詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

くちびる

2016年10月29日 | 
木の葉が舞うまでの時間に
傷口にやわらかくかぶさっていく
みみず腫れのような
厚いくちびる

グロテスクなクロッキーね
守っていた輪郭あふれて震えている

古い釘をふくみ
錆びた鉄の味覚を懐かしみ

襞など誰にも見えないのだから

大きな鏡が切り取った暗がりの隅に
開いたまま転がっている赤い傘
もうしずくよ乾いている
なにごとでもなかった
救急車のサイレンが近付いて
遠ざかっていく

過剰に露わになっていた
柔らかい部分が傷む
強い反射光のように削がれて

ひとつひとつ触れていった
血のまだらの青いところ
分類などせずに
ただそのものとして
しまわれていくフィルム

いつのまにか盗んでいった
部屋へ風が吹き込んで
紙片をさらっていくように
強い接触で
まだぷちぷちとつぶやいていた
幼年期は抜きとられ
かわりに安っぽく埃っぽいルージュ
もぐりこんでいく
古い本の頁を小さく這いまわる
銀色の虫のように

ゴムの木の葉っぱが丸く光っている
知ってしまったこと
知らないことにはできない
組成は少しずつ変わっていく

そのとき
このどこまでも閉じているひろがりに
煙のような闇へと導くとびら
厚いくちびるに縁どられた
深い口が開いていた
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とても個人的な謎の話

2016年10月25日 | 雑記
先日、「青森旅行1」に書いたとても個人的な謎について、今朝突然ひらめいたので備忘録的に書いておきます。

たとえば、船を安全に航行させるためにはどうしたらよいか、特に岸に近づいたとき、座礁しないようにするには?と考えてみると、まず船が通っても大丈夫な深さがあるのはどこか、いや、逆か、船が通ると危険なほど浅いところはどこか、調べてみよう、となる。そのためにどうやって水深を測るか、その方法について考えないといけない。

先日、ブラタモリの樹海編を見ていたら、番組でもよく活用している赤色立体地図が、実はすごいのだ、という話が出てきて(赤色立体地図を発明した方が登場!)、それをどうやって作るかというとまず、飛行機からレーザーを出して地上から反射して戻ってくるまでの時間差を計算して地形を計測する、と言っていたのを思い出しました。海の下の地形の測り方も同じやり方でできるのかな?水はレーザー光を通すのかな?と疑問に思うけれど、なぜかそこは調べない。すぐにわからないほうが次、その知識に出会ったときに、よりおもしろく、より良く吸収できるのでは?という、謎の倹約家?的感覚により、調べない(あ、せっかく謎を解明したのに、またひとつ謎を増やしてしまった!)。と言いながら、やっぱり通すのかな。そうでなければ地上の地形だって測れないだろうし……?

まあともかくそんなこんなで、船はここを通れば安全だよ、という場所がわかりました。わかったことにしておきましょう。その結果をもとに作った航路をみんなの船に示すため、ブイを使うことにしましょう、となる。

いま、「ブイ」でいいのかな?とふと思ってネット検索をしたら「浮標(ふひょう)」と出てきました。ですよねー。「ブイ」なんて書き方では、ぶたさんみたいだものね。恥ずかしながら「浮標」という言葉、初めて知った気がします(錘がなくて忘却の彼方に流れていってしまっただけかもしれないけれど)。あらためまして、「浮標」をネット検索してみると、トップに
「浮標(ぶい)ー葛河思潮社
死にゆく妻、迫り来る戦争の影ー。芸術にも、宗教にも、科学にも、経済にも頼れない中で、画家・久我五郎が見せる『生』への執着。4時間を……」
と出てきて、暗いなー、浮標!とびっくりしてしまいました。いえいえ、それは本の紹介で、浮標の意味ではありませんから。

話が座礁しまくってますが、舵を取り直しまして、また漕ぎ出しますと、ついでに端折りますと、ブイ(結局ブイ……)を設置するための方法を考えないといけない。海には流れがあるし、波もあるから、多少は仕方ないとしても流れにくいような設置方法を考える。どうするか。棒のようなものでは却って流れに対して抵抗が強すぎてもろくなる、だから錘とブイとをつなぐものには、流れに逆らわず、多少は泳がせられるようなもので、たとえば錆に強いもの、を探す。それからブイを固定するための錘を目的の場所に沈めるためにも、潮の流れと落下までの距離と時間を計算して、どの地点から落とせばいいか、を考えないといけない。計算しないといけない。

といったように、順番に考えていく。私がもしその問題にあたっていたなら、と想像上ゆえの自由と無責任さでちょこっと考えてみるのは、まるで推理探偵になったかのようで、とても楽しい。特に人の話を聞きながら、えー、それはどうやって?それはどうやって?と追いかけるように、追い抜くように、考えると、とてもわくわくする。

