詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

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2014年11月29日 | 
時計のコチコチという音
キッチンの窓から入ってくる青い光に
私もこのノートもペンも染められて
草原がひろがっていく
漂っていた考えごとを
ひとつひとつの文字につないで
貼り付けて
確かめたくて
書いていた
この場所に

本の中のある文章が
脳を柔らかく押すと
開いた羊皮紙の上に踊る炎の影
紅はこべのような人々が行き交う
港に積まれた樽の後ろ
研究所か古い病院のような
のっぺりとした長い廊下
見慣れぬ景色がふいに
花火のようにひらく

同じように
この小さなノートの上で
貼り付けられた文字たちと
文字を書きながら
それらを巡りながら
洩れ出していく思いが
靄のようにからまりあったところに光
という因子が加わると
新しい景色が
風のように吹いてきてひるがえる
そしてまた
時計の音が聞こえてくる
コチコチコチコチ

揺らめくものの背後に
ずっと変らぬものの無言の意思があることを
伝えようとするかのように
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トラッシュ!

2014年11月25日 | 
分別してください

紙(燃やすもの)
プラスチック(燃やさないもの)
缶、びん、ペットボトル(再生するもの)


こちらは分別しないでください

心(燃やすもの)
心(燃えないもの)
心(再生するもの)

ごちゃごちゃでもいいので
ひとつにまとめておいてください
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それはひとつの物語

2014年11月23日 | 
いまは過去になって
未来になって完成する
そのとき、そのときのことは
ほんとうにはわからなくて
楽しく過していることも
悲しみに暮れていることも
追い越して
振り返られると
もっとずっと輝いてしまうのだ
悩んだことも

あのときの私はわかっていなかった
このいまがどんな意味を持つことになるのかを
そう思っているいまも
過去になって
未来がやってきて完成する

そうやって
いつも追いかけっこをしている
いまを、未来を先取りするほど感じようと焦り
でもその未来がいまになって
やっぱりまだ未完成だったのだと思う

二階から家族の立てる
優しい物音が聞える
庭の木立ちに囲まれた
静かなこの部屋
木漏れ日のドットが
カーテンの上で揺れている
このいまの意味も

それはひとつの物語のように
次のページがめくられることで
明らかになっていく
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コール

2014年11月19日 | 
実家に電話したけど留守だった
コール音が鳴り続け
返ってくるはずの父の声が聞えない
電話を切って
本の続きを読む

何かが引っ掛かっている
どこかの町のどこかの家に灯った明かり
探り当てようのない場所の記憶のように

文字を目で追いながら心は別の凹凸をなぞっている
このでっぱりは父が電話に出なかったこと?
でもそれはもっとずっと奥にある気掛かりを
黒ずんだレバーの中から引きずり出す
きっかけにすぎないという気がする
そしてそもそも私はそれを
いつもどこかに隠し持っていたのかもしれない
自覚せぬままそれを
いつも手探りしていたのかもしれない

何をしてもどこかうわの空で
捉えられないものの影を追いかけている
何度数えてもいくつだったのかこころもとなく
整理できない紙が散らばり
指は鍵盤から滑り落ちる
それほどまでに一貫として
私を引きとめるものは何?

掛けたはずのコール音は
こちらに向かって
鳴り続ける

朝まで
不吉な予感のように
木々を躍らせていた雨風がふいにやみ
光が伸びてきて
顎を持ち上げるようそっと促す
浸潤しているように
空が深いブルーになる
雲と同じ素材でできた月まで浮んでいる
白い絵の具で擦った絵筆の跡
尾の長い鳥が楽しげに枝から枝へ
かわりばんこに仮縫いしていく
マンション群が隠していた輪郭を
徐々に露わにしていく

こんなときにはふと
呼んでいたものの在り処が
見えるような気がする
ただ眩しさに手をかざして
太陽が見えないように
目を凝らしても
遠ざかっていく後ろ姿を
つかまえられない

というのは
本の重みでぬくもった部屋にいる私が
そう思いたいだけのことで
せっかちな父とのんびり屋の母の間で
行ったり来たりしていた上目遣いの子どもが
炭のようにずっと
燃え残っているだけなのかもしれない
それとも・・・

