詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

ときどき無気力

2016年02月25日 | 
ときどき無気力がやってくる
それはブラックホールや取れたボタン
つい先ほどまでその椅子に座っていたひとのように
無いの存在感がものすごく
あたりの時空と顔を歪める

何度襲来されても
予防策も対処法も確立されず
その渦巻く力の重たさに
ぼうぜんとし、めまいがし、絶望する

散らかり放題の屋根裏部屋で
最小限のスペースを空け
天文学者が計算を始める
あとどれくらいでこの巨大な穴は修復されるのか
そっぽを向いたロケットを
社会的軌道に乗せる時間までに
それは間に合うのか‥‥‥
とても無理
鉛筆が放物線を描いて飛んでいく

心理学者が螺旋階段を駆け降り
地下室で原因の究明に取りかかる
様々な因果を手繰ってみるが……
解釈を好む分析の影を両手で覆い隠し
きっと、日頃の疲れが出たのでしょう。
そんな答えでは納得できない
ちゃぶ台のごとくひっくり返される箱庭
この吸引力はただごとではない
ただでは起きたくないのだ
と駄々をこねている
スフィンクスの謎かけほどの
深遠な答えを見つけてくれなければ
稲妻のような運命が必要なのに

白い壁に揺れる光で
聞こえる気のする風の音も
私を誘い出すにいまは無力で
幸福そうなその美しさを
鼻の先でひるがえして素通りする
私は子どものように恨めしげにそれを見ている

時間がだらだらだらしなく流れていく
晩ごはんの支度をすべき時間はとっくに過ぎた
アンドロメダのごとく経緯の鎖に囚われ
テレビの巌にはりついて固まっている妻を見て
夫は何かを察する
メドゥーサの首を出すごとく
時間をフリーズドライ
何か買ってこようか
うん
返事は波のしわぶきに消されそうになって
地底から響いてくる

用意されるなら
テーブルにはつこう
ごはんは食べよう
食べたら片付けはしよう
お湯を沸かそう
お茶飲もう
お菓子も食べよう
お風呂には入って
布団に入ろう
朝へのスーパー快速に甘んじて飛び乗ろう
身をおどらせるように無意識の闇の彼方へ

月曜日になった
時計の針に尻を叩かれて
しぶしぶ動き
しぶしぶ体が動くと
しぶしぶも動き始めて
猿から人になり
四つ足が二本足になり
いつのまにか軽々と歩いている
日常が再び生き生きと活動し始める
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なんかなさけない

2016年02月20日 | 
なんかなさけない
なんかなサケない
なんかエモノ獲れないクマかな

どのエモノに向かって走るか
考えるばかりで行動は伴わない
胸がすうすうして
川にジャブジャブ入る夢を見る
いつまで冬眠しているつもりだろう
毎日活動していても冬眠しているということだって
人にはままあることだ

その人の動きの角(かど)がどこにあるか
意識しなければならないほど
真剣勝負していない
削られるのが怖くて先に先に
過剰に丸くなってしまうから

すみませんとありがとうございます
とりあえず頭をちょっとさげて
やり過ごしてばかり
すみませんを封印しようと決意したけど
そう思うそばからぽろぽろこぼれる
あっと思ってももう拾うわけにもいかないし
すみませんをすみませんで打ち消したりして

何をしても穴のあいたチーズみたいに
間違いだらけの気がしてくる
といって、何が正しいのかもわからない
小さくなって
それは逃げてるからではないのかと
余計に小さくなって
アリスみたいにとまらない
それは私は正しいと
どんどん大きくなっているようなものだから
私を食べて私を飲んで私は正しいからと
胸をはって歩くことこそ正しい
態度として

素敵な時間は永遠じゃない
吹出物もめがねの跡も
忘れがたい思い出のように
いつまでも残っている
実年齢が心をぐんぐんひきはなして
夕陽に向かって元気いっぱい走っていってしまうから
感覚する私はときどき焦って駆け出すものの
木の立ち姿や空の色、心の模様に
いちいちひきとめられては足がとまり
原っぱで道草食って
のんびりぼんやりしている
もう何色になることもできずに
木の皮の色にしかなれずに
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チョコレート

2016年02月13日 | 
くちびるは柔らかく
チョコをはさんだ
指も……
リボンがほどけるように
甘みと苦みがひろがった
溶けていくわずかな苦しみがあった
細く伸びていく旋律があった

からめる
カラメリゼ

思い出は時間の中で
溶けていくのがいい
くっきりとした言葉も
涙を絞った手の形も
淡いピンク色の花びらが
いっせいに舞い
風や川の流れの模様を
描き出したことも
並んで歩くふたりが
それを未来だと信じたことも
輪郭を失い
夢に溶けていき
あとにはぼんやりとした印象が残る
無数のぼんやりに包まれまどろんで
わたしはいつか
目をつむった幸福なおばあさんになる

