道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

12/31 なまはげ

2013年12月31日 | 豆知識

「なまはげ」とは、大晦日に秋田県の男鹿市と三種町、潟上市の一部の各家々で行われる伝統的な民俗行事。本来は小正月の行事であった。
「男鹿のなまはげ」として、国の重要無形文化財に指定されている。

『概要』

冬に囲炉裏にあたっていると手足に「ナモミ」「アマ」と呼ばれる低温火傷が出来ることがある。「それを剥いで」怠け者を懲らしめ、災いを祓い祝福を与えるという意味での「ナモミ剥ぎ」から「なまはげ」「アマミハギ」「ナモミハギ」などと呼ばれるようになった。一般的に、赤面がジジナマハゲ、青面がババナマハゲとされている。

鬼の面、ケラミノ、ハバキを身に付け、大きな出刃包丁を持ったなまはげが家々を訪れ、「悪い子はいねがー」「泣く子はいねがー」という荒々しい声を発しながら怠け者、子供や初嫁を探して暴れる。主人はなまはげをなだめながら丁重にもてなす。

同様の行事は同じ秋田県秋田市の「やまはげ」、秋田県能代市の「ナゴメハギ」、山形県遊左市の「アマハゲ」など、主に本州北部の日本海沿岸各地に存在し、新潟県村上市や石川県能登地方には「あまめはぎ」が伝えられ、福井県には語源は異なるが「あっぽっしゃ」等の呼び名でも分布する。太平洋側の数カ所にも同様の行事が存在している。

『ルーツ』

妖怪などと同様に民間伝承であるため、正確な発祥などは分かっていない。異形の神が脅して教訓を与える祭りとして、鹿児島県薩摩川内市の飯島列島に「トシドン」という類似の行事があり、トカラ列島にはボゼ神の祭りがある。これらとなまはげを関連づける意見もある。
また、「なまはげ」のモデルは、漂流してきたものの、異形で異なる言葉から住民と交われず、人里離れた場所にひっそりと住み着いた外国人(白人)ではないかというような説もある。

「農閑期の終わりを前に、農民を管理していた当時の役人が農民達の怠情を戒める為に鬼のような形相で各戸を訪問してきたことがルーツである」などとも言われている。

『現代』

大晦日のほかに「なまはげ紫灯(せど)まつり」が2月にあり、これは主に観光向け行事として親しまれている。こちらは、なまはげの着ているケラから落ちた藁を頭などに巻き付けると無病息災のご利益があると言われている。

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12/31 除夜の鐘

2013年12月31日 | 豆知識

「除夜の鐘」は、日本仏教にて年末年始に行われる年中行事の一つ。12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院の梵鐘を撞くことである。中国から宋代に渡来した習慣とも言われる。除夜の鐘とは、梵鐘自体のことではない。(通常の梵鐘が使われる)。

『108つの由来』

除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる。この「108」という数の由来については次の様な複数の説がある。格別にどれが正しいということはないが一般には「煩悩説」が有名である。なお、寺により、撞く回数は108回と決まらず、200以上の場合等がある。

「煩悩の数を表す」

眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)・の六根のそれぞれに好(こう:気持ちが好い)・悪(あく:気持ちが悪い)・平(へい:どうでもよい)があって18類、この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の2類があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す。

「一年間を表す」

月の数の12,二十四節気の数の24,72候の数の72を足した数が108となり、一年間を表す。

「四苦八苦を表す」

四苦八苦を取り払うということで、4×9+8×9=108をかけたとも言われている。

『作法』

鐘を撞く前には鐘に向かって合掌する。108回撞く寺院においては、多くが108回のうち107回は旧年(12月31日)のうちに撞き、残りの1回を新年(1月1日)に撞く。ただし、静岡県富士宮市の大石寺では例外的に年明けと同時に1つ目が撞かれる。

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12/31 年越し蕎麦

2013年12月31日 | 食・レシピ

「年越し蕎麦」とは、大晦日(12月31日)に縁起を担いで食べる蕎麦で、歳末の風物詩ともなっている。日本の文化であり風習である。地域による特色があり、呼び方も「晦日蕎麦」、「大年そば」、「つごもり蕎麦」、「運蕎麦」、「大晦日蕎麦」、「年取り蕎麦」、「年切り蕎麦」、「縁切り蕎麦」、「寿命蕎麦」、「福蕎麦」、「思案蕎麦」と多くある。

『概要』

江戸時代には定着した日本の風習であり、蕎麦は他の麺類よりも切れやすいことから「今年1年の災厄を断ち切る」という意味で、大晦日の晩の年越し前に食べる蕎麦である。
2012年現在、大晦日に年越し蕎麦を食べる人は57.6%にのぼり、文化として深く定着していることが窺える。

