詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

月の音

2017年12月31日 | 
何色というのだろう
淡い色の移りゆく様
一枚の大きな窓越しに見ている
空の色海の色
つぶやきのような雲が
ひとつふたつみっつ並んで
黒い星のようなカラスが
ひとつふたつ駆けていく

わたしのいるこちら側には空調の音しかない
けれど向こう側では
違う音が満ちていることを知っている
枯れ草が揺れている
切れ目のない無数のきらめきが
まっすぐな線の向こう側からやってきて
岩場に崩れ
なおも浜辺へ押し寄せ果てる

光を残していた空の色も
海へ移ってやがて消え
遠慮がちだったかすれ跡のような月が際立ってくる
色の消えた海に
うっすらと光の道があらわれる
それをどのように見ているのか
わたしは一体なにを見ているのか

しばし目を離し
ふたたび窓に目を戻すと
そこはもう一面の闇
それでもなおじっと見つめていると
わたしの動物が働き始め
瞳孔が開いていくらしい

なんの音もしないのに
過ぎ去った時間の中の話し声のように
銀糸で縫い込まれた感情のさざなみが
海の上で絶え間なく
ささやいているのが見えてくる
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いまいるところ

2017年12月28日 | 雑記
いまいるところ。
そらがひろいところ。
すまいるでるところ。
すこしすんでいたところ。

いっしょうのあいだ
にじのように
いろいろのところをすみかとしますが
すんだことにもきづかずにとおりすぎ
わすれてしまうこともあります。

うわのそらでいることがおおいからでしょうか。
そらがひろいならなおさら。









こたえ:とくしまえきまえ
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勝手に運命を信じる力

2017年12月24日 | 雑記
勉強しようと思うのだけれど、さてなんの勉強をしよう、と思って本棚の前に行くと、昔よく読んだ本が目に入って思わず手に取る。気が付くとかたつむりのようなかっこうでぬくぬく読み耽っている。わたしの温度に親しいことばに浸っている。

本にも相性があるようで、好きな本は何度も読んで、何度もぬくぬくする。水が砂や土を削って自分の通り道をつくるように、何度も通るほどに、本の中のことばたちもほぐれて、ますますわたしの通りやすい道を作る。

40歳になっても、これといって特別なことはなにもできずにきてしまったのだけれど、定年までまだあと25年ある、と思うと、それまでになにかのプロフェッショナルになることもできるかもしれない、などと思って、それに定年後も働けるようななにかを身に付けたい、とも思って、どうしようかな、と近頃考える。

でも夢見がちな性格のためかわたしの考えることは夢想にしかならなくて、具体的な形を取ってはくれない。ふと思うのは、これをするぞ、と決意するようなものはなかなか続かないのかもなぁ、ということ。決心しようとするとあれこれ考えてしまうし、自分から離れたものを選んでしまいそう。なんとなくそっちに寄っていってしまう、ようなものがいいのかもしれないなぁ。

本を読むのは、たぶん好き。特に味わいがあるものが好き。そういえば、プルーストの『失われた時をもとめて3』を題材にした講義があることを知った。参加できる資格があるのかわからないけれど、勝手に運命を感じている。「古川一義さん翻訳の文庫で、3巻の『花咲く乙女たちのかげに1』を読んで持ってこい」と書いてある。わたしはまさにこの本の3巻まで持っていて、2巻までしか読んでいない。3巻を読むチャンスだし、そんな講義ぜひ聞いてみたい。

こういうチャンスは自分の興味が蔦のように絡まっていて、ぜひとも参加したい、と思う。そんなふうに、仕事も、自分の軽い興味が、蔦のように絡まっていくような、そんななにかだったら、しあわせだろうなぁ。

なんて。40歳で言うべきことではないかしら……。わたしの精神的歩みは亀さん並みなのです。

帝国ホテルでフランク・ロイド・ライトの記念展示をやっているというので、見に行ってきた。というか、それを出しに夫と二人、クリスマスの街に出掛けた。フランク・ロイド・ライトも徐々に薄れながらも、時々、間歇泉的に盛り上がる、勝手な縁を感じてしまう人。

