ミコちゃんの徒然日記

日々の雑感など

天災列島

2018年09月07日 | これは現実?

長い猛暑からやっと解放される、と思っていたら

大型台風の続発と6日には北海道が大規模な地震で

大変な被害となりました。相次いで来る自然災害に

息つく間もない日本列島です。

 

被災されました皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 

北海道の震度7という巨大直下型地震で

家屋倒壊や土砂の下敷きになられ、犠牲となられた

方々もおられ本当に胸が痛みます。

 

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

未だ安否の分からない人々が多くおられるそうで、

一刻も早い救助を心より祈念いたします。

 

 

我が家の花

 

 

我が家では、夏から敷地の北側を色々と工事しています。

茶屋町のN事業所さんのお世話で

7月19日に市の下水道に管を繋いで頂きました。

その後、外構工事を別の人にお願いしていました。

今年の春にお店の前やガレージのコンクリート打ちを

して下さったOさんです。8月末までは仕事が入っていて、

9月以降にと言われていましたが、早速5日から

来て下さったのです。

 

水道や下水道はライフラインなので、皆さんと一緒に

同じように整えたいですね。やっとそれが出来たのですが、

36年ほど経過したアスファルトは風化して、ボロボロ。

それで、良いチャンスとばかりに北側の地面の仕上げは

全面コンクリートに決めました。

温水器、コンプレッサー、エアコンの室外機、今まで使用し

要らなくなった浄化槽などの物体が沢山あって、

工事は困難だと思いますが、Oさんはお一人で

頑張って下さり、3日目にはほぼ地ならしが出来ました。

後は、来週10日に続きをして、鉄筋を敷き詰め、

12日朝に生コン車が来て、Oさんと左官屋さんとで

コンクリート仕上げをして頂いて終了となります。

外の仕事は、天候に左右されますので難しいものですね、

晴天より曇天くらいが体もラクですし、コンクリ打ち

の作業も大慌てでなく、し易いそうです。

↓要らなくなった浄化槽。

コンクリをばらしてその下部を電動サンダーで切り取って、

蓋と一緒に持って帰って下さり有難いです。

今夜からの雨に備えて、ブルーシートで覆って下さいました。

この中には土やジャリなどが詰まっていますが、

雨水が入ると困るのですね。

エアコンやコンプレッサーは特に配慮して、

少し浮き上がった状態で、その下部をコンクリにやり替えます。

Oさんはこの後、ロープで吊って浮かして下さったのです。

室外機をこのように宙に浮かせ、

下には雨水が入らないようにブルーシートを。

 今回で使用しなくなったコンクリの四角い枡の

左のは、取り外し土で穴を埋めて地ならしです。

春の工事の時は、Oさんはユンボを使用されたのですが、

今回はユンボは使用できないので、すべて道具を使い

ながらの手作業で、2~3日本当にきつかったと思います。

 

今日もご覧頂きありがとうございました。

 


豪雨災害から10日

2018年07月16日 | これは現実?
 
 
海の日
 感謝しつつ (19) 七変化 半夏雨飛翔せし小鳥を急かす半夏雨 半夏雨ゴーヤの蔓は天目指し   (句友リュウちゃん様作品)  毎年、7月1日か2日に「半夏生」の日......
 

 

 

 

西日本豪雨のあの日から10日が過ぎました。

11の府県の中でも、広島、岡山、愛媛の被害が

特に甚大でした。私の住む岡山県は、

「晴れの国」というキャッチフレーズで長年親しまれ、

災害の少ない県である、あり続ける、

という根拠のない過信を県民は持っていたようです。

この度の7月豪雨で打ちのめされ、安全神話に対する

考え方が根底から変わりました。

岡山県も広島県も同じくらい水害に弱いのだと。

井原鉄道の南側に流れている小田川と、支流の高馬川、末政川、

真谷川らの支流の8か所から決壊して、小田川の北側が広範囲に

冠水したのです。(南側も部分的に数か所浸水)

最初に水が溢れ出したのは、赤い印からでした。

倉敷市の伊東市長も初めての経験で、きりきり舞いの

10日間だったと思います。「倉敷駅前開発」に熱心に

取り組んでおられたらしいですが、やはり市民の安全な暮らしを

第一に考えて、改善しなければと気づかれたようです。

小田川の南側の地区には、早く避難指示が発令されましたが、

北側は水が溢れ出した後に(未明)発令されていたと言って、

住民は不信感を。。。一つ良かった(絶対に良いことではないですが)

のは、アルミ工場に泥水が入り水蒸気爆発が起き、

あまりの爆風、衝撃音と炎上に驚いた多くの人たちが

危険を感じて即避難したということでした。

しかしこの時既に、真夜中の11時半ごろです。

高齢者の方々、体調の良くない方々は不安なまま

一夜を過ごして(就寝中)いたのでしょう。まさか

自宅の2階まで水が来るとは。。お気の毒でたまりません。。

 

