失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

高麗川~高麗

2011年07月17日 | 残ってほしい風景
八高線の高麗川駅から西武線の高麗駅まで歩きました。
距離は約7km、時間は3時間40分くらいでした(見学や食事の時間もふくめて)。
以下の写真はすべて2011/07/17撮影です。

<JR八高線高麗川駅前> 歩きはじめ9:50頃


<高麗神社>最初に高麗神社を目指しました。思っていたよりは大きな神社でした。
背後の山と一体になっている感じがいいです。


<高麗家住宅>高麗神社と隣接している高麗家住宅。この日は建物内への立ち入り禁止になっていました。


高麗神社から小道を通って、聖天院へ向かいます。

<聖天院>本堂は結構遠くからも見えていました。

<聖天院>中門から先に参拝するには参拝料300円です。
本堂前からの眺めが美しいので充分その価値ありだと思います。

聖天院を出て高麗川を渡り巾着田に向かいます。


<高麗川 あいあい橋から>こどもたちが水に飛び込む音がどぼんどぼんと聞こえていました。


<巾着田 あいあい橋付近から南西方向>全面に広がる田んぼの風景を期待していたので、
ここからの眺めは正直期待はずれでした。


曼珠沙華の季節にまた来てみたいです。


川に沿ってぐるっと進んでみます。奥の山は日和田山




やはり田んぼの風景がなくては。


高麗駅に向かう途中にある水天の碑。解説板によると、
「水天の碑は、天保年代(1830-1844)に繰り返された干魃、大洪水などの天災や水難事故を鎮めるために、
台村の人々が建立したものである。」とあります。
(この解説板の全体の記述にはすこし腑に落ちないところがあるのですが、後日の課題としておきます)
このブログで以前に飢饉供養碑についてちょっと触れたことがあります。
この水天の碑は名前からして主として雨(水害)や川に対するもののようですので、
飢饉の死者供養が直接の目的というわけではなさそうですが、
武蔵国近辺で、多少なりとも飢饉と関係のある碑を見るのははじめてです。



<西武池袋線高麗駅>13:40頃到着。



コメント
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