失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

城山公園ファインタワーからの眺望 (稲城市)

2022年06月01日 | Weblog

<南方向 多摩丘陵>

<北方向 都心方向>

撮影日:2022/5/22
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府中郷土の森 ケヤキ

2021年12月28日 | Weblog
秋に府中郷土の森を訪れました。紅葉がきれいだったことに加えて、むかしの道を行っているかのような気分を味わうことができて、
満ち足りたひとときでした。


府中郷土の森については開園前との比較を2006年10月と2012年4月に、民家園探訪として2010年10月に、
梅まつりのころの様子を2016年2月に取り上げました。今回は郷土の風景というテーマで少し(浅く)書いてみます。

「むかしの道を行っているかのような気分」と書いたのは、園内の木々が成長してだんだん森としてなじんできたなという印象を持ったからです。
「なじんできた」というのは、「そこが昔からそのような森だった」ような感じとでもいったらいいでしょうか。
森ではなかった場所が(開園前の写真参照)、1987年の開園から34年で郷土の森に変わっています(*1)



園内の「はけ下」は府中崖線と多摩丘陵にはさまれた府中市の低地部を再現しているということです。そこ自体も浅い谷戸地形をなしているといえます。
そびえるけやきの木にさえぎられてさわがしい現代が及んでこない。そんな感じが昔の道の印象を与えたのでしょう。

府中市美術館には明治時代の府中を描いた絵が何点かあって、ちょっと上↑や下の写真↓のような感じの絵(*2)もありましたので、
「むかしの道」という感じもあながち独りよがりではないと思います。



「郷土の森」らしさとは何でしょうかね。
武蔵野の林のイメージというとやはり国木田独歩の影響が大きくて、「クヌギ・コナラ」の雑木林ということになりますが(*3)

<園内にはちゃんと「ハケの上」にクヌギ・コナラの雑木林があります>

農家の屋敷林や街道すじに近く遠く見えるケヤキも武蔵野の風景としては欠くことができない気がします。(*4)




『府中市の植生』(*5)には「自然保全のプランニング」として「大筋として配慮されなければならない考えられる2,3の点」
の一つに、「2。樹林の造成」として次のように記されています。

造成される樹林としては、武蔵野の、そして府中の自然を代表するようなものであると同時に、
その立地が成立を許容する植生でなければならないことはいうまでもない。現在の立地が成立を許容する潜在自然植生については、
別紙の潜在自然植生図に示されているが、造成される樹林はかならずしも自然植生に限られることはなく、その代償植生である
雑木林などの二次林を自然植生とともに造成することも、自然の多様性の維持という面から好ましいことと考えられる




上記引用文中の潜在自然植生図によると、今「郷土の森」となっている場所の潜在自然植生は「ハンノキークヌギ群落」となっています。
ここが「ハンノキークヌギ群落」に区分されたのは、開園前ここは水田(跡)だったことによるのでしょう。(*6)
その周囲は「シラカシ群集ケヤキ亜群集」です。開園に伴う土地造成により盛り土されていると思われますので、
現在は、潜在自然植生は園内も「シラカシ群集ケヤキ亜群集」と考えていいかもしれません。(*6)

ちなみに、ハンノキ林というと思い出すのは、川崎市早野です。

以下、園内風景を2枚。




(写真撮影 2021年11月14日)

*1 「1987年4月 郷土の森博物館開館」(府中市政策総務部広報課 編集『あの日の府中』府中市 2010年 p.196)
 府中郷土の森は「野外博物館」であって、鎮守の森を目指しているわけではないでしょうけれど、鎮守の森を作るとしたら100年かかると言われています。
 「ススキ原からスタートした明治神宮林も百年経つと、潜在自然植生とほぼ同じ種組成の樹林となりつつあり、鎮守の森と呼べるものになっている。」(原田洋・矢ケ崎朋樹『環境を守る森をつくる』海青社 2016年 p.53)
*2 吉野博 「府中」 水彩  府中市美術館蔵
*3 国木田独歩『武蔵野』「林は実に今の武蔵野の特色といっても宜い。則ち木は重に楢の類で・・・」
*4 「武蔵野にはケヤキが非常に多い。クヌギやコナラの雑木林以外で、この地方の林や樹林群をなしている所には必ずといってよいほどケヤキが見うけられる」
   奥富清・吉川順二・曽根伸典『府中市の植生』府中市 1975 p.57
*5 奥富清・吉川順二・曽根伸典『府中市の植生』府中市 1975 pp.65-66
*6 奥富清・吉川順二・曽根伸典『府中市の植生』府中市 1975 pp.42-43
  Tab..3.潜在自然植生図作成指針 地形地質その他欄「シラカシ群集ケヤキ亜群集:段丘崖、自然堤防、沖積低地の人工盛土他、台地上の凹地、水はけの良い適湿地」
                         「ハンノキークヌギ群落:現在水田やナシ畑として利用されている沖積低地、河辺高水敷」
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等々力渓谷公園 日本庭園

2021年12月08日 | Weblog
前回に続いてもう1回、「雑木の庭」の飯田十基氏の庭園について。
そもそも私は、数年前に読んだ岩波新書の『日本庭園』(小野健吉 2009年)によって飯田十基の名前を知っただけの
「にわかもの」なのですが、そこにはこんな記述が