ところが、自分自身の未来の計画を立てることとなると、どちらも同じ、「計画を立てること(というか、先を予測すること?)」のように一瞬見えたのに、それは途端にものすごく苦手なことになってしまう。それがなぜなのか、不思議だなぁ、と思ったのでした。

それが今朝、謎が急に溶けたのです、じゃなくて、解けたのです。ような気がしたのです。それを書き留めておきたいと思います。

どういうことかというと、私がわくわくできるほう、というのは何かひとつ、考えるもとになるものがあります。それを実現するには、Aということがないといけない。そしてAを実現するにはBがなければいけない。Bを実現するにはCが必要……というように、ひとつ問題があったら、それを手がかりにどんどん辿っていけるものなのです。しかも、それは大抵自然法則だから、しっかりとして揺るがないものなのです。それさえしっかりつかんでおけば大丈夫、という拠り所がある。イメージは、綱引きするみたいに太い綱にしがみついて、右手左手と順々に辿っていくような感じ。未来への計画、というよりも、どちらかというと過去へ遡っていくような作業。

一方、私の苦手な計画というのは、本当の本当に未来のことで、それも自分の計画だから、頼りにすべきは自分の意思でしかないのです。こんな、こんな、頼りないもの。何がいいかなんて、正解はないし、だからこそ、自分がどうしたいか、でしかなく、ひとつひとつの選択が、正解がわからない中での、決断なのです。こんな、それこそ波間に漂っていて錘がちぎれてしまったブイのような、心もとないことってあるでしょうか?

一瞬似ていると思ったけれど、こうして考えてみると全然違うことなのでした。そして、自分がなぜ計画が苦手なのかもわかるのでした。

けれど考えてみれば、詩を書く、とか、何か物を作る、というのは、後者のほう(未来を作っていくほう)なのかもしれないですよね。それとも素人だからそんな風に思うのかしら?頼りになるものがない中で、自分で、これ、とひとつ決めて、踏み出す。また次を決めて思い切って足を踏み出す。インディ・ジョーンズのように。だからすごく勇気のいることなのですよね。だからだから、自分のこれまでの枠をはみ出す勇気を持てなければ、「新しい」は、やってこない。うーん、なんだか話がずれてきているような気がしないでもないです。

ともかく、自分の苦手がわかったなら、逆に、それを利用すればいいのですよね。意思(私はたぶん意思にさえなっていなかったのでしょう、そのときの気分でしかなかった)なんて当てにしないで、とにかく何かひとつ決めてしまえばいい(それこそが意思?)。灯台。そうしたら、そこに行くにはどうしたらいいか、少しは考えやすくなるのではないか?何も大げさな話ではなくて、たとえば旅行に行く、でもいいし、友達を家に呼ぶ、でもいいし。決断することが大大大の苦手な自分へ。どっちの餌を食べるか迷ってどっちも食べられずに死んでしまうヤギのタイプの自分へ。アドバイス。

こんな個人的な話に長々と付き合わせてしまって、最後まで読んでくださったあなたは素晴らしい方ですね。ありがとうございます。あ、いつも個人的な話しか書いてないか。どうもすみません。


いつかの空(空に浮かぶ浮標)




そういえば、推理探偵なんて言葉、ありましたっけ?推理小説はあるけれど。
推理する探偵、推理しない探偵と、区分があるわけじゃないし。
はい!わたし、推理担当探偵!なんて。
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青森旅行1

2016年10月22日 | 雑記
もしも、このブログを毎回読んでくださっている方がいらっしゃるなら、今頃「いったい、青はどこにいったんだ?」と思われていることでしょう。もしかしたら。もしかしたら、覚えていないかもしれませんけど。

「ブルーな思い出」で、ブルーな思い出続きます、と書いたのに、いつ続くの?と、思いませんでしたか?

ようやくきました。そうです、続くブルーとは、青森の青でした!正確には青森県の青ではなくて、青森県の中にあった青なのですが、こうなったら青森県の青でもいいや。とてもよかったです。書かなかったのは、もったいぶっていたのですよ。自分の中でですけど。でもようやく書こうと思ったら、すでにいろんなことを忘れ始めていることに気が付いて、焦ります。そうだ、自分の記憶力をあてにしてはいけないのだった。あーあ、早く書かないから。