まるで子どもの頃に実際に行った場所のように記憶に残っている建物があって、あるとき、それがフランク・ロイド・ライトの落水荘という建物だということを知った。それで、その記憶が、実際に行った記憶なのではなく、眺めていた子ども用の百科事典に載っていた写真の記憶らしいということに気が付いた。

大人になってからも、学生時代なぜかよくふらふらしていた池袋ー目白間にある自由学園明日館も好きだし、なんと、実は両親の知り合いに遠藤楽さんがいたのだ!遠藤楽さんとは、フランク・ロイド・ライトの弟子、遠藤新の息子で、自身もライトの弟子であり建築家の方。その方から、両親はライトの本をいただいていて、わたしはもちろん読んだ。タイトルは忘れてしまって、実家にあるのでいまは確認できないのだけれど。

ネットで出てこないかと検索してライトの設計した建物の写真を見ていると、わたしやっぱり前世かなにかで見たのかな、と思ってしまう。本で見た、というより、実際に見たような気がしてしまう。決してシンプルではないのに、なぜライトの建物はこんなに良いのかしら。いつだったか蔦屋で写真集があって、買おうかどうか迷った。やっぱり欲しいなぁ。オールカラーの写真集の割にはそんなに高くなかった気がするし。

帝国ホテルにて。いかにもライト的な柱。


父は先日、明日館の講堂でピアノの発表会。しかし肺が悪くなってしまい、もうピアノを弾くだけで息切れがすると言い、しばらくピアノはお休みすることに。わたしはまるで息子を見守るような気持ちで父の演奏を見ていた。

この建物はホールと教室の建物。道を挟んだ反対側、こちら側にあるのが、写ってはいませんが講堂。中を歩くだけでも楽しい。父を心配してちょこまかしながら、パシャパシャ、無駄に探検、をする。

もう何年も前に明日館の売店で購入したライト的な写真立て。中の写真は徳島に住んでいた頃、近所の空き地がこんなことになっていて思わずパシャリ、した写真。


明日館は桜の頃に行くのもいい。天気がいいとテーブルを出して、外でお茶とクッキーをいただける。

ふと、わたしに足りなかったのは、勝手な縁を信じる力だったのかしら、と、これまた能天気なことを思う。
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来年

2017年12月23日 | 
換気扇の油を落としているあいだ
ひとつところにとどまらない
鱗のようにひっかかる汚れが
するするとほどけていくまで
ゴシゴシゴシゴシ

明日はジャケットを着ていかなくちゃ
ブーツを直しに出さなくちゃ
あの人にプレゼントを買わなくちゃ
新札を用意しておかなくちゃ
年賀状どんどん書いていかなくちゃ

今日は今日はとても明るい
光が部屋のこんなに奥まで入って
あ、模様ができている
窓の掃除をしなくっちゃ

いろんな思いつきが羽を持っている
換気扇の羽を磨くため
うつむいたわたしの頭上を
元気よく飛び回っている

もうすぐクリスマスだよ
もうすぐ年末だよ
なんとなく心踊るこの季節に
影を落とす心配ごとも
するするほどけていくまで拭って拭って
わたしは飛びたい
飛び立ちたい

来年へ
カーテンを開けてまぶしいみたいに
心の方向を見失わず
希望が赤々と燃え続けるように
だれかの顔にもその熱が届くくらいに
できますように
できますように


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水の感覚

2017年12月19日 | 
新しい無垢に剥けてしまう朝の
目覚めの音楽に色のつかない
水のような音を選ぶ

それでも夢や前日の気がかりが
閉まりきらない水門を抜け
日の重なりに連れ
視線を逃れ
音に水垢のようにこびりついていく

ベッドの端に腰掛け
朝か夕か判別できない窓からの薄い光
無意味が美しい物語になっている
シーツの皺を目でたどり
一瞬後には忘れてしまうような
物思いに沈んでいると
かすかな目覚ましの音が聞こえる気がする

透明だった時間に水垢がこびりつく
耳を澄ましてみる
見えるものすべてに薄いヴェールが
かかっているかのように
鳴っているのかどうかわからない
シーツの感触
判別できるのはただ
目覚ましはかけていない
すぐにも宙に浮いてしまいそうな
不確かな記憶があるから
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