しばらく時間が経ってから
再び電話をかけてみた
コール音のあとすぐに
いつもと同じ元気な声が聞えてきた
そばにあったのに気付かなかった
薄く開いた深く黒い裂け目に
紙切れが落ちていく気配があった
メモは読み取れなかった
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時が過ぎていくこと

2014年11月16日 | 雑記
仕事を始めて数日。
みなさん良い方ばかりなのですが、家にいるときよりもかえって
前の会社(@高松)が無性に恋しくなってしまいました。
ついでに高松暮らしも懐かしくてたまらなくなり、
高松にいた頃のことを思い出してはシクシク。
自分でもなさけないなぁと思うのですが、
どうも私は過去を振り返りたがる傾向があるようです。
(というか非常に女々しい性格・・・女ですけど)
おとといも帰りの電車の中で感傷に浸ってしまい、
前の会社の東京に異動になった人にばったり出会わないかなぁ
などと思っていたら、突然、隣の青年に
「この電車、○○駅に行きますか?」と聞かれ
いろんな方面に行く電車が走るこの路線がいまだによくわかっていない私は
全くお役に立てなかったのですが
さみしい気持ちをわかってくれたのかしら?
と一人でうれしくなってしまいました。
我ながら呆れるほど都合のいい解釈です。

高松を去る数日前、花まるうどんで夕暮れの空を見ながら思いました。
(せっかく高松にいるのに花まるうどん・・・)
ここの暮らしも、去るからこそより素晴らしい生活だったと思えるのだろうなぁと。
ずっと住みたいと思うほど大好きな街でしたが、
両親や兄弟、昔からの友達もいる東京にいずれ帰りたいという気持ちも
やっぱりありました。
だからきっと、「ここの生活がおわるんだ」と思うからこそ
よりいっそうこの5年間の思い出が輝いて見えるのだろうなぁと。

そして唐突に、やっぱり人も死ぬからいいんだろうなぁ、と思いました。
私はもともと、死ぬというのはある意味では救いだと思うほうだったのですが
家族や友達や、それ以外でも人の死はやっぱり悲しいし、
反射的には避けたいと思ってしまいます。
すぐに心配してしまいます。
でももし、永遠に生きてしまうのだとしたら、
心底うんざりして、きっと生きる気力もなくなる!
いつかこれがおわると思うからこそ宝石のように輝くのだなぁと
非常に月並みなことなのですが、妙にこのとき腑に落ちました。

だから、親しい人のことを
心配しすぎてはいけないのだろうなぁと思いました。
思い切り生きさせてあげなきゃと。
自分もですけど。

ところで、夫に
「そういえば私、ついこないだまで
前の会社は大変だから嫌だって言ってたよね?」と言うと、
「言ってた言ってた。昨日まで言ってた」と言われてしまいました。
「えー昨日はすでにメソメソしてたよ」と言うと
「じゃあおととい」
「ううんおとといも懐かしがってた」
「じゃあその前の日。
そういうのって、また同じ環境になったらやっぱり嫌だってなるんだよ」
と言われて、ほんとにそうだなーと思いました。

仕事は充実感があったし、たくさん仲間がいて幸せだったのですが、
他にしたいこともあって(詩を、書くとか・・・)
時間と心の余裕がほしかったのです。
でもその大変さも、「もう戻らない」というオブラートにくるまれると
とにかく楽しかったー!と感じられるのですよね。
そこの人たちのこと大好きでしたし。
それもオブラートのせいかもしれませんけど。

こういう感じ方は
前の会社の人にも、いまの職場の人にも
なんとなく失礼な感じがして、やめなきゃいけないな、
と思うのですが、やっぱりグズグズしてしまう。

ですがうれしいことに、
実は今日は前の会社のお友達に会う約束があり
約半年ぶりの再会をして、ランチを一緒に食べてきました。

会社帰りにスタバに寄ったり
自転車で一緒に帰って途中でごはんを食べたり
一緒に海岸の清掃をしたりしたお友達。
素敵な思い出。
彼女はこれから高松に帰ります。

こういう切なさはでも、なんだか生きている、という感じがしますね。
いまこの瞬間も、振り返ればきっと輝いている。

高松風景









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