青森旅行は少し遅めの夏休みに行きました(何回夏休み取ってるんだ?と思われてしまいますね……一回一回はとても短いのですよ)。最初は新幹線で行こうと思ったのですが、行きたいところがたくさんあって、青森県内でもかなり移動することになりそうだったので、東京-青森間は短くすまそう、ということで飛行機で三沢空港へ。羽田で三沢空港行きの飛行機を待つ人々の中には外国人、しかもアジア系ではなく白人や黒人の人が多くいて、へぇーと思いましたが、考えてみれば三沢には基地があるのですよね。こういうことも、やはり実際に行くと急に頭に入る、というか情報が生き始めます。地図が頭に入るし。そうそう、だから計画好きな夫にお願いせずに、一応、私が計画しました。とても苦手なことなのですが。違った。とても苦手なことなので。でも早めに計画しすぎて、あとはほったらかし、にしてしまったので、「今日はどうする予定?」と夫に聞かれ、まず計画を思い出すことから始めなければいけませんでした。三沢空港でレンタカーを借りるでしょ、それから十和田市現代美術館に行って、奥入瀬渓流の星野リゾートだよ。自信なさげだし、ものすごく大雑把な計画だし、不満を覚えた夫は行きの飛行機で必死で調べて、すかすかの予定の間を埋めてくれたのでした。

天気を心配していたけれど(数日前に台風が上陸していました)、着いてみればさわやかな天気。やった。車を借りたら種差海岸へGO!「ガイドブックで見て行きたかったのだけど、時間的に無理かなぁと思っていたの。」と私。激しくビビリの私は異様に時間に余裕を持たせてしまうため、とてももったいないことになります。一方、夫は詰め込みまくって、最後は必死で走る!みたいなことになります。おかげで私も充実できる。ありがたいことです。しかしながら私の人生の無駄については、さすがの夫でも矯正は難しいもよう。

種差海岸、少し風が強かったけれど気持ちよかったです!凧が、かもめが、犬が、人がみんな気持ちよさそうにしていた。見どころはいくつもあるようで、車でちょこちょこ移動。灯台の話を書きましょう。

灯台には下にも、上にも係のおじさんがいて、推定年齢は定年後だったので、近所の方のちょっとしたお手伝いのアルバイトかしら、と思っていました。ところが、灯台の上で話しかけてきたおじさんが、方言があまり強くないことから、おや、と思いました。地元がここではない方なのか、それとも定年前の仕事では全国をまわっていたとか?

また、話がとても正確なことにも驚きました。ここから向こうの島までは何キロというところから、その他いろいろ、うまく思い出せなくてうまく説明できなくて、もどかしいのですが、私のようななんでもあいまいでぼんやりした理解しかしない人間を感心させる、しっかりとした知識がありました。さすが、しっかりとお仕事をされてきた方は違うなぁ、かっこいいなぁと思いました。

話をしているうちに、近所のおじさんのアルバイトだなんてとんでもない(いや、実際そうかもしれないのですが)、海上保安庁に勤務して、実際に全国にある灯台のいくつかでお仕事をされてきたOBの方々なのだと知りました!私たちは高松に住んでいた頃に瀬戸内国際芸術祭で男木島に行って、美しい灯台がとても心に残っていたので、その話をしたら、男木島ではなかったそうですが、高松にも勤務したことがあるとのこと!魚を釣りに行って、そのお魚でお酒を飲んで(業務中ではないですよ、もちろん)、すごく楽しんでらしたそうです。そうそうわかめの話なんかもしたなぁ。わかめも産地によってぜんぜん味が違うとか。

とにかく話がとってもおもしろい。海上保安官のお仕事についてもいろいろ聞くことができました。灯台が船に送っている合図の話とか、船が座礁しないための航路を示す方法とか。ブイを浮かべているのですが、どうしても潮、というか波、で流されてしまいます。それを計算した上で設置している。そもそも設置だって、大変なことです。ブイをつないだ錘を海に沈めるのですが、沈んでいく間にも流されてしまうので、その分もちゃんと計算している。そういう計算をする仕事をしている人たちも、いるのです。そうそう、そのブイのライトが切れてしまって、夜の海で、船に乗って作業に行く話とか。波で揺れているブイに飛び移るんですよ。

いやぁ、世の中には本当にいろんな仕事があるんだなぁと思って、ものすごく興奮してしまいました。想像がもくもくもくもく膨らんで、では、船が座礁しないためには、きっとこういう計算も必要だし、こういうことをしないといけない、と妄想しました。そういう、何かひとつしなければいけないことを考えて、それをするためには、きっとこんなことが必要なんじゃないかな、と考えていくのはとても楽しいです。ああ、こんな話を書くと、三瓶小豆原埋没林のことを書きたくなってしまう。いつかタイミングがあったら書きますね。

そういうことを楽しいと思うのに、自分の行動に関しては計画を立てたりするのが好きではないというのは、考えてみれば謎でございます。

ともかくそんなこんなで、おじさんとずーっとしゃべっていて、まだまだずーっとお話を聞いていたかったのですが(なんなら飲みに行きたかった)、その日は風が強くて、しかも場所は灯台の上のところ、ビュービュービュービュー!頭が痛くなってきて、それなのに、おじさんはさすがは海の男で、ぜんぜん平気そうなのですが、私はもうもう限界、しかも時間が、押せ押せ!なので、やむなく、お礼を言ってその場を去りました。

そんなこんなで、一回に一日分を書こうと思った記事が異様に長くなってしまったので、続きはまた(さすが、無計画)。

いざ、青森へ。わくわくふわふわ。


ほら、空が違います。




種差海岸到着。








ラピュタ?














