詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

濁り

2017年09月28日 | 
願ってもいないことを
願うことはできないわけで
それなのに願っているような気になっている
叶わないと思っている部分は
ヨーグルトのホエーのように
薄く白色がかっている
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うたっている

2017年09月23日 | 
音符が開いていく
指が開いていく

ゆるゆると身体を包む
ゼリーのような愛によって
開いていく

かえってさみしさや恐れが
どっと入ってくる
ああわたしはみっともない
ねじった紙だらけの部屋

一枚一枚
開いていくと
ひとつひとつ
愚かで真面目な逃避が
のたうっている
うたっている

寂しい町の
そこだけ奇妙に明るい
無人駅のように
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公園ネコ社長

2017年09月19日 | 雑記
社長、いい稼業してますな。
左うちわってわけですかい。


あたしゃね、別に霞食って生きてるわけじゃないんだよ。よそ様に遠慮しながら自分の顔の届く範囲の草食って生きてんのさ。堅実だろ。


社長、それ、気持ち良さそうな椅子ですなぁ。
ええ?これかい?こりゃあたしのおなかだよ。
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だれも見たことがない

2017年09月18日 | 
その姿をだれも見たことがない。
おおきな翼があるという。
口を開けば傷口のようだという。

あなたは無益なひとだと言う。
わたしに、愛が必要なのだとすれば、それはこんな形になるのだろう。

だれもいない。
カラカラとプラタナスの落ち葉が地面を動いていく。
その生命(いのち)はいまや音だけだ。

遠い国からやってきて、来歴を耳元でささやく。
だからみんな遠い目をする。
自分が生まれた場所を見失って。

狂うこともある。
激しさは誰かの叫びのようだ。
寄り添うこともある。
誰かのなぐさめのように。

それは姿もないのに風とよばれている。
よく生きたとき、周りのものたちがその姿をなぞる。
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聞き間違いの神秘

2017年09月18日 | 雑記
ほぼ日では言いまつがいというコーナーがあって、言い間違いというのは確かにかなりおもしろい。言い間違いで精神分析してしまうフロイトみたいな人もいて、興味深い分野?ではある。

私は20代の頃、大学時代のサークル仲間と旅行に出掛けて、みんなで話をしていた時に、「たまに」と言うところを間違って「たにま(谷間)」と言ってしまい、谷間といえば地形的なものであるはずだけれど、日常会話としては「胸の」という言葉が自然に想起されてしまい、まだ結婚前でお付き合い中だった夫(同じサークル仲間だったのだ)はかなりドキドキしたらしく、それは別にセクシーさにドキドキしたというわけではなく、この間抜けな彼女が何を言い出すんだ一体!?というドキドキだったらしい。それから10年以上経ったいまだにたにまその話をする。

しかし、今回は言い間違いではなく聞き間違いの話。聞き間違いというと、私にすぐに思い出されるのは金井美恵子さんのエッセイと、蓮實重彦さんの確か『日本語論』の中にあった聞き間違いの話だ。重要なことはすぐに忘れるけれど、こういう役に立たないけれどぴょこっとおもしろかった話はいつまでも忘れずに、心の片隅で熾火のように生きていて、私を暖め続ける。

かなりいいかげんな要約になってしまって、特に金井美恵子さんのエピソードのほうは、もう本が手元になくて確かめられず、間違ってさえいるかもしれないのだけれど、一応ざっと書くと……。

金井さんはある時、新幹線に乗っていた。そばに座っていた男性の乗客二人(どうも上下関係があるらしい)の会話が聞こえてくる。立場が下らしい人が、もう一人に向かって、しきりに話をしている。
「あの人は歯医者ですよね」
「あの人は瀟洒ですよね」
どういう並列だよ、という感じなのだけれど、よくよく聞いていて、「歯医者」ではなく「敗者」、「瀟洒」は「勝者」だということがわかったというエピソード。
つまり、あの人は敗者であの人は勝者だ、と、それはそれで、なんちゅう話だ、というような話を、もしかしたら立場が上の人に対する媚びも含めつつ話していた、といった話、だったと思う。エッセイの大事なところを落としてしまっているかもしれないけれど、ここはただおもしろかった聞き間違いという観点だけで、許してください。