『歴史と由来』

1814年の大阪繁花風土記には年越し蕎麦に関する以下のような記述が残っている。

12月31日晦日そばとて、皆々そば切りをくろふ。当月節分、年越蕎麦とて食す。

このことから、遅くとも1814年には江戸で年越し蕎麦が文化として定着していたことが窺える。

さらに年越し蕎麦の起源を遡ると、江戸時代中期には商家に月の末日に蕎麦を食べる「30日蕎麦(みそかそば)」という習慣があり、これが転じて大晦日だけに行われる「年越し蕎麦」になったと考えられる。

年越し蕎麦の伝承としては、年を越してから食べることは縁起がよくないとするものや、蕎麦を残すと新年に金運に恵まれず小遣い銭にも事欠くことになる、といったものがある。

年越し蕎麦の由来については諸説ある。
■蕎麦は細く長いことから延命・長寿を願ったものであるとする説
■金銀細工師がキンパクを伸ばす際に蕎麦粉を用いたとする説

■金銀細工師が金粉銀粉を集める為に蕎麦粉の団子を使用したことから金を集める縁起物であるとする説
■鎌倉時代の謝国明による承天寺の「世直しそば」に由来するという説
■蕎麦は雨風に叩かれてもその後の晴天で日光を浴びると元気になることから健康の縁起を担ぐとする説
■蕎麦が五臓の毒を取ると信じられていたことに由来するとの説
■蕎麦は切れやすいことから、1年間の苦労や借金を切り捨て翌年に持ち越さないよう願ったという説
■家族の縁が長く続くようにとの意味であるとの説

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12/31 注連縄

2013年12月31日 | 豆知識

「注連縄(しめなわ)」は、神道における祭典具で、糸の字の象形を成す紙垂(しで)をつけた縄をさす。

『概要』

現在の神社神道では「社(やしろ)」・神域とゲンセイ隔てる境界の役割を持つ。また神社の周り、あるいは神体を縄で囲い、その中を神域としたり、厄や禍を祓ったりする意味もある。御霊代(みたましろ)・依り代(よよしろ)として神がここに宿る印ともされる。古神道においては、神域はすなわち常世であり、俗世は現実社会を意味する現世(うつしょ)であり、注連縄はこの二つの世界の端境や結界を表し、場所によっては禁足地の印にもなる。

御旅所や、山の大岩、湧水地、巨木、海の岩礁の「奇岩」などにも注連縄が張られる。
また、日本の正月に、家々の門や玄関や、出入り口、また、車や自転車などにする注連飾りも、注連縄の一形態であり、厄や禍を祓う結界の意味を持ち、大相撲の最高位の大関の中で、選ばれた特別な力士だけが、締めることが出来る横綱も注連縄である。

『起源

「日本神話」

天照大神が天岩戸から出た際、二度と天岩戸に入れないように太玉命が注連縄で戸を塞いだのが起源しされる。

「稲作信仰」

稲作信仰は神道の根幹をなす一つであり、古くから古神道に依存し、縄の材料は刈り取って干した稲藁、叉は麻であり、稲作文化と関連の深い風習と考えられる。

「古神道」

神が鎮座する山や森を神奈備といい信仰した。後に森や木々の神籠(ひもろぎ)や山や岩の磐座(いわくら)も、神が降りて宿る場所あるいは神体として祀られ、その証に注連縄が巻かれた。

『形状と材料』

注連縄・注連飾りには、大根締め、ゴボウ締め、輪飾りなど色々な種類の形式がある。大根締めは両端がつぼまり、ゴボウ締めは片側のみが細い。

材料は稲や麻などの藁や、葛の茎を煮て抽出した繊維が使われるが、近年の家庭用の注連縄にはビニール製も増えてきた。神道としては、米を収穫した後の藁ではなく、出稲前の青々とした稲を刈り取って乾燥させたものが本来の姿である。また、芯材として米を収穫した後の藁(芯わら)も使用するが、太さが必要な際には多くの芯藁を使用する。

『飾る時期』

飾り始める日は松飾りの飾る時期と同じ扱いで良いが、地域によって異なり、現在では一般にクリスマス後から28日までに飾る。29日と31日に飾る事は縁起が悪いとされ、31日に飾る事を「一夜飾り」といい、迎え入れる神様に失礼であるとされる。飾りを外す日も地域によって異なり、1月7日に七草がゆを食べた後、もしくは15日の小正月の後に外すとされる。一方、三重県伊勢志摩地方などでは1年中注連縄が飾られる。

