道彦の散歩道

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
毎日の事件事故の記録

小樽紀行⑦

2010年09月28日 | まち歩き

小樽市には今回掲載した以外にもまだまだ古い建物が色内地区や住吉地区を中心に散在している。以下の写真はそれらをランダムに写したものである。

この家は私が小学校から高校卒業まで暮らした家です。当時のままの姿を保っていました。

Img_0242

小樽名物の飴、「澤の露」です。今回もお土産を購入

Img_0244

小樽の老舗菓子店「新倉屋」。店舗は新しくなっていました。

Img_0246

Img_0257

Img_0261

Img_0263

Img_0264

Img_0265

Img_0267

小樽港から天狗山方向を見る

Img_0272

Img_0273


小樽紀行⑥

2010年09月28日 | まち歩き

【天上寺本堂】  このお寺は、明治13年、奥沢十字街近くに浄土宗函館中教院小樽出張所を開いたのが始まりで、明治15年に天上寺を公称している。この本堂は、明治23年に入船十字街近くに建立され、その後、大正4年に現在地に移築された。その外観は、長野県の善光寺の外観を模した入母屋妻入。内部は、中央に設けられた柱列で、外陣と内陣に分けられ、その奥に阿弥陀3尊が安置されている。

Img_0211_2

【遠藤又兵衛邸→立正佼成会小樽教会】   明治35年に建てられたこの建物は、海産物卸商で富みを築いた遠藤又兵衛の邸宅だった。邸宅は、小樽港を望む高台にあり、木造瓦葺き下見板張りの武家屋敷を思わせる豪壮なつくりで、和風を基調としながらも、玄関脇の応接間に大きな三面のベイウインドウをつけた和洋折衷住宅。また、重厚な門、塀には鷲などの飾り瓦が付き、全体的に良く調和のとれた建物といえる。

Img_0212

【カトリック富岡教会】  小樽におけるカトリックの布教は明治15年に始まり、数度の聖堂建設を経て昭和3年に現在地に起工し、翌年6月30日に献堂式を挙げた。正面玄関部の尖塔ア-チから十字架を掲げた八角小塔にいたる上昇感を強調した建物で、外観は主にゴジック様式を取り入れている。2階にある礼拝堂には、色ガラスを組み合わせたア-チ窓から柔らかな光が入り、神聖な空間となっている。

Img_0213

【島谷汽船(株)社長宅】  昭和2年に建てられたこの建物は、港を見下ろす富岡の高台にあり、玄関と2階入母屋瓦葺屋根の重なりがあり重厚な印象を与えている。全体わ和風にまとめながら、一部応接間に洋風を取り入れている。戦後は一時進駐軍の情報部として使用されていたと伝えられている。昭和初期の小樽を代表する住宅建築である。

Img_0214

【小樽組合基督教会】  大正15年に建てられたこの建物は、公園通りの景観に魅力を添える教会で、2階礼拝堂への階段塔が角地を強調している。尖頭ア-チや装飾ア-チ帯などでゴジック風にデザインされている。玄関ア-チは昭和47年の改修で形態を変え、3連ア-チとなっている。

Img_0218

【小樽区公会堂】  明治44年、皇太子の本堂行啓に際してのご宿泊所として建てられた。この時、小樽区への寄付を申し出たのが、海産商として名を馳せた藤山要吉である。工事を請け負ったのは小樽の棟梁加藤忠五郎です。建物は和風の建築様式で、御殿、本館、付属建物からなる。行啓後公会堂として活用されるが、市民会館建設に伴い、昭和35年に現在地に移築された。この時、御殿と本館の配置が代わり、地下部分が増設されている。

Img_0220

【小樽市役所】  小樽の有力者・土肥太吉の10万円の寄付を機に昭和8年に新築された。設計者は小樽市建築課長だった成田幸一郎以下の建築課スタッフで、土肥秀二もかかわったと言われている。外壁はタイル張りで、正面入口の車寄せ部分とその周辺を茨城県産花崗岩積みとした近代建築。正面上部に彫刻を施した6本の柱を配し、内部中央部階段の正面はステンドグラスで彩られ、重厚な市庁舎となっている。

Img_0221

【花園町会館】  昭和2年建設の会館の維持管理は、周辺の6町内会が出資する有限会社で行っている。外観正面は、左右対称のデザインとなっている。縦長の正面は、マンサ-ド屋根のつく玄関から2階上部小屋裏の窓上まで、変化のある形が並び、最上部に切妻の三角屋根をのせている。平成12年に外壁や屋根などの補修工事が施されている。

Img_0223

【小樽無尽(株)本社→おたる無尽ビル】  昭和10年に建てられたこの建物は、後に北洋無尽と名称を変え、また、本店を札幌に移した後も北洋相互銀行の小樽支店へと変遷し営業を続けてきた。しかし、平成13年、北洋銀行のの店舗統合により小樽支店が廃止され、取り壊される計画が起き、これを知った市民有志がこの建物を自ら買い取り、今では市民の集う建物に活用されている。外観は幾何学的デザインのモダニズム建築であり、八角柱と装飾がその特徴である。

Img_0225

【猪俣安之丞邸→銀鱗荘】  小樽の港を一望する平磯岬の高台に、どっしりとした構えで立っている銀鱗荘の建物は、余市で事業家として成功した猪俣安之丞により、建てられました。現在は観光旅館として利用されているが、冬期は休業となる。明治33年に3年の歳月をかけ余市に建てられ、昭和13年に現在地に移築された。余市随一の大邸宅だったこの建物は、木造平屋建ての大規模な中に、華麗さを見せる建物だ。屋根中央には、シンボルとなっている望楼があり、両端に鯱が据えられているが、これは移築後のもの。他の市から、移築されて建っている建物としては、祝津の鰊御殿と双璧をなす。

