詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

青の親和性

2019年06月17日 | 雑記
「疲れた」と感じたら
イメージの水になってみる。









フォトアルバムの中に隣り合っていて
一瞬同じ仲間かと思った
紫陽花と夕空。

親和性という言葉が輪を広げる。

水の弾力に身を委ねている気持ちになって
ゆったりする。

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思い出す角度

2019年06月01日 | 雑記
たくさんの日々を重ねていても、並木を縦に見るように、わずかな差異を見通すのみで、何十年の思い出がたった一本のように感じられる。丁寧に歩いていけば木々はばらけて、一本一本違う形。けれど、コツコツと積み重ねられてきた愛が、振り返るとたったひとつの象徴に集約されてしまって。ばらしていく作業が苦痛だと本能は気づいているのかもしれない。

カーテンがそっとひるがえり、今日の風を感じてこれからの気温を予測している、そのような時間の運び方、首の傾け方で、上手に思い出すのにふさわしい角度があるようだと気がつく。探り当てるまでは知りもしない、流れこむのにふさわしい面の傾き。風で揺れる影によって知らされる光。セルフィッシュ。

互いの入り乱れていく迷路を、わたしの論理で水のように攻めてはいかないで。曲がり角で、ふいに出会わなくてはいけない。たとえば鳥のように舞い込む手紙。呼気が四つ折りの跡を広げ、意図せず、出会う。経緯を持たない、別の人の視線を通して、あの人らしさが生き生きとよみがえる。ほんのわずかな隙間に、過去から流れてくるかげろう。見逃さず、かるく掬い取る。像が壊れてしまうから、水面を揺らさないように。

再びあの人らしさに会うために。再びわたしの感情に出会うために。あの人の愛を見なくてもいい。個性を唱えることはできなくて、目をつむると空気がひたすらすり抜けていく。ただその気配でしまっておけるように。そばに佇んでいるだけで、あの人だとわかったように。

早い涙で繰り返し洗いすぎて繊維になった感情を、健康な日差しの庭にひろげて、ふんわり真っ白なタオルに戻したい。風で揺れる影によって知らされる光。セルフィッシュ。

どんな気持ちでその日々を生きていたのか、からだのなかを流れていた水、生まれたてのままキラキラ流れていた水が、枯れ始めているようで、だんだんわからなくなってきて。ときどき、カーテンがひるがえる。

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