そして蓮實重彦さんの聞き間違いは、子どもの頃の話。ラジオのニュースで「キシャカイケン」「キシャカイケン」というのを聞いて、「汽車会見」だと思っていて、みんなで仲良く汽車に乗りながら会見するのだと、のどかなシーンを想像していた、という話。子どもの頃の知識が不足している故の世界の奥行を思い出させてくれるエピソードで、たまーに思い出すとくすっとしてしまう。

でもそういう聞き間違いは当然、大人になるほど減ってくるわけで、世界は平板になっていくのであった。そして人よりかなり稚拙とは言え、一応40年も生きてきた私も、もはや自分にそんな聞き間違いができるとは露ほども思いはしなかったのであった。

ところがここ数日の間に、立て続けに二度ほども聞き間違いをして、自分の頭の幼さを改めて実感するとともに、愉快だ愉快だ、とひとりほくほくとよろこんでいるのであった。

先日、両親や兄弟家族が我が家に遊びに来ることになった。私が一応メインの料理を(と言いながら、普通のおかずになってしまった)作っておくと伝えたのだけれど、それぞれみんな気を遣って何かを持ってきてくれると言う。母は、最近、料理誌で見たから「台風サラダというのを作っていくわね」と言う。へぇー、と何やらわからない材料でたくさんの渦がのっているサラダを想像する私。言い訳としては、その日は、ニュースで日本列島を縦断する巨大台風の予報が何度も流れていたのだ。

ピンポーン、こんにちはー、とみんながやってきて、母が手提げの袋からお皿に盛ったサラダを出す。ふーん、これが台風サラダかぁ。渦はないなぁ。春雨がのっているのかぁ。東南アジアっぽいなぁ。確かにあちらはスコール、台風がなじみっぽいもんなぁ。と心の声。

食卓について、そのサラダを自分の皿に取ろうとした瞬間、ハタと気が付いた。
タイ風サラダか!!
気付いた途端、なぜここまで気付かなかったのかと我ながらびっくりした。

さてもうひとつの聞き間違い。
その日、所用があって、初めての駅に降り立った。改札を出る前にトイレがあったので行っておくことにした。そこのトイレはとてもきれいで、かつ目の見えない方用に、音声でトイレの場所を案内している。耳は、脳は、聞くともなく聞いている。
「右手奥は男子トイレです。
左手奥は女子トイレです。
左手手前は滝のおトイレです。」

た、滝のおトイレ!?
滝のおトイレって何よ?
確かにトイレは流れるからつながりがわからなくはないけど、どんなトイレよ?
しかもなんで最後だけトイレの前に「お」をつけて丁寧に言う?
吟じます、じゃないけど、調子を整えてるってわけですか?

と、しばらく思っていたのですが、三度目くらいにその音声を聞いて、滝のおトイレってどういうのだろう、と本気で考え始めた途端、あ!多機能トイレか!とわかったという……。

最近、フェイスブックを始めたのだけれど(ほぼ人の投稿を見る用)、活動的な人は本当に活動的で、しかもフェイスブックに頻繁に投稿する人ほど活動的で、そんな人はしょっちゅう海外に行ったり、たくさんの友達に会ったり、していて、そんな方々は上記のようなことでよろこんでいる不惑の私を憐れみの目で見ているのであろう。

こんな聞き間違いができて世界に奥行が、なんて言っている暇があったら、世界の奥行を確かめに、海外行っちゃうもんね……。

いろんな人がいることで、世界は成り立っているのでございます……。ちゃんちゃん。


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