失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

ひだる神

2007年02月17日 | 民俗
 柳田國男の『妖怪談義』に「ひだる神のこと」という項目があります。
 「夜刀の神」で神様の話を書いたので、今回は神様つながりで「ひだる神」をとりあげてみます。といっても、この神は、お社に祀られるような神ではないのですが。

(引用開始)
山路をあるいている者が、突然と烈しい飢渇疲労を感じて、一足も進めなくなってしまう。誰かが来合わせて救助せぬと、そのまま倒れて死んでしまう者さえある。何か僅かな食物を口に入れると、始めて人心地がついて次第に元に復する。普通はその原因をダルという目に見えぬ悪い霊の所為と解していたらしい。どうしてこういう生理的の現象が、ある山路に限って起こるのかという問題を考えてみるために、先ずなるべく広く各地の実例を集めてみたいと思う。
柳田國男『柳田國男全集6』ちくま文庫 p.113
(引用終わり)

 このあと、「伊勢から伊賀へ越えるある峠」、大和の「宇陀郡室生寺の参詣路」「仏隆寺阪の北表登り路中ほど」「長崎県の温泉岳の麓」などで、餓鬼あるいはひだる神に取り憑かれる例をあげ、最後に、読者に他の事例の報告を求めて終っています。

(引用開始)
少しでもこれに近い他の府県の実験談と、もしこの問題を記載した文献があるならば報告を受けたい。理由又は原因に関しても意見のある方は公表せられたい。これだけはすでに世に現れた材料であって、自分はまだ特別の研究を始めたわけではない。
柳田國男『柳田國男全集6』ちくま文庫 p.116
(引用終わり)

 南方熊楠は、雑誌『民族』で「ひだる神」について論じており、自らの「ガキに付かれた」体験を記して、この状態を「脳貧血」と表現しています。
『南方熊楠コレクションⅡ 南方民俗学』河出文庫 pp.311-317

 さて、柳田の求めた「ひだる神」の原因ですが、私は、この現象を、今日ではハンガーノックとして知られる生理現象であると考えます。
 長距離走やサイクリング、登山など、持久力を要するスポーツを空腹の状態で続けると、ある時点で足などに力が入らなくなり、ふらふらの状態になることがありますが、これはハンガーノックとして知られています。
 私は、昔、サイクリング中に、空腹のため、急激に足に力が入らなくなったことがあります。かろうじで食事をとれる場所にたどりつき、食事をとると、何事もなかったかのように元どおりになるということを経験したことがあります。
 今でも、空腹でサイクリングを続ければ、ふらふらになり、立っているのが精一杯という状態になります。(街中ではコンビニがいくらもあるので、空腹で走れなくなるようなことはまずならないのですが)

 山道などで、空腹のため、急に力が抜け、また食べ物を口にすれば何事もなかったかのように元気になるため、昔の人はこれを、何か憑き物がついたのだと考えたとしても不思議はないと思います。
 流通も発達しておらず、コンビニも自販機もなかった時代にあって、山道に入ってから食糧が乏しくなって、同じ難所でへたり込む人が多くいたとすれば、憑き物つきと特定の場所と結びつくことにつながったとも考えられます。

 今回のテーマと結び付く写真として、確か、「遠野」に、飢饉の際の餓死者供養塔があったように記憶しています。あいにくと手元に写真がありませんので、写真添付は、これも後日の宿題にしておきます。
コメント (2)
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