失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

民家園探訪 国立市

2010年09月19日 | 民家園

<「国立市古民家」(旧柳澤家住宅)2010/09/19>
今回とりあげた
「国立市古民家」
(旧柳澤家住宅)の
概略位置図です。
住所:国立市谷保1705-1
青色エリアが今回訪れた市(国立市)
みどり色のエリアは
このブログでこれまで取り上げた市。
ピンクの○印は
民家園のだいたいの位置です。


旧柳澤家住宅はこのブログですでに取り上げていますが、
あらためて「民家園探訪」の一環として前回とは別の視点を加えてみようと思います。

<母屋南側のシラカシのクネ 2010/4/24>


<2010/09/19>
屋内にあがっての写真撮影はOKでした。


<2010/09/19>
私は古民家園ではこの旧柳澤家に一番多く足を運んでいますが、
季節ごとに部屋の飾り付けが替わりますので、楽しませてもらっています。
今は「月見」

『国立市古民家復元の足跡』(国立市教育委員会 平成4年)には
移設復元時の屋根葺き(平成3年、1991年)は
「浦和・岩槻・大宮方面の職人の手によって行われた」
(p.74)と出ています。


現地案内版によると、
柳澤家の旧所在地は青柳502番地です。
上記『国立市古民家復元の足跡』
に旧所在地を示す大まかな地図が載っています。
これによると甲州街道の北側
青柳稲荷神社の向かいやや東になります。
距離は現在の民家園から直線にして約1.2km
左の地図で●が旧所在地
が現在の民家園の位置です。
地図は国土地理院の
1:25000地形図を縮小して使っています。





<国立市青柳 稲荷神社甲州街道側の鳥居 2010/09/12>

<国立市青柳 甲州街道柳澤家住宅旧所在地付近  2010/09/19>

<同上 2010/09/19>
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民家園探訪 武蔵村山市

2010年09月12日 | 民家園

<都立野山北・六道山公園 里山民家 2010/09/04>

今回はタイトルをどうするか少し悩みました。
この「里山民家」の原型は武蔵村山市にあったものではなく、
もとは東大和市にあったものを復元したものだそうなので。
建物は平成12年に建てられたものだそうです。
(「里山民家へ行ってみよう」http://www.sayamaparks.com/noyama/minka/による)
ですので古民家とか民家園といった言葉も
柔軟に(てきとーに)使うことにします。
いちおう、公開されている民家の建物が今建っている場所を基準にすることにしました。
ここでも、この建物を「里山民家」と呼ぶことにします。

今回の「里山民家」の
概略位置図です。
青色エリアが今回訪れた市。
(武蔵村山市)
みどり色のエリアは
このブログでこれまで取り上げた市。
ピンクの○印は
民家園のだいたいの位置です。
●印はこの民家の原型があった場所です
(東大和市)

上述のように
この建物は平成12年に
復元建設されたもの
ということで
建物内の撮影も
自由にどうぞということでした。











屋内でガイドをされている方に
屋根について
尋ねたところ
新築時に
カヤは岩手の北上川からもってきたこと、
まだ築10年ですが、
カラスが巣材として
カヤを抜き取っていったりするので
補充していかなかればならない、
といったことを教えてくれました。




復元のモデルとした建物は、東大和市高木にあった宮鍋家住宅だそうです。
(上記の「里山民家へ行ってみよう」による)
宮鍋家の住宅について公刊されている報告書としては
『旧宮鍋作造家住宅解体調査報告書』(東大和市、昭和62年)や
『東やまとの生活と文化』(東大和市教育委員会、昭和58年)の
「五、住(四)住居-宮鍋家を中心に-」などがあります。
『旧宮鍋作造家住宅解体調査報告書』に「周辺状況図」という地図が載っていて
民家のもとの場所がわかります。
現在の里山民家と旧所在地を地図に落としてみました。
直線距離で約6.5kmです。

<国土地理院1:25000地形図を加工して縮小>
がもとの所在地(東大和市)
●は現在の「里山民家」の位置(武蔵村山市)

上記の『東やまとの生活と文化』p.391には
「主に茅は、小川の方へ買いにいった。・・・ 小川の方は今のように家が建て込んでなくて、
平地山や茅野原があった。」と出ています。「小川」とは小平市の小川でしょう。

<東大和市高木 2010/09/11>

地図でみると
この生け垣の左側が
「旧宮鍋家民家」のあった
敷地のようです。
詮索はこれでおしまい。

暑い中を歩いていると、
街中にもっと生け垣が欲しいなと
おもいます。
そういう自分の家は
生け垣ではないです。
今あるブロック塀を直す
時期がきたときに
生け垣に作り直したいです。


<東大和市高木 2010/09/11>


里山民家の現位置と元の場所をならべてみました。

<左:武蔵村山 岸、右:東大和 高木>


最後に、「里山民家」の北にある岸田んぼの風景を(2010/09/04)








2010/10/16 所在地地図を差し替えた。文の一部を追加修正した。
2010/10/17 切り貼り合成の絵を削除した。
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民家園探訪 立川市

