失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

ヨウカゾウ再考

2010年02月08日 | 民俗
昨年の2月8日に「八日ぞう」という風習・行事についてとりあげました。
その後追加して調べた分を加えて地図を作ってみました。(2010/2/11修正)
同一市内でも地域(家ごとにと言っていいかもしれません)に差がありますので、
調査の行われた地点ごとに点で示すべきですが、
地点を網羅するのはたいへんなので行政区の全部を塗りつぶしています。

<調べたエリアの塗り分け 
黄緑色:市史等にヨウカゾウ、八日節供、コトヨウカなどの記載があった地区 
水色:市史等の年中行事の記述に2/8、12/8の記載を見つけられなかった地区。
紫色:市史等に、2/8、12/8以外の日に似たような風習が記載されている地区
白:未見の地区>


節分の豆まきに「鬼の目をつぶせ」と唱えるところがあります。
ヨウカゾウの「一つ目小僧を目籠の目で退散させる」ことと似ているように思います。
豆まきは今でも全国で行われいますが、ヨウカゾウは消えていったようです。
その差はどこから生じたのでしょうか。思いつきを書いてみます。

そもそも目籠(メカゴ)や竹製のざるなどが日常生活からほとんど姿を消してしまいました。
竹製にとってかわったプラスチック製のザルは大量生産された器具であって、
魔物などと結びつけるには文明的すぎるのかもしれません。
そして、悪疫の原因もだんだんと解明されていった結果、
もはや一つ目小僧が悪疫をもたらすと考える人はほとんどいなくなりました。
(しかし、一つ目小僧にはリアリティーがなくなったのに、
同じくらいリアリティーがないはずの「トラの皮のパンツをはき角の生えた鬼」のほうは
今年も追い払っているのはどうしてか。やっぱりわからない。)

では、現代人がおそれる悪疫は何でしょうか。
新型インフルエンザなどそのひとつかもしれません。
それにはメカゴでなく、ワクチンで対抗するようになっています。
(今度はワクチン(製薬会社)に自分の命を握られてしまったのではないかという新たな不安が生まれた?)


昨年は「グミの枝やネギなどを燃やすことについて、風邪よけの効果があったかもしれない」と思いつきをのべてみました。
そのような効果はあるいはあるかもしれません。
しかし、強烈なにおいで魔物(得たいのしれないもの)を圧倒してしまおうという
「もっと素朴な対処法」がやはり基本だったのでしょう。
昔は自然災害やら病疫などの災厄については、原因や対策の知識が乏しかったため、お手上げだったはずです。
そこで人の力でいかんともしがたい脅威に対して、こちらも相手がいやがりそうなもので(くさいにおいなど)ともかくも対抗し、
厄除けしようとしたのでしょう。その気持ちはわかる気もします。

ヨウカゾウのもう一つの側面である「農耕を始める前に神様を迎える儀式」は、
明治に暦が変わって、それまでの季節とずれてしまったことで、
それまでの日付けで実施する意味が決定的に失われてしまったのかもしれません。

それ以上に、現代の都市生活者には農耕上の儀式は不要となりました。



(『市史』等の追加調べ)
●多摩地区について
昨年、『市史』に「民俗についての記述が見つからなかった」としていた、国分寺、小平、武蔵村山は、
それぞれ、『国分寺の民俗』、『小平町誌』、『村山町史』『武蔵村山市史 民俗編』『武蔵村山の民俗その1~その5』がありました。
各市とも12月8日、2月8日についての記述がありました。
武蔵村山市については『村山町史』に記述がありました。

昨年「民俗に2月8日、12月8日の記述がなかった」としていた奥多摩町は、
『奥多摩町史 民俗編』に、節分の行事として、
ヌキナシ(目籠)をトンボウ(入口)にかかげ、ヒイラギの枝といわしの頭を串刺しにして焼いたもの(ヤッカガシ)を目籠にさす行事は各地で見かけますが・・・」(p.271)
という記載がありました。この「各地」が奥多摩町内各地をさすのか微妙ですが、一応「奥多摩町内各地」と解釈しておきます。
瑞穂町はまだ2月8日、12月8日について記述した文献を見ていませんが、
ここだけこの風習がない理由もなさそうなので、もっと詳しく探せばなんらかが見つかるのではと思います。

