詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

春にそよぐ

2024年06月19日 | 

春の夕暮れ

久しぶりによく晴れていた

昏くなっていく青空には

淡いピンク色のゆるやかなリボン

 

神宮球場の横を歩いていたら

わっと届いた歓声に

なんだか疲れているのに

なんだかにぎやかでうれしくなった

人工の光

強くなっていく

周囲のビルの名前

盛り上がってくる

 

ヤクルトファンだった父

夕食どきによく野球を見ていた

テレビが点いていれば

私もなんとなく見て

なんとなくお気に入りの選手ができたりして

赤いグローブのブンブン丸とか

 

結婚して家を出て

そういうこともなくなった

スポーツ観戦には興味がない

大勢の人と興奮のもとに連帯することにも

だけどにぎやかだとうれしいのはなぜだろう

歳を重ねるにつれ親族は減り

さみしくなっていく身辺

街灯が静かに照らす夜道のように

ひっそりしている私の内面

 

自分では出せないエネルギーを

たくさんの誰かが放出して

大気を満たしている

そんな外からの波動でわずかに震える

わたしとはつまらないと言うには

あまりにもかさばりすぎる

発光体

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今日のお天気 2024/5/31

2024年06月09日 | 雑記

夜になると、「ああ今日もなんとか終わった。ようやく布団に入れる」などと、うれしく思って、一日が終わることを大喜びしている。

そうやって何気なく過ごす一日一日に、私は確実に歳を取り、感じて考えて過ごしていることを、惜しむことなく忘れてしまう。私の人生は、重さのない感じた考えたことの見えない山積でしかないのに。

5/26(日)に日本の南の海上で発生した台風一号は、今日、温帯低気圧に変わった。

傘を差して家を出る。台風ではなくなったとはいえ、今日も雨。

このところ、身体なのか、気持ちなのか、疲れが取れない感じがする。のんびりできる時間もあるのに、なんだか休んだ気がしない。重く感じる体で家を出ると、雨だけど、ベタベタせずに、ひんやりした空気が心地いい。

道路の横断歩道のあたりにできた水たまりが細長い銀色の川のように見えて、その水面にたくさんの小さな透明な王冠があちらこちらと跳ねまわっている。

紫陽花の色は鮮やかで、学校の裏側の、いまはまだ誰もいない部室の静けさ、翳っている窓とそこに差し掛かる青々とした木々の枝葉との遠近感が、思い出す自分の高校時代のように、近くて遠く、幼い頃からこの距離をずっと眺めてきたような気がする。

空気なのか気持ちなのか、いろんなものの輪郭がくっきりと見える。そのことに目が覚めるような気持ちになる。体に芯が通り、足取りがしっかりする。見るということに強い意思はなかったけれど。見ているということは生きているということなのだとふと思う。

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