詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

架空線

2024年01月28日 | 
冬の日
太陽の重みで光の帯が空に上がり

路地は淡い色に沈み始めている

曲がるにつれて

折れるにつれて

壁が金色に塗られたり

梅が咲いたりなどする


文学者二人の対談を聞いていた

寒さに負けていたのか

温かい室内では溶け出した泥のように

わたしはうつらうつらした

書物、形、言葉、心、詩、といった言葉が

うわずみでぐるぐるしていた


外に出ると

雲ひとつない青空に知らされる

冷たい空気と

それを留めさせない風と

縮こまる体にも

よくみると芯に温かさがあって

わたしはろうそく


文学者二人の話を聞きながら

その背景に

ろうそくのような

ペンキのような

粘土のような

でたらめなしみを見た

それがわたしだと思った

いろんな時にいろんな場所に

ベシャッと投げつけられるひろがり


わたしの人生

と光の届かない道で思うと

不思議な気がする

他の誰にとっても

わたしの「わたしの人生」は他愛無い

見えもしない

誰にも見えないわたしの夢

それが暮れ方に向かう

夢というのはどこを見ているのだろう

わたしは生き物なのだろうか

***

2024.1.27

堀江敏幸(作家)・澤直哉(ロシア文学者)

『架空線』刊行記念 トークイベント

「書くことのかたちー文学と書物を再考する」

を聴講して

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感じる

2024年01月12日 | 雑記

以前、「考える」について書いた。

 

考える - 詩と写真 *ミオ*

少し前、『考える』について、考えていた。『考える』についての考えは、少しずつ発展していったのだけれど、「もっとよく考えて整理したい」と思いながら、別のことに関心...

goo blog

 

その中で、「『考える』は分解していくと、たくさんの小さな『感じる』があるだけなのではないか」と書いた。

 

ところで、先日、布団の中で夢うつつに、「『感じる』はどこから来るのだろう」と思った。

 

みんな、それぞれ自分の感覚が正しいと思うのは仕方がない気がした。みんな、それぞれ感じているのだもの。自分自身でそれを否定することはとても難しい。

 

表面的には、「私は間違っている」と思うこともできるかもしれない。でももっと身体感覚のような、自分では「感じている」とも思っていないような部分で、人は「感じて」しまっているのではないかと思う。フラットになどなれない。

 

そしてそれは種としての生存戦略でもあるのかもしれない。それぞれが違うことを感じるからこそ、誰かしらは生き延びる。

 

つまり、言いたかったことは、自分で考えているつもりでも、そのもっともっと皮膚に近いところで、感じてしまっていることを透明にはできないし、自分がどう感じてしまっているかに気づくことさえ、なかなか難しいのだろうなぁということ。

 

ただ、だからといって、感じるがままでいいわけでもなく、自分がどう感じているか、もしくは、実は何かしらを感じてしまっているということ、に、ときどき意識を向けてみることが必要なのだろうと思う。そして、他の人も、自分なりに、切実に、何かを感じてしまっているのだということも、理解することが大事なのだと思う。

 

「考える」の中には、「別の可能性もあるかもしれない」と思ってみる、という役割もあるのかもしれない。「感じる」からすれば、少し強引に、「感じる」のもっと先の、想像力から逆算した可能性を自分に取り入れることによって、「考え方」が少し変わり、私の「感じる」も、少しずつ変わり得るのかもしれない。

 ※とはいえ、「この別の可能性を考える」を無闇に発動させすぎると、無秩序になり、「考える」がまともにできなくなるので、自分の「感じる」を盲信しないため程度に抑えておくべきかもしれない。やはり、なんだかんだ「考える」にはいろんなテクニックが必要な気がする。

 



 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みかん

2024年01月11日 | 

部屋を流れる朝の光の川

その中洲にたたずんで

みかんの皮をむく

皮にくっついた薄皮がむけ果肉があらわれる

まだむかれていないほうの丸い皮の外側に

橙色を消さない透明なしずくがひと粒


こんなつるりとした肌の内側に

こんな涙をためていたなんてとあらわれる明かり

その汁を味わいたいと手にとったみかん

偶然の重なる傾きではじめて見えること

そのときわたしは時間と光のプールを泳いでいた

目はいつも開いている

ただまぶたが

すべてを見ないですむために蓋をしているだけ

ひとみの丸みにやさしく沿うように


涙で覆われている地球

その丸みにやさしく沿って

こぼれ落ちずずっと湛えてられているしずく

いつもうるおっている

無数の情報のプールに浸る

そのうるおい

閉じられることのないまぶた

代わりに夜がゆっくりひと回りする


外側にしかいられないわたしたち

いっしょにいたくて

こぼれるときもその丸みに沿って流れる

瞬きはやさしく

小鳥のまつげのように繊細に

ときどき感じてほしくて

あなたの手の甲にまつげを沿わせる

主に夜

新しい感覚が眠り

親しい感覚がそっと目覚めるじかん

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あけましておめでとうございます

2024年01月07日 | 雑記

今年は一年の幕開けが、大変なことになってしまいましたね。前日には楽しい気持ちで紅白を見ていたのに。


普通の暮らしは当たり前じゃないということ、あらためて感じさせられました。そして大災害に限らない、いろんなことが起こり得る世界。それを忘れず、毎日に、そして一緒にいられる人、新たに出会う人、物事に感謝して生活しよう、と思いました。
 
被災された方々には、元どおり、というわけにはいかないでしょうけれど、穏やかな暮らしが早く戻ってきますように。
 
***
年末もなんとなく通り過ぎてしまったほどに、ブログ、すっかりご無沙汰しておりました。転職活動、2月の発表会に向けたピアノの練習、読書、など、深刻なのか、のんきなのか、わからないような毎日です。
(詩も少しずつ書いています)
 
いずれについても、はっと自分を知らされる瞬間があり、急に焦ってみたり。年齢だけは重ねて、中身は未熟で恥ずかしい限りです。
 
自分のことばかりでなく、まわりを見て、大切に過ごす一年にしたいと思います。
 
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
写真は昨年のものから
 
鹿児島県 開聞岳
 
 
 
江の島大橋

上高地

 
 
 
大巻伸嗣『Liminal Air Space-Time 真空のゆらぎ』展  国立新美術館

大巻伸嗣『Liminal Air Space-Time 真空のゆらぎ』展  国立新美術館
 



 
 
 
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする