道彦の散歩道

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08/27 「たこ焼き」と「明石焼き」

2013年08月27日 | 食・レシピ

【たこ焼き
「たこ焼き」は、日本生まれの粉物料理の一種。 小麦粉の生地にタコを入れて直径3~5ミリほどの球形に焼き上げた、大坂発祥とされる料理である。

『概要』
「明石焼き」・「ちょぼ焼き」・「ラジオ焼き」をルーツとしており、おやつ・間食として食べられるが、ご飯のおかずとして食する地域もある。

『歴史』
たこ焼きの創始者は、大坂西成区「会津屋」の初代・遠藤留吉とされている。1993年、遠藤はラジオ焼きを改良し、従来のコンニャクの代わりに醤油味の牛肉を入れて「肉焼き」として販売。1938年、タコと鶏卵を入れる明石焼きに影響を受け、牛肉ではなくタコ・鶏卵を入れるうになり、「たこ焼き」と名付けた。
会津屋のたこ焼きは、生地に味がついているため何もつけずに食べるが、戦前は会津屋以外のたこ焼き屋でもダシや醤油味で何もつけずに食べるたこ焼きが大半だった。
1948年にトンカツソースが発明されたことにより、これがお好み焼きやたこ焼きにも用いられるようになったが、ダシや醤油味のソースをかけないたこ焼きも売られている。
第二次世界大戦前の大坂では、2個で1銭程度の価格で売られていた。戦後、たこ焼きを販売する者か増え、また週刊誌が大坂らしいものとして紹介したことで普及が加速し、1955年には大坂市内でたこ焼き屋が5000軒はあるという説が出るほど一般化した。その頃は10円で4個から6個という価格であった。
1960年中頃には、関東地方でも屋台での販売が見られるようになる。東京・銀座では生地にエビのすり身を入れたたこ焼きの屋台が、独特の風味で人気を博した。

『作り方』
水またはダシ汁で溶いた小麦粉を、多数の半球系の窪みのある鉄板に流し込み、タコなどの具材を窪みにひとつひとつ入れて加熱していき、生地を窪みの中でひとつひとつ裏返して球形に焼き上げる。
鉄板には、自動型や半自動型があり、素人でも焼き上げる事が出来るようになっている。

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【明石焼き】
「明石焼き」は、鶏卵・出汁・浮粉または沈粉と呼ばれる粉と小麦粉・タコを材料に調理される軽食で、兵庫県明石市の郷土料理である。

『概要』
柔らかく、直径5センチ程度の球形が自重で押し潰れたような形をしており、見た目はたこ焼きに似ている。江戸時代の末期頃から食べられていて、たこ焼きの元になった食べ物と云われている。
材料に鶏卵を使う点、生地が非常に柔らかい点、小麦粉以外に沈粉と呼ばれる小麦澱粉を使う点、焼き板が熱伝導が良い銅製である点、明石焼きを裏返す時に、銅製の焼き板を傷つけないよう、金属製の道具を用いず菜箸を使う点、具が基本的にタコのみである点などが、大坂の他たこ焼きと異なる点である。
焼く際に焼き板に胡麻油を曳く店舗もある。店によっては、タコ以外にこれも明石名産の穴子を具として入れているところもある。
小さなまな板状の木製の皿に盛り付けられ、添えて出される出汁に浸けて食べる。この出汁に浸して食べるスタイルこそが、明石焼きの最大の特徴である。
元々は熱い明石焼きを冷まして食べるために存在していた物であり、温度は常温であったが、現在は温めた出汁や常温の出汁を提供する店なとど様々である。出汁に薬味として三つ葉を浮かべて出す店舗も見られる。
まな板状の木皿は手前が低く奥が高くなっている。これは、皿の洗浄の際に同じ方向に重ねると水切りが良いためや、奥の柔らかい明石焼きを取りやすい為等諸説があり、また明石焼きが柔らかくまた崩れやすく、焼き板から木皿に取り出し難いため、焼き板の上に木皿をかぶせ焼き板ごと裏返しして板状の木皿に載せる。また、この焼き板を裏返して木皿の上に明石焼きを載せる動作も、明石焼きを焼く上でのひとつの見せ場になっている。

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