Img_0226

【北海道庁土木部小樽築港事務所見張所】  昭和10年建てられたこの建物は、北海道経済を先導してきた小樽港の発展とともに歩んできた事務所である。小規模であるが、外壁は2種類の板壁を使い分け、方形屋根に小さい屋根をのせるなど、工夫を凝らしている。小樽港縦貫線の道路工事に伴い、平成13年に東より約60メ-トルの位置から現在地へ曳き家されている。

Img_0229

【徳源寺本堂】  このお寺は、文久2年塩谷村吉原に創立され、その後、明治30年に現在の場所にこの本堂が建てられた。本堂の屋根は入母屋造りで正面中央に唐破風をつけている。本堂の平面は奥から内陣、外陣、廊下からなり、内陣の左右に脇陣がある。本堂と左手の龍神堂が並ぶ形式は、小樽市真栄の龍徳寺と共通している。境内には、小樽市の保存樹木に指定されているクロマツとイチョウがある。

Img_0230

【高島町役場庁舎→小樽高島町診療所】  昭和10年に建てられたこの建物は、高島町役場として新築されたが、昭和15年の小樽市との合併により小樽市役所高島支所となり、昭和21年から診療所として使われている。外壁は石綿セメント板を下見板風に羽重ねし、ネジとめとている。1,2階を通した窓額縁、その間のパネルのメダル状装飾などが、洋風建築の趣を伝えている。高島町時代のシンボルとして地区の大切な建物となっています。

Img_0231

【渡邊酒造店】  昭和5年梁川通りの角地に建ち、この地区のランドマ-クとなっている。建物の外壁に褐色のタイルを貼り、軒先には雷文や卵と檜の模様をつけ、2階窓上には酒樽の看板を掲げている。店内には、天井に模様を型押しした金属板を貼り、壁に鏡を飾るなど、昭和初期のモダンなデザインを伝えている。同時期に建てられた田中酒造店は、木造建築で町屋形式の外観をもち、対照的な形態といえる。

Img_0232

【篠田倉庫】  大正14年に建てられた本倉庫は小樽運河の海側に建ち、連続して倉庫群れを形成する主要な建造物です。煉瓦の壁は、周辺の石やコンクリ-ト壁に対して景観のポイントになっている。構造は、内部の柱や梁を木で組み立て、外壁に煉瓦を積み立てる「木骨煉瓦造」で、小樽の同規模の倉庫て゛は数少ない事例である。運河沿いの壁は、平成8年の改修で新しい煉瓦に取り替えられているが、古い色合いになるよう工夫が施されている。

Img_0238

【作左部商店蔵→シ-ポ-ト】  明治初期に建てられ、1世紀以上にわたり厳しい風雪に耐えてきた建物。蔵は母屋に付属し、物を収納するため、耐火構造にすることが必要だった。小樽の蔵は、はじめ土蔵造りが多く、明治後期から次第に外壁に石を張り付ける木骨石造りに変わった。本建築は、屋根や壁など土蔵造りの特徴を伝える代表的なもので、妻壁の植物をあしらう模様は、外壁のアクセントになっている。平成15年に外観が修復されている。

Img_0241

   

  

 


小樽紀行⑤

2010年09月28日 | まち歩き

【中越銀行小樽支店→銀の鐘】  大正13年創建の頃、この周辺は入船川の河口であり、海側に船入淵が開け、複数の道路が交わり、交通の要になっていた。昭和18年に合併して北陸銀行となり、昭和38年南小樽支店に改称されている。外壁はモルタル仕上げで、2階窓列の壁に褐色のタイルを張り、その上に雷文の模様を一列に並べアクセントをつけている。

Img_0203

【共成(株)→小樽オルゴ-ル堂】  明治24年創業共成(株)は北海道有数の精米、米穀商だった。明治45年に建設されたこの建物は、メルヘン交差点、かっての有幌倉庫群入口に当たる角地に位置している。石造の多い小樽では珍しい煉瓦つくりの建築で、内部には木骨の構造を組んでいる。壁の褐色の煉瓦、ア-チ状窓のキ-スト-ンや開口部と隅部に積んだコ-ナ-スト-ンなどが特徴。家具店舗を経て、現在はオルゴ-ル専門店に再活用されている。

Img_0205

【上勢吉商店→遊工房】  小樽では明治末期以降、3階程度の木骨石造が建てられていたが、大正10年に建てられたこの建物は小樽に現存する数少ない本石造り3階建の店舗建築である。寄棟の瓦葺き屋根にド-マを設け、正面壁にキ-スト-ンを強調した窓を並べた意匠が特徴。昭和55年に正面1階左側の出入口が窓に改修されている。

Img_0208

【久米商店→石ケ守商店】  小樽は大火がたびたび起こったが、商店は新築する際には防火に工夫を凝らした。酒や食料品、雑貨を商った久米商店が明治30年に建てた店舗。建物の両袖は煉瓦積みの防火壁が守り、2階の窓には、蔵の扉のような厚い防火扉が設けられている。

Img_0209

【塩田別邸→料亭・夢二亭】  大正1年頃に建てられたこの建物は、小樽有数の回漕店を営む塩田安蔵の邸宅だった。初代安蔵は、明治20年代に堺町と南浜町に店を構え、2代安蔵は、昭和初期に小樽・樺太間に豪華な客船を就航させた。本亭は和風の主屋に石造りの蔵を組み合わせている。かって「大玄関」が左側に応接間と茶室、縁側の奥に「大広間」があった。平成3年、原型を活かして料亭に改め、小樽市都市景観賞を受賞している。

Img_0210