詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

晴れ予報

2015年06月30日 | 
天気予報では晴れると言っていた。
確かに、明るい。
昼間はいつだって光はある。
その中に、閉じられた日と
開かれた日があって
今日は開かれているほうだった。
けれど予報の晴れマークみたいに
太陽がまんまるい顔をのぞかせることもなく
白いもやがたちこめていた。
どこからが空なのか。
考えにふけっているような大気が注がれ
建ち並ぶビルディングをひたひたに浸している。
それでめいめいが勝手な方向を向いているビルディングも
一様に物思いにふけっているように見える。
しかし開かれた日である今日は
なにやら喜ばしい息が吹き込まれているらしく、沈むよりは
ふくらんでいるように見える。
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ノスタルジー

2015年06月30日 | 
ノスタルジーは電線を伝っていく
この広い空を
どこまでもどこまでも
車でも電車でも
追いつくことはできない
歩くなら少しは
近くまで行けるかもしれない
それでも
やっぱり追いつくことはできない
なぜなら
追いつけない、ということが
ノスタルジーの理由だから
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青い色について

2015年06月30日 | 
川の上に伸びた木の枝に
戯れる鳥の群れのように
まとわりついていた
青い空気が離れていった


トイレで
そうだ詩のテーマをひとつ
見つけたんだった
と思い出してうれしくなった
確か、青い色について
狭いところから風船を取り出すように
言葉でひっかかっていたものを手繰り寄せ
映像をひっぱり出した
青い花があって
その花びらを一枚
親指と人指し指でつまみちぎった
そして……
テーマを見つけたのは
夢の中だったと思い出して
がっかりした

川の上に伸びた木の枝に
戯れる鳥の群れのように
まとわりついていた青い空気が
名残り惜しそうに離れていった
離し難い手をそっと離していくように
あとには水色の川と空が残った

見つけたのが夢の中でも現実でも
変わらないことに気が付いて
不思議な気がした
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日記の謎(「みんなが次の言葉を」解説?)

2015年06月27日 | 雑記
日記を書くこと、それを読み返すことが好きです。
毎日書いていないどころか近頃は数週間書かないことさえあって、それで果たして日記をつけるのが好きと言えるのか?という気もしますが、たぶん何かしら文字を書いて記録しておくのが好きとは言えそうな気がします。書き方もかなりいいかげんではありますが。そのいいかげんな日記、読み返してみるのもなかなか楽しいのです。

記憶がおぼろになってきた頃に(すぐおぼろになってしまう)、前のページを繰ってみると、なにやら話が不思議な展開をしていたり、奇妙なことを書いていたりするのです。
ペンを動かしているときは、頭の中でなにかしらの考えを追って書いているのに、いつのまにかノートのページというレールに乗っていた文字が、どこかでフワッと浮かんで銀河鉄道のように宙を滑り始めるようなのです。
日数が経ち、どんなふうに変化しているかと少しわくわくしながらノートを開きます(そういえばそれを詩にしようと試みたこともありました……)。

しばしば唐突に終わっている文があります。丸までいかず、文の途中で終わってしまっていることさえあります。次の日の日付になり、大抵その最初に「昨日は途中で眠くなってしまった」と書いてある、ということがしばしばあって、自分で笑ってしまいます。これはなかなかの発見だと自分では思っているのですが、日記を書くということにはかなりの催眠効果があるようです。いろんなことを考え過ぎて眠れないときは、ぜひ日記を書いてみてください。早ければ3行目あたりで意識を失います。ジャスミンティーはカフェイン多めでまったく眠りを誘わないので要注意ですよ!(古いか)

突然ですが、ここで先日ブログに載せた「みんなが次の言葉を」の話になります。この文も、実は日記に書いたものでした。その日の1ページほどの分量の文章の最後に行替えがしてあって、唐突に「みんなが次の言葉を待っていた。いつのまにかノートを広げたまま眠っていた。」と書いているのを次の日に発見しました。

これだけではなんのことやら、なのですが、そのときはこれでちゃんと記録をしているつもりなのです。もちろん、まだ記憶は鮮明なので、何のことを書いているのか、いまもわかってはいるのですが、その実際の内容とこの文の取り合わせが我ながらとても奇妙なのでブログにアップしてみました。でもおもしろく思うのは自分だけなのかもしれない。他の人はこの文をどう受け取るのか、まずは夫に聞いてみることにしました。

パソコンに向かって、何やら真剣な顔をしている夫。
「ねぇねぇ、ちょっと聞いてくれる?たったの2行だから」
「え?2秒?
はい(2秒を心の中でカウント)。おわり?」
「違う違う、に・ぎょ・う。声に出して言うことを2行というのもおかしいけど。
この文、どう思う?どういう状況だと思う?」
上記の文を声に出して言う。
少し悩んでくれるかと期待しましたが、すぐに返答が返ってきてしまいました。
「授業中で、先生に指されたけど、居眠りしてた」
「えっ!」そんな答えが返ってきたことに私はびっくり!
「そうだよね、そう言われてみたらそうだよね!それしかないよね!自分ではぜんぜん気付かなかったよ。あはははは」

自分のことってわからないものです。
というか、自分の文か。

そして、正解はですね……
この日は昼間、職場でずっと大量に発送するための手紙を折っていました。お道具箱に三つ折りにした紙をぎっしり並べて、さらにそのお道具箱が幾つも机の上に並んでいました。

夜です。布団に寝転がって枕にあごを乗せて日記を書いていました(だらしなくてごめんなさい)。すると……。

威儀を正して隊列を組んだように、三つ折りにされた白い紙が道具箱にぎっしり詰まっていて、そんな道具箱がいくつも私を放射状に囲んで固唾を呑んでじっと待っているのです、私が発するはずの次の言葉を。でも次の言葉は出てこなかった。ここで目が覚めました。出てこないはずだわ、いつのまにかノートを広げたまま、眠っていたんだから。

次の言葉を待っている白い紙たち(=みんな)は、もちろん昼間の記憶なのですが、それらが現しているのは、ノートに文を書こうとして、次の言葉が出てくるのを待っている自分の意識なのです。そして、実際には文字がびっしり印刷されていた紙は、夢の中では、これから文字を書くべきノートをも暗示している(たぶん)ので、まっ白なのです。

そして目が覚めてそのことに気が付いた私は、恐らくまだ半分くらい寝ぼけながら上記の文をノートに書き留めたのでした。

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語れない横顔

2015年06月26日 | 
語れない横顔は赤のランプ
夜を吸っているビルの屋上
忘れられた片隅で
非常階段の脇で
無口に灯っている

感情は言葉を知らず
心をかすめていくだけ
名付けられないシーンは
落ち葉のように積もっていく
いつまでも掃き出されることなく

語りたがりの笑顔は
不気味な口を開けている
トランプのように
かちかちの言葉は重ねられて
あやしげな塔を造る

ブリッジはできたか
蔓を巻いて
割木の間から
ブルーを包んだ白く逆巻く流れを
ぐらぐらと眺めて
足元が遠ざかる
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