
『ミミさん、さようなら、木原光知子さんを送る会 』が
昨日の12月3日岡山シンフォニーホールに1500名が参列して、
行なわれました。
今日のこのページに哀悼の意を込めて一句載せます。

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【以下はテレビや新聞などで目にしたものです】
1964年東京五輪水泳代表でタレントとしても活躍され、去る10月18日に59歳で急逝した木原光知子さん。岡山県スポーツ界など郷土発展に情熱を注いだ木原さんに最後の別れを告げたということでした。
また、岡山県や山陽学園の感謝状が祭壇に飾られ、参列者全員で黙とう。石井正弘知事、牧脩弘・県水連終身名誉会長らが「ミミさんの水泳への熱い思いを引き継ぐ。空から見守ってください」などとお別れの言葉を述べられていました。
木原さんの母校・岡山山陽女高の生徒らが追悼歌、学園歌をささげ、実行委代表らが献花。木原さんの母綾子さん(89)が「光知子のために集まっていただき、ありがとうございました。ありがたく言葉になりません」と謝辞を述べておられたのが、印象的でした。
式典では東京五輪や岡山国体で活躍する木原さんの映像がスクリーンに映され、岡山パリ祭で木原さん自身が歌ったシャンソンが流れる中、参列者は祭壇に花を手向け、冥福を祈ったそうです。
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「岡山パリ祭」には、2003年と2004年の二度夫婦で

シンフォニーホールへ聴きに行きましたが、光知子さんの
素晴しい司会で笑いに包まれ、また光知子さんの堂々たるシャンソンの
歌いっぷりに遅いながら大フアンになったミコちゃんでした。
素敵な光知子さん、安らかに・・・そしてありがとう。