(引用はじめ)
千を数えるともいう飯田が手がけた庭園の多くは、数百~数千平方メートル程度のものを中心とした住宅庭園であった。
このため、飯田の手になる庭園は、かつての自宅である旧飯田邸(東京都渋谷区)のほか、もともと個人住宅で今は公有化され公開されている
等々力渓谷公園日本庭園(東京都世田谷区)など少数が残るばかりである。
(引用おわり)

ちなみに、引用文中の「旧飯田邸」の庭はもう存在していないようです。庭というものも意外にはかないものです。
以下の写真、説明抜きでどうぞ




















(2021年11月23日撮影)
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対鷗荘跡(対鷗台公園) 多摩市連光寺

2021年11月14日 | Weblog

<対鷗台公園 2021/11/13>

前回、有栖川宮記念公園内の都立中央図書館に行ったと書きましたが、『飯田十基庭園作品集』を閲覧するためでした。
飯田十基氏(1890-1977)は「雑木の庭」の提唱者として知られている作庭家です。
『作品集』中の「庭園作品年譜」には昭和4年「対鷗荘聖蹟記念館」と記載があり、近場だったのでおやっと思いました。
対鷗荘とは、隅田川河畔にあった三条実美の別邸で、1929年に多摩村連光寺(現在は多摩市連光寺の対鷗台公園)に移築されました。
1988年に解体されたということで(*1)、庭園も残念ながら今はありません。


<対鷗台公園 イチョウの黄葉がきれい それにしても禁止看板4枚は立てすぎ 2021/11/13>

家から桜ヶ丘公園に出かけるときはよく対鷗台公園の脇を通ります。
これまではさして関心がなかったのですがにわかに興味がかき立てられました。

<「カシミール3D」(杉本智彦)で作成後加工 赤い〇印が対鷗台公園のおよその位置>


<大栗川と乞田川の合流点付近(向ノ岡橋) 2021/11/13 このあたりで1993年に撮った動画がありますので後日youtubeにupしようと思います>

<対鷗台公園の下の方から 2021/11/06>

<向ノ岡へあがっていく道 左が対鷗台公園 2021/11/06>

<対鷗台公園 2021/11/06>

現在の対鷗台公園からの眺めは建物にさえぎられてはいますが、近くは春日神社周辺の樹林や関戸天守台など、
遠くは丹沢が望めて、対鷗荘時代はなかなかの眺めだったのではないでしょうか

<対鷗台公園 丹沢の山並みがちょこっと見えています 2021/10/24>
カシミール3Dで作った眺望図ではこんな感じです。

<対鷗台公園付近からの南西方向の眺望図 「カシミール3D」(杉本智彦)で作成>

最後に、対鷗荘については『対鷗荘と多摩聖蹟記念館』旧多摩聖蹟記念館特別展図録(*1)が聖蹟記念館で販売されています。
中には「対鷗荘庭園設計図」が載っていました。庭園設計者についての言及はありませんでした。

*1『対鷗荘と多摩聖蹟記念館 旧多摩聖蹟記念館特別展 2002年11月』倉持順一 編著 多摩市教育委員会教育振興課 発行
平成14年初版 平成27年第二版





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有栖川宮記念公園

2021年10月30日 | Weblog
先日久しぶりに都立中央図書館に行きました。あいにく雨でしたが、雨にうるおう庭園もいいものです。
紅葉がもう少し進んだらさぞかしきれいでしょう。













<有栖川宮記念公園 2021/10/22>
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二ヶ領堰堤 尾根幹線 他

2021年09月20日 | Weblog
更新を怠っている間に季節がどんどん進んでしまい、夏の写真を上げそびれてしまいました。
今年は桜の開花、梅雨入り(関東以西)、秋の訪れ、と季節の進行が早すぎる感あり。
それはともかくとして・・・


<二ヶ領上河原堰堤 2021/9/11>


<尾根幹線から 2021/9/19>


<尾根幹線 2021/9/19>


<鶴川街道 2021/9/19>
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梅雨明けか

2021年07月15日 | Weblog
関東ではまだ梅雨明け宣言されてないようですが
梅雨明を思わせるような空と雲   2021/07/15


<多摩川左岸 是政橋下流>


<府中市郷土の森付近>
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5月の多摩川にて

2021年05月05日 | Weblog

<2021/05/02 川崎市>


<2021/05/02 川崎市>

<2021/05/04 稲城市>



<2021/05/02 稲城市>


<2021/05/09 府中市>
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2021 桜

2021年04月02日 | Weblog
桜の季節も、はや終盤になりました。しかし地面にはまだ満開の花が。

<多摩川右岸 稲城市 2021/04/01>

*******上の写真はこのあたりで撮りました******** 

そして、上の写真はこのあたりで撮りました

<多摩川左岸より稲城市方向>
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龍津寺 昭島市

2021年02月15日 | Weblog
昭島市の奥多摩街道(旧道)沿いには、拝島大師、諏訪神社、阿弥陀寺、そしてこの龍津寺など寺社が多くあり、
寺町というほどの集積度ではありませんが、社叢林・境内林そして崖線の斜面林などと相まって街道風景に風格を与えています。
立派な境内林に惹かれて足を止め参拝しました。


<奥多摩街道側から>




<穏やかな得がたいひととき>


<龍津寺下の水路>


<右側は東京都水道局拝島原水補給ポンプ所>


<同じく右側は東京都水道局拝島原水補給ポンプ所>

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