昨年、「針供養のみ」としていた、狛江市は
『狛江・語りつぐむかし』(狛江市企画広報課編集・発行)に、
「メカリばあさんの来る日」(p.80-81)として2月8日と12月8日の記載がありました。
呼び名としては「狛江では上小足立で「八日どう」の呼び名を聞いた。」(p.81)とあります。
東大和市は『東大和市史 資料編9 道と地名と人のくらし』に
2月8日の説明として「・・・門口にメカゴ(目籠)を下げる「事八日」の名残もうかがえた。」(p.90)
とあります。これも「記載あり」とみなしておきます。

三鷹市は『三鷹の民俗』に記載がありました。

檜原村は『檜原村史』に一月八日のこととして記載がありました。
武蔵野市は、冬至の夜の話としてあげられ12月8日との混同ではないかとの記載でした。


○国分寺市:『国分寺の民俗』(国分寺市教育委員会)は地区ごとに1から6まであり、このうち2,3,5,6巻に12月8日、2月8日について記載がある。
名称:ヨウカゾウ、コトオサメ、コトハジメなど。
やってくるのは鬼、魔物。
履き物を夜外にだしておいてはいけない。
目かごを竹竿につけて、軒端へたてかけておく。ネギを焼く。

○武蔵村山市:『武蔵村山市史 民俗編』『武蔵村山の民俗その1~その5』(武蔵村山市)
2月8日は針供養とあるのみ。
『村山町史』p.569 節分とこと八日 
(引用)
・・・二月八日、十二月八日にも、ひいらぎを戸袋にさし、目かい、ふるいを戸袋に下げたが、ともに妖魔がひいらぎの葉のとげで家の中に入れず、一つ目小僧のような妖魔が目かいやふるいのように目のたくさんあるのをみてびっくりして逃げ帰ると信じられたもので・・・(引用おわり)


○小平市:『小平町誌』第四編 自然と民俗p.1293
(引用)
十二月八日はオコトノ日、またはオコトハジメ。
麦まきのころの一連の語り伝え、神のお旅立ちの信仰はきわめて広い地域できくことのできる信仰で、
恐らくはなにか非常に古い大切な行事の名残であろうと思われる。
(引用おわり)

○三鷹市:『三鷹の民俗』(井之口章次編 三鷹市教育委員会発行)は地区ごとにその1からその十一まで刊行されている。
このうち、1,2,3,4,6,9,10巻に12月8日、2月8日について記載がある。
名称:ヨウカゾウ、師走八日、コト八日
やってくるのは鬼、メカリババア、魔
疫病の神さんがはきものに判を押しにくる
軒端にメカイなどのザルを竿にさしてたてかけた

○檜原村:『檜原村史』(檜原村史編さん委員会編集、昭和56年)の民俗 「年中行事」の項に12月8日、2月8日の記載はない。
「禁忌・除けと呪い」の項に「悪病除け」として以下の記載がある。P.998-999
(引用)
一月八日に目数の多い物(籠等)を門口に置くと、悪病神が入って来ないと言われ、昔は大きな目の籠を置いた。
また、庭先で大根の葉を干したものと、グミの木を燃した煙や、大きな目がたくさんあるかご等は、悪病神が嫌いだったからだと言う。
(引用終わり)

○武蔵野市:『武蔵野市史』p.1166
(引用)
関前では冬至の夜に鬼がくると言って籠を竹竿の先につりさげた家があるが、これは12月8日のヨウカゾウとの混同ではないかと思う。
この日に一つ目の妖怪が来るといって、一月八日と同じように早く戸を閉めてミケ(目籠)を竹の棒の先につけて屋根に立てかける。
(引用おわり)

