなこが
トーストにバターをぬっている
するとパンにわたしがひきのばされて
ふだん巧妙に隠されている
へそのゴマのような汚れが見えてくる

昼、キーボードの上で
次の言葉を打ちあぐねている指が
宙に浮いたまま
おなかの子ヤギに応えようか
どうしようかと迷っている
すると隣の席でせんべいをかじる音が聞こえ
細かい気配りの人である田中さんの家の
抑制できないどくだみの
繁茂する庭が見えてくる

夜、一日でこんがらがるあたまが
ベランダで洗濯物を干している
ピンチの森を
ブラジャー、パンツ、くつ下、ハンドタオルが
ブラジャー、パンツ、くつ下、ハンドタオルと
雲梯しながら行き交って
建ち並ぶ家々の向こうの街道の車の響きや
すぐそばの路地を通る話し声が
そっと肩をたたくので
ピンチの間から遠い月が見えてくる
夜風が頬をなでる

布団に入り
眠れないなと思いながら
いつのまにか見ている夢は
起きているときには想像もできない
珍奇で美しいものの宝庫
キャラメルと琥珀を混ぜて
何回転もさせたドーナツ盤
その色艶はなぜか緋扇貝に比せられ
共に旅する懐かしい人々と
困った事態の対処に次々とりかかる

なぜかいつもぎりぎりになってしまう
時間との闘い
書類をファイルから出すとか
誰かに見えないように渡すとか
ある事柄を知らせなきゃいけないとか
手が動かないし
声が出ないし
誰かに引き止められてしまうし
簡単な動作がスムーズという言葉を忘れてしまう
なのになにかたっぷりと満たされている
いつでも大冒険
満ちている

朝、目覚めると
子どものように
感情の思い出を振り回して遊んでいた
とわかる
夢中で遊んだあとの抜けるような青空
のような心がぽこっとそこにある
夢の中のわたしは大事な役目を持っていて
カラフルで
ちょっとステキ
年甲斐もなく、だなんて
考えなくてもいいし

現実のわたしはそうではない
ゴムまりのような元気な衝動が見つからない
目覚ましをとめながら
貞子のように髪の毛がかぶさったまま
布団の上に起き上がり
ちょっとがっかりしているじぶんを見つける

じぶんなんて
なんだっていいのに
そう思い直す
一日のどこかで
すると辺りが急におもしろい

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