小田川の付け替えが必要だと以前から専門家によって

検証されていたそうで、今回、その工事を実行することが

決まりました。大被害の後になりましたが、今後の為に

石井啓一国土交通相が小田川の治水対策工事を今年秋にも

着工すると表明されたのです。それは柳井原貯水池という

広大な池(水深5メートル)へ向けて下るルートを作ります。

この貯水池は現在も高梁川へと繋がっています。大工事に

なりますが、この方法はバックウォーター現象の改善に

なるそうです。

14日の土曜日にパソコンボランティアに行きましたが、

皆さんから「家は大丈夫でしたか?」と訊ねられました。

皆さん、とても優しいですね^^。お互い大したことなくて

有難かったです。先生の息子さん(二男さん)が高校生で、

そのクラスに1名だけ真備町の男子がいて、早速クラスの

仲間たち17名ほどがボランティアに行ったそうです。

最初防塵マスクを着けていたけれど、暑いのと息苦しいのとで

普通のマスクに替えたそうです。ボランティアさんが全国から

連日参加して、炎天下に力仕事やお掃除をして下さって、

他人事と思わない優しい人が本当に多いですね。

美観地区を訪れる観光客は、「真備町はどの辺に

あるのですか?」と皆さん訊ねられるそうですよ。



今日もご覧くださり有難うございました。 

 


西日本豪雨 2018

2018年07月12日 | これは現実?
 
雲の峰 2017
九州北部豪雨災害発生から6日、犠牲者の皆様、被災された多くの皆様に心よりお見舞い申し上げます。そして、一日も早い復興をお祈りいたします。  突如悪夢の如き自......
 

 

日を追って、この度の記録的豪雨災害の被害が大きく

報道され、目を覆うばかりの現状が明らかになって

来ました。犠牲者や今だ行方不明の方々の人数が増えて

しまい、テレビの前で哀しく胸が塞がれ、ため息をつく

人ばかりではないでしょうか。西日本一帯でかつてない

甚大な災害が7月6日~7日~8日にかけて多発しました。

雨が上がり、水が退き、浸水した我が家の片づけに

戻られた人々は、どうしたらいいのか気が遠くなる

思いでしょう。

32℃越えの厳しい日々が続いていますし、被災者の方の

助け、支えが必要ですね。倉敷市真備町では4,600戸が

浸水したそうです。下水などの土砂との闘い。

使えなくなった家財道具は、粗大ごみとして所定の場所に

家族が近くにいない人や年配者だけの家は、誰か手助けが

必要ですね。毎日の飲み水は?食べ物は?

避難所の衛生面と熱中症対策は?入浴はホテルなどの

いろんな施設が無料開放して、協力してくれています。

皆さん入浴された時、一寸でもほっとされたことでしょう。

真備町でも高台に住んでいる方は、お握りを作っては

小学校へ運んでおられる(8日)、とある人から伺いました。

昨日我が家に来られたパン屋さん(毎週水曜日)の男性、

火曜日(10日)に真備町へボランティアとしてお手伝いに

行ったら、凄い匂いで耐えられないほどキツカッタと。

現地にずっと入られている人達に特に頭が下がります。

自衛隊や消防署など、他府県からも多大な

応援があり、感謝なことです。

 

 

大雨が一週間ほど降り続け、ダム湖が満帆になり、

川の氾濫や決壊が起きる。山や崖に土砂崩れが起き、

下にある住宅や道路、線路、インフラなどを破壊する。

ここでは犠牲者の人数や痛ましい画像はUPしませんが、

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

(茅ケ崎のI兄の家の月下美人が咲きました)

毎年咲いたお写真を送って下さり、ありがとうございます。

 

今日も ご覧くださりありがとうございました。

 


岡山豪雨 2018

2018年07月08日 | これは現実?
 
小暑の頃
 感謝しつつ (17) 梅雨の独り言 その3 紫陽花 2014 その2 額の花憂ひにも雨にも負けず額の花頬染めて乙女の夢や額の花額の花少女の夢の移りゆく  間もなく......
 