●多摩地区以外について
多摩地区以外の地域はどんな状況か。
このブログで取りあげたいくつかの地域をとりあげてみました。
隠れ里を探訪した、千葉県成田市、佐倉市、神奈川県藤沢市。
目久尻川流域を探訪した神奈川県海老名市、綾瀬市。
引地川流域を探訪した神奈川県大和市。
小出川流域、相模川河口の茅ヶ崎市。
堀兼井戸周辺を探訪した埼玉県狭山市、川越市。
賢治祭に行った岩手県花巻市などです。

○成田市:『成田市史 民俗編』p.3411
12月8日 大黒(あるいはエビス)様が帰ってくる日。
2月8日 大黒様が稼ぎにでかける日。
鬼を退散させるためメカゴをつるすのは節分の風習としてと記されている。

○佐倉市:『佐倉市史 民俗編』p.599-600
立春の前日の節分の日に、「おにやらい」(ひいらぎとぐみ、さかさ箸につけた鰯の頭をたばねたものを籠にとりつけたもの)を屋根にかかげる。

○藤沢市:『藤沢市史 第七巻』p.592-596
12月8日、2月8日
ヨウカゾウ、ヨウカドウ、オヨウカサマ、コトハジメ、コトオサメ、コトジマイ
目一つ小僧が来る日
履き物を外に出しておくと目一つ小僧が判をつけて行く
竹で編んだざるやかごなどを竹竿の先につけて、家の外へ高く掲げておく。

○海老名市:『海老名市史9 別編 民俗』p.487-488
12月8日、2月8日
ヨウカゾウ
一つ目小僧が来る日
履き物を外に出しておくと目一つ小僧が判をつけて行く
竹で編んだざるやかごなどを竹竿の先につけて、家の外へ高く掲げておく。

○綾瀬市:『綾瀬市史8(下) 別編 民俗』p.254、267
2月8日12月8日、
ヨウカゾウ、師走八日
目一つ小僧(一つ目小僧)が来る日
履き物を外に出しておくと目一つ小僧が判をつけて行く
目の多いサルやメカイを竹竿に懸けて屋根の上にのせたり、門口に掲げたり。

○大和市:『大和市史8(下) 別編 民俗』p.190、267
2月8日、12月8日
ヨウカゾウ
一つ目小僧が来る日
履き物を外に出しておくと目一つ小僧が判をつけて行く
目籠を竹竿の先につけて軒先や庭先にたてた。

○茅ヶ崎市:『茅ヶ崎市史3 考古・民俗編』p.565,575
2月8日、12月8日
ヨーカゾー、オコトジメー、師走八日、オコトハジメ
目一つ小僧が来る日
夜履き物を外へ出しっぱなしににすると目一つ小僧が焼印を押していくという。
目籠やソバスクイを高いところにかける。

○狭山市:『狭山市史 民俗編』p.255-258
12月8日
師走八日、八日節供
目の細かい竹籠を竹ざおにかぶせ、軒先にたてかけておく風習があった。また厄除けとしてネギの皮をいろりで燃やす家もある。

○川越市:『川越市史 民俗編』p.368,257
2月8日(三月八日としている地区もある)、12月8日
ヨウカゼック
魔除け
ミケイ(目かご)を竹の先につけて母屋の屋根にたてかける

○花巻市:『花巻市史 民俗編』p.56成田地区
(引用)
二月八日 薬師団子
疫病除祭といって、あづきだんご、おつゆだんご、ごまだんごなどをつくってたべる。
又この日百万辺念仏といって百八ツ玉つきの大珠珠を持って鐘を叩き各戸を心開念仏回向を唱えて歩く

(引用おわり)

補四 年中行事 p.95
2月8日
(引用)
八日団子 この日も団子をつくる。魔よけに鬼の絵をかいて張り出すのもあり、籾通しを門口に出す家もある。
(引用おわり)


おわり
コメント
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