『注連飾り』

本来の意義は、各家庭が正月を迎える年神を祀るための依り代とするものである。現在でも注連飾りを玄関に飾る民家が多く見られる。
形状は、神社等で飾られる注連縄の小型版に装飾を加えたもので、注連縄に、邪気を払い神域を示す神垂をはじめ、子孫の連続を象徴する橙の実やユズリハの葉、誠実・清廉潔白を象徴するウラジロの葉などのほか、東京を中心に海老の頭部(レプリカ)などが添付されることが多い。

「出雲大社の注連縄」

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「関東地方の民家の注連飾り」

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「神棚のゴボウ締め」

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12/31 鏡餅

2013年12月31日 | 豆知識

「鏡餅」とは、餅を神仏に供える正月飾り(床飾り)であり、穀物神である「年神(歳神)」への供え物である。

『名称の由来』

「鏡餅」という名称は、昔の鏡に似ていることによる。昔の鏡は青銅製の丸形で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八尺鏡(やたのかがみ)を型取ったものとも言われる。三種の神器の他の二つ、八尺瓊勾玉に見立てた物が橙(ダイダイ)、くさなぎの剣に見立てた物が串柿であるとされる。

『沿革』

鏡餅が現在のような形で供えられるようになったのは、家に床の間が作られるようになった室町時代以降である。

武家では、床の間に具足(甲冑)を飾り、その前に鏡餅を供えた。鏡餅には、譲葉・熨斗・鮑・海老・昆布・橙などを載せるのが通例となり、これは具足餅と呼ばれた。

『飾り方』

三種の神器または心臓を形取ったとされる。丸い餅を使用する。

一般的には、大小2つの平たい球状の餅と橙が使用されるが、地域によっては違いがあり、餅が三段のものと、二段の片方を紅く着色して縁起が良いとされる紅白としたもの(石川県)、餅の替わりに砂糖で形作ったもの、細長く伸ばしたものを渦巻き状に丸めてとぐろを巻いた白蛇に見立てたものなど様々である。また現代では橙の入手が難しい場合には温州ミカンで代用するケースも見られる。

また、三方に半紙を敷き、その上に裏白(羊歯の一種)を載せ、大小2つの餅を重ね、その上に串柿・干しスルメ・橙・昆布など゛を飾るようになっている。
鏡餅の飾り方には地域によって様々であり、串柿が無い地域や、餅と糯の間に譲葉を挟む地域、昆布とスルメを細かく切ったものを米に混ぜて半紙でくるんだ物を乗せる地域などもある。

近年は、家庭内に飾ることの利便性と、後で食べる際の衛生面を考えて、鏡餅が重なった姿を型取ったプラスチックの容器に充填した餅や、同様の容器に個別に包装された小さな餅を多数入れ、プラスチック製の橙などとセットにした商品が多く、各餅製造会社より発売されている。

神仏に捧げる鏡餅を飾る場所として、床の間が最もふさわしいが、無い場合は、玄関から遠い、奥まった位置にするのがふさわしいとされる。

『飾る期間』

鏡餅を飾り始めるのは、早くても問題とされないが12月28日が最適とされる事が多い。「八」が末広がりで日本では良い数字とされているからである。12月31日を除く大安を選んで供える地域もある。

■12月29日は、日本では「九」が苦しむにつながるので避けるべきとされる。逆に29を「福」と読み替えて、この日に餅を搗く地域もある。
■12月30日はキリの良い数字なので悪くないと考えられている。但し、旧暦では12月は30日までしかない為、旧暦通りならば「一夜餅」の扱いになるので忌避される場合もある。
■12月31日に飾るのは、「誠意に欠ける」「葬儀の飾り方を連想する」などの理由により「一夜飾り」「一夜餅」として忌避される。但し、浄土真宗はこの限りでない。
■神様への供え物なので、松の内に下げたり食べたりせずに飾っておく。
■松の内が終わり御供えが終了した後は、飾ったままにせず下げる。

「鏡開き」

正月が終わって下げた餅は「鏡開き」を行い、餅を食することになる。鏡は円満を、開くは末広がりを意味し、また刃物で切るのは切腹を連想させるので手や木槌で餅を食べやすい大きさに分解する。正月を過ぎた餅は概ね生食するにには硬すぎるほど乾燥しひび割れているため、主に汁粉や雑煮などにして食する。

元々は松の内が終わる小正月(1月15日)の後の1月20日(旧暦)に行われていたが、徳川家光の没日が慶安4年4月20日(旧暦)であったため1月20日を忌日として避け。幾たびかの変遷の後に現在は概ね松の内(1月7日)が終わった後の1月11日に行われる。

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