灯台


灯台の横にこんな景色が。競走馬を育てているのですって。


灯台の中。世界で一番古い灯台は紀元前に作られていたのですね。1700年も使われたって、すごいことですね!




窓から見える空はなぜこんなにロマンチック。


灯台の窓から見えた景色。


いまは残念ながらお馬さんは外に出ていませんでした。


私たちが灯台に着く頃に、ここを電車が通ったのですって。ざんねーん!


そういえば、この日、向こうの島(北海道?!えーほんとに記憶が適当でスミマセン)は見えなかったのだった。それとも、ここから何キロ行くと、どことかに着くという話だったっけ?


いろいろ忘れてきてしまって、おじさんの話とか、細かいところ、間違っていたらすみません。また話を聞きたいなぁ。こんな忘れんぼじゃ、嫌がられるか……。いろんな仕事の取材旅行楽しそう。そうしたらちゃんとメモ取りますから。
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夜と朝の境に流れていく体

2016年10月18日 | 
それぞれの街角の金木犀が
めいめいのおさな心を
ほろほろ道にこぼしていく頃
昼間のこもったような熱は
シフォンのショールのように
軽やかに夜空へと舞いあがり
窓を開けていると
電気の消えた部屋の中で
ふくらんだりしぼんだり
カーテンがひとり
深呼吸を繰り返している

透き通った小さな鈴たちの震え
敷居を越え部屋へ入ってくる
暗い道を歩き
家、家、の明かりが並んでいるのを
順番に見つけていくような音
草がなびくと
音のさざなみが皺を寄せ
地面はここと同じ高さになる

布団に手足を投げ出して
二つの矢印のように横たわっていると
浅瀬にうちあげられた体のように
波紋が背中を撫でていく
昼間の情景があらわれては
ゆるんでいく

煙草の匂い
ベランダからゆうらり訪ねてくる
隣家のひとの物憂い表情
浮かびあがってくる
小さな埠頭に立ち
夜ごと出帆を見送っている

打明け話を聞いているうち
体はいつしか
誰かと誰かの誕生日の継ぎ目をまたいで運ばれ
明日の岸へとうちあげられている

うっすらと意識が覚えるのは
体全体が目を閉じたまぶたになって
明るさを計っている感触
ひんやりと灰色に滲んだ空気
夢とうつつの波間が窓の外から
打ち寄せてはひいていく

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いまはただ揺れている

2016年10月13日 | 
アイスコーヒーにミルクを入れる
氷は色を映す透明さで
遥かな時間を閉じ込めて
褐色がかった宇宙を深くする
カラン……カラン……
褐色がかった氷の下の宇宙で
ドレスをひろげるクラゲ
泣き顔のようにくずれて
幾筋もの白い涙になって沈んだ

チェロの弦が弧を描く
切実な調べが
あの部屋に連れていく
くもりガラスは白んで
窓辺に寄せたオークのつくえに
ほおづえつくひとも
あびている
黒みがかった緑の影が
まだ細く若い一本の木で
いつもそこにあり
風が吹くと窓を
きゅっきゅっとこする
それは机と窓をわけあっている
同じオークのベッドで
ねむりのひたひたをゆるしている
境界を失った頭の内側をも
優しくこすっている
隣家の壁との薄い隙間に生えている
生えているきっとわたしのため
わたしのさみしさを永遠にするため

さみしさに理由はいらない
競う必要もない
感覚はただ奏でられている
哀しいメロディーとか季節の匂いとか
洗濯物の影とかに

その部屋にたびたびおとずれたひとは
十年後どのようにふりかえられるのか
わからないから不安でした
空白に孤独をマーブルケーキの
チョコレートのように織り込んで
声だけ残して帰っていきました

水滴のついたアイスコーヒーの
グラスの向こうの長袖
長袖から出ている手の形

時間が経つにつれ
固定されていくように見える過去
それは未来の
いまの反映に過ぎないのに
この先で大きく歪むことだって
あるかもしれないのに
磨りガラスに映っている植物の影のように
いまはただ穏やかに揺れている
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