詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

方位磁針

2018年01月21日 | 
この街ならば北がどちらか
方位磁針のように感じている
海はどこへ行った
山はどこへ行った
折り重なるビルのカーテンに隠れても
針を細かくふるわせて
北を探している

青い標識に白字で書かれた隣町の名前
初めて目にするなら
いつか横を歩いているはずの未知の恋人の顔
そのくらいに抽象的
でもわたしならすでにその街に
いくつかピンを刺している
元気なときも元気でないときも行く
お気に入りのカフェ
祖父母の住む家があった一角
もう会わなくなった友だちとよく遊んだ公園

もちろん足を踏み入れたことがない場所も
おびただしい水の群れのようにある
もうなにも見ていないくらい繰り返し歩いた道も
気まぐれにたとえばあの石垣を曲がれば
ざぶんざぶん手足で分け入っていく
新しい角度で切り取られた夢の数々

わたしにしか測れないその先の距離
道はまっすぐでないこともある
ずっと歩き続けて
同じ道に戻っていることだって
いつも探している
北はどっちだ

靴ひもを結びなおして
気持ちをぐんと空まで伸ばして見回せば
周りに何がごちゃごちゃあったって
わたしの中のどこかで
磁石がふれる
わたしの感覚のどこかが
ふるえる方角はきっとわかるはず

マスクまわり

2018年01月17日 | 雑記
先日の「甘いマスク」という雑記を読んで、友達がメッセージを送ってくれた。

ミオちゃんがずっとマスクに興味を持っていることに興味がある、と。ありがとう!

自分では気付かなかったけれど、確かにマスクが気になっているのかもしれない。言われてみると、なぜマスクを気にしているのか、自分でも気になってきた。

最初は上記の通り、ずっとマスクをしている人にいらいらしてしまう、という感覚があった。あなたたちとは別なの。あなたたちとは一線を画したいの。という拒否を感じてしまうからなのだろうと思った。

その後、ちょっと風邪をひいてマスクをしてみると、それがなかなか心地良いと気が付いた。小さい子どもになったみたいにかわいくなっちゃって、鼻歌を歌いたくなっちゃって。
あぶないあぶない。これはやめられなくなる。

今月、なかなか治らない咳のため、丸二週間もマスクをしていた。誠に勝手ながら、自分がずっとマスクをつけている状態だと、人のマスクもまったく気にならないのであった。

なんとなく気合も入らずコンタクトを入れる気もせず、メガネ、マスク。顔はほとんど隠れている。すごく楽。

話が変わるけれど、先日、「世界まる見え」を見ていた。イギリスのヌーディストたちが、新しい若い仲間を増やそうと奮闘するVTRを見て、滝沢カレンさんが「洋服を着ている私たちが裸みたい」と言っていて、わかるようなわからないような、でもやっぱり、ちょっと違う気もしたコメントだった。
(でもカレンさん頭の回転速い!この「はやい」は速い?早い?コメントがおもしろくて感心してしまった!思い出し笑いしちゃう)

でも昨日、ふと、マスクのことを考えていて、同じようなことを思っている自分に気が付いた。カレンさんの言っていた意味とまた違う気もするけど、なんだかピピッと同じような気がした、その感覚に従って話を進める。

メガネ、マスクをしているのが楽な自分。バッチリメイクも少々苦手な自分。寝不足、とか、疲れた、とかで、すぐメガネにしてしまう自分。そうやって隠れているつもり、奥に引っ込んでいるつもり。でも、それって逆に裸だな、と、思ったのだ。

きれいにお化粧して、きれいな格好をして、ということに、自分を晒しているような恥ずかしさを感じたりする。いまはだいぶなくなったけれど、学生の頃は本当にひどくて、化粧がずっとできなかった。「自信ないです。」「私明るくないです。」を前面に出して、隠れているつもりだった。でも、逆だよね、と思った。

隠れたい自分、気後れしている自分を晒して平気でいる、そっちこそが裸だったんだ。人は心の裸を見せたくないから、お化粧してきれいにして、強くなって、パリッとする。たぶん。

自意識過剰なんだよなぁ。40にもなって。

だけど?だから?散歩が好き。










上記を書いて一晩経過。
一晩寝て起きたら、ぜんぜん違った。私、きれいにしたいと思っているわ。素敵になりたいと思っているわ。昨日は、メガネ、マスクに自家中毒気味になって、頭の中でフィクションが暴走していたみたい。