チョコレートはひとりになって食べて
わたしのいないところで
夜のカーテンをまとって
あなたとわたしの過去と未来を思って
数えきれない襞の折り目をなぞって
体の内と外にひろがって
せめぎあうブラックとミルクをゆるして
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すうぃーとこみゅーたー2

2016年02月09日 | 
ホームに佇む人々に見えるは
電線を伝い
揺れている銀テープのごと
降り続く雨

蛇行するレール
獲物を狙う獣のように
ゆったりとなぞりながら
電車がホームに入ってくる

嚙み殺されるのはあくびばかりでなく
缶コーヒーは放られた
熱い
握り締めると
偽装は重ねられて

冬の樹々は呪いのように
逆立った髪の毛と両手の指と
天に向かって突き刺して
うつむく人々の間を闊歩する

まだ誰もいないフロアで
ひっそりと呼吸を続ける自動販売機
そうひとりでに
混沌さえもツクラレタこの街の
続きに見える人々も
内なる時計のメカニズム
我の意思さえ乗り越えて
ひとりで立っている


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夢は風穴

2016年02月07日 | 雑記
青山通りから小道に入り、いろんな灯りの建物の間を歩いていると、遠くに、きれいな人がいました。


子どもの頃、ドレスを着たお姫様を夢見ていました。
ということはなく、私は兄弟が兄二人なので、お揃いのカミキリムシのTシャツに短パンをはいて自分のことを「オレ」と言っていました。3歳ぐらいのとき、海でビキニの水着を出されて泣きました。こんなの嫌だー!と泣きまくって、ブラなしで着る、という妥協案に落ち着きました。

幼稚園や学校へ行くようになると「オレ」と言うことはなくなり、スカートもときどきはくようになりましたが、自分の中に「女子」という意識はあまりなかったような気がします。化粧をするようになるのも社会人になってしぶしぶ、という感じでした。抵抗感がなかなか抜けませんでした。そんなわけで素敵な花嫁になる、という夢は特になく、母がショーウインドウや雑誌などでドレスを見て、「素敵ねぇ」と言う気持ちがあまりよくわかりませんでした。

ところが不思議なもので、こんな私も結婚することになり、結婚式も挙げようということになって、ドレスを選ぶ、ブーケを選ぶ、テーブルに飾る花やカバーの色を選ぶ、となってみると、これがものすごく楽しかったのです。普段ファッション誌はほとんど見ないのですが、ドレスやブーケの載っている雑誌はめくっているだけでうっとり。自分が着る、ということ以上に、綺麗なモデルが美しいドレスを纏っている写真、色とりどりのブーケに見入っていました。それまでそんなことを楽しめる自分がいるとは思ってみませんでした。そういえば、昔、アイドルの写真集みたいの好きだったな、とふと思い出しました。しかもロマンチック系。かなり恥しいのですが、ゴクミが私の憧れで、文庫本を買いました。『ゴクミ語録』。それであの美少女が古い洋館のような部屋で、いま思うとメイド服!なのかな、を着て写っている写真を見て、うっとりしていました。

私には夢があります。なんて言うと実現したいこと、みたいな感じですが、そういうのではなくてもっと漠然とした夢。普段はそういう夢は景色の中に見ている。でもそんなきっかけがあってからはブライダルのお店のショーウィンドウにドレスが飾ってあるのを見たりしても、母のように、素敵ねぇと思うようになりました。それは自分が着たい、ということではなくて、ドレスに象徴される夢の世界への憧れみたいな感じです。こんなふうに私はいつまでも大人になりきれず、夢と現実と自分の三角関係の中で揺れています。うまくいかないことも多い地上の世界から離れた上の空のあのあたりに夢という風穴をいつも開けておきたい。現実とは別のところへの期待が行き過ぎると自爆テロのようなことになって、いやそこまで行かなくても、危険な、こともあるかもしれない。一方で、夢を捨てられず、どんどん現実がさびしいことになっていく、だけどそれは絶望ではないよね、もしかしたらそこに美しささえあるかもしれないよね、と光をあてることは文学のひとつの(古い?)テーマ?かもしれず、ただ実際私などは、現実力が少し乏しいような気がしないでもない。です。


近付いていくとこんなふうに


青山学院アスタジオという建物の中のSalon de TiTiというお店に向かいのお店Aria puraのディスプレイが写っている。
夢の中の階段を登っていく感じ……。
奥まって映っているのが非現実感を増してさらに素晴らしくロマンチック。




ディスプレイの下には向かいに映ったディスプレイがさらに映って立体的な三角関係。
養生のためのポリプロピレンだかポリエチレンだか(※)がドレスのドレープみたい


実際のディスプレイ




暗がりに浮かんでいるところがまた素敵


※以前バラエティ番組を見ていたら、これはビニールじゃない、とビニール業界の人が怒っていたので。ビニールと言いそうになるところをぐっとこらえて。

さらに追記
ふと思い出しました。母がやたらとドレスにうっとりしていたなぁという記憶のもと。ショーウィンドウよりも雑誌よりも何よりも、あれが、あったじゃないか。そう、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラや!(と、なぜか関西弁)
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