詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

かもめを追い越して

2015年08月19日 | 
かもめが飛んでいく
整列してもくもくと湧いてくる
煙のような灰色の雲が
ちぎれちぎれに渡っていく川の上を
軽々と風を乗り越える
アーチをふたつ持って

わたしも飛んでいく
アーチふたつの眼になって
雨模様の空が
不思議な明るさを持っているのを見る
かもめといっしょに
かもめよりも自由に
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私情を挟むな

2015年08月17日 | 雑記
私はとても目が悪いので、夜寝るときにはメガネを枕元のすぐそばに置いておきます。夜中に地震があったときに見つからないと大変だと思って。朝起きるとまずメガネメガネ。でも目覚めてメガネを探すよりも先に、無意識に手探りしていることがあります。

以前、職場で「自分の状況を改めて考えてどんよりしてしまうときはいつか」という話になって、話し始めた人は「夜が一番」だったのですが、私は「絶対に朝!」なのです。朝、目覚めた瞬間こそ恐ろしい。夜というのは一日自分の理屈で固めていったいわば自分の城のてっぺんにいるときなので、現状について心の耐性ができている。ところが朝はまたふりだしに戻って、城の建つ丘のふもとからやり直し、城の門まで登っていく道の木々のシルエットや城の中のコウモリやクモの巣、おばけにも初(うぶ)になってしまっているので、もう一度恐怖を味わわなければいけないのです。ところで、ここでなぜ「城」という喩えが出てきたかと言うと、数日前、本棚にあったコリン・ウィルソンの『フランケンシュタインの城』が目に留まって久しぶりに読んでいたからなのでした。

目が覚めると、いまの私はどういう状況にいるんだっけ?と考えます。今日一日の楽しみは?私の元気の素は?ないない、ない、ない、ないよー。となってしまうのです。本当はあるはずなのです。それなのに、一番、そういったことを感じられない、まだ感じるエンジンがかかっていない状態で探してしまうものだから全てが砂を噛むように味気なく感じられてしまうのです。まさに『フランケンシュタインの城』のテーマではありませんか。

ところで、最近ようううううやく気が付いたこと。気持ちが行き詰る時、なんだか調子が良くないなぁと思う時、というのは、どうやら自分のことばかり考えているらしいということ。こういうときに少し外に目を向けると急に気持ちが羽が生えたように軽くなったりします。私の精神的エネルギーの乏しいのは、きっと自分のことばかり考えていられる状況だったからなんだなぁと苦笑します。そうはいっても、長年の癖、簡単には治りません。『フランケンシュタインの城』の、栞も挟んでいないのに異様に開きやすくなっているページで、なぜかすぐに目に留まる一節。
「私はつねに自由を欲していた。食うために働かなくてはならない無味乾燥な必要からの自由、精神生活を生きる自由を。だが、土曜日の朝、自分の部屋で目がさめて、これから丸二日のあいだわがものにすることのできる〈自由〉が眼前にひろがると、私は妙に生ぬるい無関心の状態に閉じこめられている自分に気づくことがある。せっかく〈意味〉に割いてやれる時間がもてたそのとたん、〈意味〉が鬼火のようにすっと消えてしまうのはなぜなのか。」
もうすっごくわかる!!休日こそ自分の人生の意味なのに、休日にはすべての意味が消失してしまう。

そして、ここ数日、なぜなら夏休みだから、気が付いたこと。言葉が邪魔をしているのではないか。私の言葉が。
つまりですね、いまどういう状況か、考える。楽しみはあるか、あれとこれとそれ、どれも興味を感じないみたい。意味なんてないみたい。って。ようく考えてみれば、そんなこと、考えなくていいんですよね。別に評価なんてする必要ない。気付くと朝だけでなく、いつもそうやって考える癖がついているんです。いまはどういう状況?私の楽しみは?希望は?意味は?って。考えなくていいのに。今は今があるだけなのに。そこになにも意味はないのに。あ、それは無意味の意味じゃなくて、別に価値を付けたり意味を付けたりわざわざしなくていいという意味で。気付けば私にはそういううるさい虻みたいな意識がずっとくっついてまわっていたみたいなのです。

それで、突然ですが、ホ・オポノポノというハワイの伝統的な問題解決法があるそうです。それは「ありがとう」「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛しています」という言葉を唱えるだけらしいのです。あまり詳しくは知らないのですが。これらの言葉を唱えることによって自分の記憶をクリーニングする、とのこと。「自分の記憶」というのはつまり、「自分がその状況に対して感じたことの記憶」で、それをクリーニングするということなのではないか、とふと思ったのです。ある状況に対して、別になんとも思わなければいいのに、つまらない、とか、意味がない、とか、きっとうまくいかない、とか、自分でいつのまにか評価を下している、その記憶をクリーニング。もっと言えば、上記の4つの言葉を唱えていることで、マイナスな言葉を自分に考えさせないようにする方法なのではないかな。