甘いマスク

2018年01月14日 | 雑記
私はインフルエンザになったことがない。だからインフルエンザの菌は体に入れたくない。だからインフルエンザの予防接種はしたくない。

と、強く思っていた。ところが昨年の12月頃、ふいに母が「ミオが昔、インフルエンザにかかったとき……」と話を始めた。

「え、私インフルエンザにかかったこと、あったんだっけ?小さい頃?」
「あのとき呼吸が荒くなってるからびっくりして夜間の病院に連れて行ったら、過呼吸になっていたのよね。薬の紙袋を口にあてて呼吸しなさいと言われて」
「あれ、それなら覚えてる。けっこう最近じゃない?」
えーとあれは確か二十歳前後?高校生の頃?だったっけ?
……う、に、二十年前。やっぱり昔だわ……。

そっかあ、インフルエンザかかってたのかぁ。
と思った途端、気持ちが弱くなってしまったのか。
1月4日、お昼頃、突然来た。おかん。ではなく悪寒。節々の痛み。これはまずい、と慌てて家に帰った。嵐のように突然襲ってきた体調不良。熱を計れば38℃。これはしんどい。まさかのインフルエンザか。

翌日の朝にはすっかり楽になり、熱も下がった。結局インフルエンザだったのかどうかよくわからなかったが、8日まで会社はお休みだったので、そこまで外出しなければ菌を撒き散らすこともないだろうとの判断。

ところが、熱が出た時にはほとんどなかった、くしゃみ鼻水咳の症状が出始めた。マスクをして会社に行く。なかなか咳が治らず、マスクを手離せない。
マスク……甘い。心地いい。

目以外がほとんど隠れているって、すごく楽。しかもメガネ。自分の表情を気にしなくていいって楽。そう思ってしまう私はいつもウソつきなのだろうか?作り笑いをたくさんしているのだろうか?

臆病だから、人の機嫌を伺ってしまうから、自分の表情を作っていることも多いのだと思う。そんなこと、本当はしない人のほうが信頼されるのに、一生懸命、自分的に良い表情を作っている(つもりな)のかもしれない。

マスクで顔のほとんどが隠れていると思うと、普段、人に気を遣うため※に使っているエネルギーの約80%くらいが不要になって、ものすごく省エネ。なんだかすごく仕事に集中できるし、なんだか強気になった気がする。黙々黙々。すごく仕事ができる人になった気分。

以前、「コージーコーナー」にも書いたのだけれど、恐るべし、マスク。これはやめられない。よく、「予防のために」と言ってマスクをずーっとつけている人を見るけれど、予防以上に依存症の人、約35%くらいはいると思う。

でも本当はマスクをしていない時でも、マスクをしている時に省略しているエネルギー約80%は、恐らくいらないんだよなぁ。しかも無駄なエネルギーを使わない分、ほんとに大事な気遣いのほうにエネルギーが回っている気がする。こっちのほうがぜったいにいい。

いいかげん、咳も治ってほしいけれど、そうしたらマスクを外すつもりだけど、マスクなしで(甘いマスク生活に慣れてしまったいまはマスクを外すことは、想像するだけで、まるで夢の中で、なぜか裸!みたいなシチュエーションくらい心許ない)、マスクしている時みたいにいつも堂々とできたらいいのになぁ。

※人に気を遣っていると思っているけど、ちょっと考えれば、それは人に気を遣っているのではなくて、自分に気を遣っているだけなんだと気が付く。

2013年の瀬戸内国際芸術祭ですが。粟島で撮った甘いマスク?

思い切り気持ちが出ている表情がかわいいです。

新年

2018年01月02日 | 雑記
あけましておめでとうございます。
今年の目標は決まりましたか?

私は、今年は、砂で作った城のようなバランスを
ぐっと掴んで、ぐっと崩して、
自分にとって、新しい言葉を探したい。
まだ茹であがっていないたまごのように、
明確な目標にまで固まってはいないけれど。

今回は高知県の室戸岬で年を越しました。
大きな窓から、色を変えて暗くなっていく
空と海をずっと見ていました。
魅入られていました。


初日の出。
水平線のあたりに厚い雲が出ていたので、
雲から、あけましておめでとう!と太陽が。


今朝、東京へ帰ってきました。
さらに上に宇宙もあるけれど、雲海は
子どもの頃からの天上のイメージそのまま。
こんなにちっぽけな人間なのに、いまの時代では
それを当たり前に見られる、ということが
なんだか不思議。