 

災害は本当にいつ何時やって来るかわかりませんね。

7月6日の午前中は、長雨にうんざりして、

洗濯物を干す場所もなく、コインランドリーに

夫が行って、乾燥だけでも30分はかかったと

乾かして持って帰ってくれたので大変助かりました。

私は七夕飾りをお店に飾ったり、炊事を

早めにしたりでごく普通の生活をしていました。

結論的には、我が家近辺は皆無事で有難かったです。

 

店の前の用水路の水嵩が上がり始め、でも下流へと

水は流れていますから、まぁ、よくあることと

思っていたのですが、いろんな情報が厳しい

ニュースとなって入ってきて、数十年に1度という

記録的豪雨で、各地に生命の危機が迫るらしいのです。

家の中ばかりで過ごしてのんきな私は、

そんなに酷いのかな?とまだあまりぴんと来ていま

せんでした。大雨特別警報、避難勧告等が当市や周辺の

市町村に出ていて、真備町に「避難指示・緊急」が出たのは

7日の未明でした。後から言っても仕方ないのですが、

もっと前に(6日の夕方迄に)出ていたらと・・・残念です。

勧告と指示・緊急に関しては、今後のためにしっかり

認識しなければなりませんし、行政もその情報を確実に

知らせる手だてを考えるべきですね。

 

6日、日没には目の前の用水路が溢れ出して、道路幅の

中央までやって来ていました。困ったことにならなければ

いいがと、不安になりましたが、何とか何時ものように

過ぎてくれるのでは...とまだ甘い考えがありました。

そして

この町で49年暮らして、初めてのことを経験する

夜となりました。町の三分の一近くが水没した

真備町からは、かなり離れた我が町です。

直線距離だと10キロ余り、車で走ると15キロ程

離れていますので、近いような遠いような。

今回の集中豪雨で、一級河川高梁川は氾濫しなったので

私たちの町は守られたのですが、真備町には2級河川の

小田川と小規模河川の高馬川が流れています。

この豪雨で6日夜から7日朝にかけて、堤防の3か所から決壊し、

真備町の内1,200ヘクタールを濁流が飲み込んだのでした。

その中には約4,700棟の家屋が建っていました。そして

まだ避難していなかった人々、約1,900人近い人が

屋上やベランダ、屋根の上、3階以上の階などにいて

救助を待ち続ける恐怖の夜になりました。

 

ここで

お話が前後しますが、私はいつものように終い湯で、その前に

トイレに入りました。ところが流してもゴボゴボと変な音がして

下から逆流してきたのです。水嵩が高くなって下げ止まりです。

噂に聞いていたことが、我が家に初めて起こったのです。

排水機能が麻痺したのですね、何とか早く回復して

くれないと皆が困ります。こんな状態ではお風呂の湯も

流さない方が良いのかと思い、今夜は入浴しないと決めました。

 

丁度この頃

息子や夫が用水路の水嵩を見て驚いていたので、私も店の前に。

何ともう我が家の敷地に川水が到達しています。

水は道路から我が家のコンクリートへ続き、30センチ程

敷地内に入り込んでいます、この雨が降り続けると玄関ドアの

位置まで上がって来るかもしれないので、息子が土嚢を裏から

持って来てくれました。これで入り口を塞げば少しはましですね。

息子は、傘をさして車の様子を見に離れた場所の駐車場まで

ジャブジャブと歩いて行き、私はドアの外で水の増え方を見ていました。

その時、何処かでドカン‼と聞いたこともない衝撃の爆発音が

したのですが、直後にバリッ!ゴロゴロゴロッと雷が天地を

引き裂くような大音量。早く息子が戻ってこないかと、心配で

たまりません。後で分かったことですが、6日の夜11時32分に

総社のアルミ工場に泥水が押し寄せ、水蒸気大爆発が起きて

そのあたり一面爆風で粉々、炎上したのです。1キロも離れた

会社のシャッターが何枚も爆風で歪み変形したとのことです。

 

息子が戻るころ、横の路地奥から一人の男性が歩き難そうに

ジャボジャボと歩いて来られ、よく話をするKさんだと

分かりました。外が心配で様子を見に来られたのですね。

「どがんになっとんかな!」お国訛りで。

まさかの時には、こうなります。私は困った顔で、

「トイレが流れなくなったんです!川の水が上がって!」と。

どうやらkさん宅では知らないのか、まだ大丈夫、流れるのか。。

「エエーッ」と驚いて帰って行かれました。

 

その後、万一のためにお店の中の物を上の方に 片付け、

やっと就寝することにしました。息子が殆どの力仕事をして

手際がとても良く、感心しました。老いては子に従えで、

私たち夫婦だけではノロノロでしょうと、頼もしく思いました。

午前4時に起きて、トイレに行くと中の水は減って、

流すと水は下に行ってくれたので、ほっとしました。

お隣さんたちも、同じようにゴボゴボと流れ難かったと

翌朝話が合いました。午前2時くらいに回復したのだそうです。

下水の排水はとても大事ですね、お風呂も排水の蓋をして、

湯舟に水を張っておけば、下水の逆流を防げますね。

 

ご覧くださりありがとうございました。

 

 


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