詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

ピアノレッスンへ行く

2015年05月29日 | 雑記

定時に仕事がおわって建物を出ると外はまだ明るい。さわやかな風も吹いている。ピアノレッスンまでまだだいぶ時間があるし。どこかのお店に入って詩を書いてみたり、本を読もうかと思っていたけど、このまま屋内に閉じこもるのはもったいないな。あ、そうだ、ここから先生のところまで(徒歩40〜50分!)歩いていこう!スニーカーを履いてきてよかった。そうして浮き浮きと歩き始めるのでした。用事と用事の間の渡り廊下のような、こういうちょっとした隙間時間には何か特別な輝きがあってわくわくします。

今朝はすごい雷だったのに、いまはすっかり平和な空。のんびりした雲だなぁ。
布団に横になって昼寝している私みたい。
街の中の形の重なりや、光や影、雰囲気がいろんなイメージを呼び起こします。でもそのイメージの正体や正しさみたいなことについては追いかけたりせず、ただ楽しむだけ。わからないほうがおもしろいから。

距離にしてちょうど真ん中あたりでモスバーガーに入って晩ごはんがわりにする。ハンバーガーをかじりつつ、いつまでも書き終わりそうにない詩なのか日記なのかよくわからなくなっている文章を綴ってみる。そうしている間にも外はだんだん暗くなってきます。

再び歩き出してまもなく、不思議な光景がひろがっているのに出会いました。携帯で写真をパシャパシャ。三日月も美しい。交通整理のおじさんが横断歩道を渡る人に「お疲れさまです」「こんばんは」とあいさつしています。私が写真を撮っているのを見て「いまどきの携帯はそんなに画面が大きいの?」と声をかけてきました。
「そうですよ〜。おじさんはスマホじゃないんですか?」
「おじさんは通話ができれば充分だから」
「写真もきれいに撮れるんですよ」
「何?やっぱりあの夕焼けを撮ってるの?」
「夕焼けと、あとこの景色がちょっと面白いから」
パシャパシャ。
「それでは、お疲れさまでーす」「お疲れさまでーす」
遠ざかっても、おじさんの「お疲れさまでーす」の声が聞こえてきます。
いいなぁ、この景色。
ふと思い浮かんだイメージ。
おじさんの夜。いまはあまり見かけなくなった、模様の入った磨り硝子をはめ込んだ引き戸のある昭和の家に住んでいて、畳の部屋のちゃぶ台の前でお酒を飲んでいる。テレビがついているけれど、まったく違うほうを眺めて、今日の夕暮れの空を思い出している。

そんなふうに、ブラブラしながら、途中でモスバーガーの値上がりにびっくりしたり、でもやっぱりモスのポテトはおいしいな、と思ったり、詩を書いてみたり、空の写真を撮ってみたり、しながら、最後のほうでは、このままでは遅刻するのでは?!と焦ったほど、のんびり職場から先生のところまで夕暮れに向かって歩いて、別の世界に行ってしまいました。ピアノは練習がはかどっておらず、こんなんでレッスンしてもらってもムダだよ、あーあ、と思っていたので、まったく何をしに行っているんだか、という感じです。

3月の発表会でショパンのノクターンOp.9-1を弾いたのですが、とても下手で、なんとか一曲をちゃんと仕上げたいと、その後も同じ曲を練習し続けていました。それがこの日、ついに先生に「いいかげんけじめをつけて、これはやめて他の曲にしたら?一年に一曲しか弾かなかったら、あと三十年生きても三十曲しか弾けないんだよ」
と言われて、自分の中にほとんど存在していなかった「けじめ」という言葉にはっとし、それでも続けたい気持ちとその他いろいろな気持ちが、ぐるぐるしてしまうのでしたが、結局、もうその曲は諦めて、というか他の曲を練習することになりました。ここに書き切れない様々な思いが流れていった結果、つくづくと「あ〜なんか私って情けない」と思って帰途につくのでした。