2010年09月05日 | 民家園
9/9追記

<立川市 川越道緑地古民家園 小林家住宅 2010/09/04>


探訪先の地図を入れてみました。

青色エリアが今回訪れた市。

みどり色のエリアは
このブログでこれまで取り上げた市。

ピンクの○印は
民家園のだいたいの位置です。


五日市街道砂川九番
バス停付近

パンフレットによると
小林家住宅は
このあたりにあったそうです

民家園はここから
600mくらいのところにあり
そう遠くないです。



園内で管理者の方に屋内での写真撮影について尋ねたところ「どうぞ」とのことでした。
神棚と仏壇

この日も暑かったですが

屋内は涼しげです

温度を測ってみればよかったです。

温度1回測ったくらいでは何も言えないんですけんども
「ですけんども」=多摩の方言?

9/9追記 『武蔵村山の昔がたり』(武蔵村山市教育委員会、平成2年)の
「武蔵村山の方言集」に「ケンド けれど」と出ていました。
これは武蔵村山の例ですが、同書では
(いわゆる村山ことばは)「武蔵村山のみで使われているものは少なく、
近隣地区も含めて、かなり広域で使用されている方言といえましょう。」(p.167)
と説明されています。
きっといくつか他の市の方言集の中にも「ケンド」が見つかると思います。

多摩地区周辺には、地形的に周囲から隔絶しているような地区は
あまりないでしょうから、言葉も広域で共通したものになるのも不思議はないでしょう。
周囲から隔絶していればそこは隠れ里。

だいぶ脱線しました。ここまで9/9追記


<民家園から西に約400m。植木屋さんの苗圃?と畑の風景>
連日の晴天猛暑で赤土が乾燥してパウダー状になってるところがありました。
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民家園探訪 小平ふるさと村

2010年07月25日 | 民家園
「小平ふるさと村」は「狭山・境緑道」(多摩湖~境浄水場)沿いにあります。
現地で配布している案内パンフレットには「営利を目的とした撮影等はできません。」
と書いてあります。「屋内での写真撮影はできるか」管理事務所できいたところ
「どうぞ」ということでした。


<旧神山(こうやま)家住宅>

<左:旧鈴木家住宅穀櫃、右:開拓当初の復元住居>
右の写真は古文書をもとに、小平の開拓当初の住居を復元したものだそうです。
いわば小平のパイオニアたちの様子を偲ぶことができます。
「ふるさと村」の設置意図の一つはそこにあるのでしょう。


<開拓当初の復元住居のなか>
現地で配布している各家屋ごとの解説シートには、復元の根拠にした古文書
(「小川家が代官所に差出した開発の請書の写し」)
の文面がちゃんとのっています。
つまりこの建物は
”開墾するにあたって、農民はこんな家に住まわせます”
という届け出書をもとにつくられています。

以下は神山(こうやま)家住宅。

<旧神山家住宅>

<旧神山家住宅>

<旧神山家住宅>

<旧神山家住宅 裏>

最後に、茅葺き屋根の話題を。
管理事務所で、解説シートを所望したところ、係の人が主な建物の説明をしてくれました。
その中で、茅葺き屋根の維持管理について尋ねたところ、
「材料は富士山の山麓から、屋根葺き職人さんは栃木から来てもらっている」とのことで
維持管理がたいへんなことは確かですが。
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民家園探訪 多摩市

2010年07月11日 | 民家園

<多摩市 中央公園 旧富沢家 2010/6/19>

先日多摩市の中央公園にある旧富沢家住宅に行ったところ、
ここは屋内の写真撮影禁止となっていました。
いままでに訪れた民家園で写真撮影禁止のところがあったかなと思い、
これを機会に、主に多摩地区の自治体が維持管理している民家園(民家建築)
をまわってみることにしました。


<多摩市 一本杉公園 旧加藤家(左の写真)、旧有山家(右) 2010/7/4>

まずは、多摩市から。一本杉公園に移築家屋が2軒あります。
ここは現地で管理人さんに「屋内で写真とってもいいでか」とたずねると、
いいですとのことでした。
多摩市の移設民家は上記の旧富沢家住宅を含め
3軒とも屋根が銅葺きに変わっているのが残念です。


<旧加藤家 2010/7/4>
案内パンフレットによるともとは「落合」にあったとのこと。
写真集では見たことがあります。

<旧加藤家 2010/7/4>


<旧有山家 2010/7/4>
こちらはパンフレットによると「乞田」にあったとのこと。
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旧柳澤家住宅 国立市

2010年02月21日 | 民家園

谷保の城山歴史環境保全地域(国立市)の南側にある「旧柳澤家住宅」の
シラカシのクネ。この時期は緑の葉が目立ちます。
古民家園なので、建物が移設された後に見本的に植えられたのかもしれませんが、
屋敷の南側に植えられているので、
本来なら、風よけあるいは日よけの目的ということになりましょう。
「緑のカーテン」の元祖ともいうべき。
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