詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

五月の落ち葉

2020年05月23日 | 雑記
今日は天気が悪いという予報だったにも関わらず、
午後には雲が漂白されちぎれて、
青空も見え始めたので気持ちが良く、
約束の時間はあったものの、
そう急ぐでもなく歩いていた。
とある曲がり角で
はしばみ色のつやつやした落ち葉が無数に散らばっていた。
五月なのに?と思って見上げた。
同じ形のつやつやした緑が繁っていた。
秋の落ち葉とは異なり、
地面に落ちてから変色したのかもしれない
と、だいぶ経ってから気が付いた。

堀江敏幸さんの『正弦曲線』を少しずつ読んでいる。
読みながら、恥じ入る。
詩を書きながら、読む。
恥じ入る。
だから、楽しい。

差があるから。
その差の中に、無数の感触と感覚と経験、
無数の言葉と文体と本、
無数の作家や詩人や写真家、
そして無数の街、時間、記憶……がある。
そして世界を夢見るために何よりも大切なもの
部屋に入る光の筋を際立たせる塵埃がある。
その塵埃は、堀江さんの誠実。
世界にはまだまだ入り込むべき無数の襞がある、と教えてくれる。


いまはこういう季節(半月ほど前だけれど)。




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あまかわ

2020年05月13日 | 
晴れた朝には
都心の高層ビルからでも
富士山がくっきりと見える
鳥のように森やビルや高速道路を飛び越えて
目は一瞬で辿り着く

同じ場所で見下ろすと
あまり手入れのされていない
ざっくばらんなわたしの手がある
爪があり薄い甘皮が
名残惜しそうに爪にくっついて
1ミリほど伸びている

富士山を照らす光が
ビルの無数ある窓の1つに差し込んで
爪と甘皮にうっすらとつやのカーブを描く
抵抗のない証しに
まだまだ父の娘だという気がしてくる
もう父はいないし
わたしは四十も過ぎているのだけれど

同じ光
それでまた街を見返す
活発に活動する人々の活躍
音のない景色の中に
ひとつひとつ念入りに隠されていると思う

ワクワクするグラフや
激しく行き来するドキュメント
小さな頭の中にグローバルを
いっぱいに詰め込んで
うめき嘆きよろこんで

無数の表情が毎日ひっそりと捨てられ
経済といううねりになって地球の色を変えるらしい

本日はメーデー
闘ってきた人たちの姿は
よく語られよく見えない
この窓から見える動きは
列なして流れる車
風に揺れる木々
川に撒かれた銀色のリボン
そして鳥
移り変わっていく空
それは立体物なのか
わたしは立体的なのか
入り込めなければ平面と言うのか
そう思ったときわずかなうねりが生まれる
自分の手元と遠い景色しか見えないわたしの
胸の中の色を少しだけ変える

意味があることを探すなんて
愚かなことだった
意味なんて
同じ光の中で
富士山と自分の甘皮とを交互に見つめる
夕方にはシルエットになっている

太陽が落ちてしまうと
見えなかった人たちの呼吸のように
明かりが無数に浮かび上がって
ビルの形をなぞる
義務や制約が加える疲れでわたしは少し元気になり
貸した本が戻ってきていないことを思い出した
どうも規則正しくはみ出してしまう
富士山でさえ夜に紛れていくのに


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への字が好き

2020年05月13日 | 
への字が好き
口を見ればおあいにくさま
でも
へいきのへ
へいわのへ
へいしのへ
ヘロインのへ……
ヘブンのへ!
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