あとで先生から新しく勧めてもらったブラームスのインターメッツォ Op.118-2をYouTubeで聴いたり、自分で弾いてみたりして、なんて美しい曲なんだろう!!先生ありがとうございます!!と感動してしまいました。特に譜読みの遅い私のペースで楽譜を辿ると、ひとつひとつの音に、「こうきたかー!」と驚いたり、「こうなってほしいなぁ」と願った通りであることにうれしくなったりして、ひとりで盛り上がってしまいます。
まだまだ自分の知らない素晴らしいものが世の中にはたくさんあるのだと思うととてもうれしいですが、少し焦ります。
人は恐ろしいこともたくさんするけど、こんなに美しいものを作ったりもするのですよね。映画などで冷酷な殺人鬼が美しい音楽を聞きながら残酷なことをする、みたいな設定にも慣れてしまいましたけど、そんな皮肉な意味でなく。
確かに、美しいものを愛する心=美しい心
ではないとは思いますけど。
美しい心って、そもそもなんだかよくわからないですけど(よくわからない、と思いつつ、それ以上敢えて?深く考えない)。

こうして書いていて、やる気はなくもないような気がするのに、自分が何に関しても中途半端な訳がなんとなくわかりました。あいまい、ぼんやり、のんびり、がこんなに好きなのだもの。










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移ろい

2015年05月24日 | 
気付かぬうちにプラタナスは青々と茂り
強い日差しを遮るアーチの並木を歩いている
アスファルトを一枚めくって
その下をすべっていくみたいに
地面もひとも同じ模様をまとって揺れている

二階の窓でカーテンがふくらむ
こっそり秘密を教えるみたいに
さあっという砂糖の溶けるような音に
手をつないだ星々の形が消えると
両手の大きな哨兵たちが
びりびりに裂けた緑の衣をいっせいに振り乱す

足元へ
乾いた葉っぱが
カラカラカラと転がってくる
これから無法者がやってくるそれは合図
急いでカーディガンの胸もとをあわせて

(逃れることなどできないのに)
急ぎ足でアーチを抜けて屋内へ逃げて
扉が閉まるとビュウビュウと風が大きくなる
つばさをいっぱいにひろげて回転しながら
巨大な目が迫ってくる

見ている私見られている私
回転しながら
日々新しく作用する
コリオリの力によって逸れながら
少しずつどこかへ向かう
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奥行

2015年05月19日 | 
できたばかりの白い建物は
孤島のように浮きあがる
まっさらな窓は海のように深い空を開く

まだ手垢のつかない
ざらりとした肌を剥き出して
臆面もなくひろがる内壁に
黄色い長方形がゆっくりと動いた
境界線が遠くなると
切り口からこぼれてくる紺青に浸されている
海草がなびきアンモナイトが泳ぐ

夜の真珠の粒の間に
ぽっかりと口を開けているがらんどうは
視線を宙に漂わせ
意識の知らないことを
手元が書き留める日々のように
まだ満たされていない豊かさに
あふれている
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ミステリーゾーン

2015年05月16日 | 
つい先ほどまで信じていなかったねむりが
だるま落としのように唐突にやってくる
平たかった空間が熱したガラスのようにぐにゃりと曲がった

目が覚めた
散っていった自分のかけらをあわてて寄せ集め
薄暗がりの中でなでさする
異形だ
異形なものがここにいる
いましか感じられないこの違和を
正確に写し取らねばと思うのに
別の触手はわさわさと動いて
わたしの生きている場所へ
わたしがなめらかにつながるようにと
勝手に千鳥縫いを始めてしまう
気付いたときには
わたしはわたしの論理の中に入り込んでしまい
かえって夢の中のように
どっちを向いても鏡なのだ
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自転車

2015年05月14日 | 雑記
水色の自転車を買いました。

高松にいた頃、自転車でため池の脇を通って会社に通っていたことを思い出しました。


高松ため池


この日はすごく空気が澄んでいて


光がきらきらして遠くの山の襞までくっきりと見えて


自転車で走ったら気持ちいいだろうなぁ


でもこの日は車だったので散歩をしました


それでも、最高でした

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