道彦の散歩道

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11/06 売れ筋最前線⑱

2014年11月06日 | 日記

【ハッカ油】

ペパーミントグリーン色のキャップを外し、シュッと一吹き。ひんやりと、心地よい香りが鼻の奥を刺激する。ハンカチに吹き付けて顔を拭いたり、部屋に芳香を漂わせたり。紅茶の香り付けや入浴剤、虫除けにも、うってつけの1本だ。

発売は「北見ハッカ通商」の会社創業の1984年。これまで累計500万本超を国内外で売り上げた。30年を経た今も、同社の売上高の約4~5割を占める主力商品だ。

同社のハッカ油は、スーとするハッカ成分(メントール)を40%弱含む植物油だ。インド産のハッカ草を水蒸気で蒸留して成分を抽出する。昔ながらの方法で現地生産された原油「取卸油」を輸入し、兵庫の香料メーカーに精製(濾過や冷却、遠心分離など)を委託している。
そこで針状のハッカ脳(ハッカの結晶)と分離された無色透明のハッカ油を、北見の本社工場に運び瓶詰めしている。

取卸油、ハッカ油、ハッカ脳はそれぞれ香りが異なり、通常は医薬品や食品などに加えて使う。創業社長の永田さんは「ハッカ油をそのまま、一般消費者向け商品として売り出したのは、うちの会社が初めてだろう」と胸を張る。

その原動力になったのは郷土への愛着だ。かって北見を世界に知らしめたシンボルだったハッカそのものを製品の香料としてではなく、消費者に直接届けたかったからだ。

北見地域でのハッカ草の栽培は明治期に始まり、ピークの1939年に栽培面積は2万ヘクタールに達した。
北見産のハッカ製品は世界シェア約7割と、国際市場を席巻した。その黄金期を作り上げた源が「ホクレン北見薄荷工場」。
ここで、地場のハッカ草をハッカ脳とハッカ油に精製し、医薬品や歯磨き粉、菓子などの原料として世界中に輸出して、貴重な外貨獲得の役割を担っていた。

しかし、南米産などの輸入ハッカ草や、石油からつくる合成ハッカの台頭で衰退の一途をたどり、83年にホクレンの工場は閉鎖された。

そこで84年、永田社長が「北見を発展させたハッカの灯りを継承しなければ」と立ち上がった。ハッカ飴を作っていた家業の「永田製飴」を退職して起業した。

最初は天然ハッカ油が入った15キログラム1缶を仕入れ、小分けにして「ハッカ油ボトル」を発売した。翌年には、気軽にシュッと一吹きできる「ハッカ油スプレー」を売り出した。

とはいえ、ヒットへの道のりは「苦労の歴史」だった。

一つは容器作り。ハッカ油はプラスチックを溶かし、ガラスも変色させてしまう。さまざまな材質で試行錯誤を経て、化学実験のビーカーや試験管に使われる特殊ガラスを採用した。

さらに、北見農業は当時、大きな転換点を迎えており、逆風の中での船出を余儀なくされた。すでに農産物の主役はハッカ草からタマネギに交代しており、ハッカは「過去の遺産」と位置づけられ、「地域の後押しはほとんど無かった」ためだ。

知名度を上げるため、全国に販路を求めた。ハッカ油を手に使い方を詳しく説明しながら各地の百貨店などを行脚した。そうした地道な営業が実を結び、今では本州の物産展でなじみの商品に育った。

こうした「ハッカの継承と全国発信」を続ける一方、ここ数年、力を入れているのが国産ハッカの復活だ。

2004年に北見でハッカ草の試験栽培を始め、2年後にはオホーツク管内でハッカ草の契約栽培をスタートさせた。13年には農業生産法人の北見ハッカ研究所を設立し、北見市仁頃地区でハッカ草の栽培を開始した。同研究所によるハッカ畑の面積は現在約2ヘクタールで、まずは約10ヘクタールまで広げる計画だ。

収穫したハッカ草を精製して作ったハッカ油とハッカ脳は、自社製品の原料にする量を確保できるようになってきた。今年6月に発売した「ペパーミントキャンディー」と、顔の汗も拭けるウエットティシュ「ミントフェイス」はともに、北見産ハッカ草を原料に使っている。

今はまだ、すべての商品原料の9割程度は輸入に頼っているが、一歩ずつ北見産ハッカの比率を高めて行くのが目標。「北見にか無い歴史を踏まえ、地域資源であるハッカの再生を目指す。そのために生まれた会社ですから」。社長はそう力を込めた。

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