そう考えてみると、これまたつい最近ふと本棚から取り出して読んでいたサリンジャーの『フラニーとゾーイー』の中に出てきた本のことも思い出します。カバーの紹介文によると「アメリカ東部の小さな大学町、エゴとスノッブのはびこる周囲の状況に耐えきれず、病的なまでに鋭敏になっているフラニー」が胸に大事に抱えて、さらに実践もしている『巡礼の道』と『巡礼の道は続く』という本の中にある「イエスの祈り」を絶えず祈り続けよ、という教えも、結局はそういうことなんじゃないか、と本の中の話なのですけど、ひたすらに何かをするということも結局はそういうことなんじゃないか、と勝手に結びつけて、納得してさわやかな気持ちになった夏の朝なのでした。『フラニーとゾーイー』はなんだか嫌味な感じがして、実はいまはあまり好きではないのですけど。

要するに、詩情はいいけど私情はよくない。私!私!と言っていろんなことを評価し始める左脳的な私情は生活にはほんの少しでいいのでしょう。私情の私はほんとは公私の私だから使い方が間違っているけど、詩情にひっかけたくて使いました。私情を退けて詩を書くぞ!と決意を新たに今日を過しましょう。『情熱大陸』で谷川俊太郎さんの密着取材も見られたしね。



これはなんでしょう?


雨の夜の車の中


窓をつたうしずくが車の中に描き出す模様


中にいる私たちの上もしずくの影がすべっていきます。


こういうときは、評価する私はなりを潜めてただそのときを楽しみます。


洗車機の中も大好きです。
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そらがひろいせい

2015年08月14日 | 
くもくもくものたなびく
やわらやわらやわらかいいろの
せせせせんをひいたあとに
じょうぎぎぎぎぎとずらしたら
せんがしゃしゃしゃしゃしゃと
おひあれれれれをつけたように
かかかぜぜぜかぜかぜかぜが
くくくももものののふちを
しゅしゅしゅしゅしゅとにじませて
あいとはいとしろとももの
あいとはいとしろともものも
なだらららららなかなのうたんが
なぜなぜなぜにこんなにもまろいひらがななの

カナシイ
キリキリスル
クルシイ
ケイカイシロ
コンクリート
カチコチの
カ行の街を包んで
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夜のバス

2015年08月10日 | 
見知らぬ街でバスに乗った
梢のずっと向こうに
かなしい女の人のような
煌々と輝く月が出ていた
座席はいっぱいになり
バスは出発した
空は青から黒へすべりこんだ

これから終点まで乗っていく
何もないところへ行く
教えられたことを
胸の中で反すうする

ひた走っていく大通りは脊柱で
窓側のわたしは
背骨のように横に伸びる通りを
ひとつひとつ見送る
白い街灯が遠近法で
ずっと奥まで続いている

祖父母が生きていた頃
縁日のあった夜
みんなでそぞろ歩きしたのは
もうはるか昔のこと
数字で思うよりもずっと

停留所にとまるたび
人が暗がりの中へ消えていく
残っている乗客をひとゆすりして
バスは出発する

座っている人たちの頭を眺めて
窓外にまた視線を戻せば
暗い街道を
むやみに白く光った箱が走り抜けていく
懐かしい懐かしい
この未知な感じが懐かしい

眠っているような
死んでいるような
寡黙な人々を乗せた白い箱が
過去を通り抜けていく
わたしも生の間をすり抜けていく
幻みたいなものかもしれない
蛍を見にいく
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わたしを代表してお礼を言います

2015年08月08日 | 
ときどき無性に自分が嫌になる
いい歳をして無性に自分が嫌になる自分も
不定期に
でもイエローストーンの間歇泉くらい激しく
白い石がひっくり返り
ぱたぱたぱたぱた裏返り
真っ黒
放っておけば黒になる石
苦労して白にしろ
という意思
あれこれの理屈
蜘蛛の糸を操るみたいに支え続ける
もうすっかり面倒
ひと思いに間歇泉に飛び込みたくなるよう
涙ぐんで喉が痛くなって
少しゆっくりになる

このまま家に帰りたくない
寄り道とまり木の喫茶店で
コーヒーを飲みながら
空中に注意を集中して
元気になれそうなことを
ひとつひとつ並べてみる
まるで冴えない
バッグから葉書とペンを出し
連絡しようと思って気になっていた友だちに
手紙を書くことにする

暑中お見舞い申しあげます。
ここで手がとまり
ふと目にとまる
ペンを持ったまま
置物みたいにじっと動かず
テーブルに乗っている右手
手首のところがちいさくプクリプクリ
青く浮き出た血管が
静かに呼吸している
新種の生きものを発見したように
びっくりする

感情の暴力
漂い続ける暗緑色
文句ひとつ言わず
立ち止まることなく
ずっと働いてきたんだ、きみは
きみの強さのおかげ
わたしは生きてこられ
飽きもせずあぶくをプクリプクリ
噴いているんだね
誰も知らない川底の
湧き水みたいに

きっとまた
すぐに忘れてしまう
感覚がまだ透き通っているうちに
お礼を言っておくよ
ありがとう
いろんな感情をありがとう
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