道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

小樽紀行②

2010年09月26日 | まち歩き

【右近倉庫】 明治20年代としては大規模な倉庫で、小屋組にはクイ-ンポストトラフ(対束小屋組)が用いられている。妻壁の「//」印は北前船主・右近権左右衛門の店印「一膳箸」で、船の帆柱に掲げられた船旗にも使われた。

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【広海倉庫】 加賀に拠点を置いた海運商・広海二三郎は、この倉庫を大規模な石造りで建築した。この土地はかって手前まで海岸が迫り、正面と右手の方向に鉄道施設があったことから、陸海ともに荷物の輸送と貯蔵に最適な場所だった。この倉庫は、荷を積み入れるため奥行きのある長方形で、採光のため屋根の中央と両側に段差を設けている。出入り口のア-チは、壁面のアクセントとなっている。

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【増田倉庫】 小樽運河北端に建つ大規模な木骨石造倉庫。右隣に広海倉庫、右近倉庫と大規模な倉庫が並び、切妻面して連ねた小樽港独特の壮観な石造倉庫の往年の景観を忍ぶことができる。

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【渋澤倉庫】 運河北部寄りの倉庫群れのひとつ。大きな切妻屋根を架けた本体の前面に2棟の角屋が突き出る変わった形をしている。向かって右手が一番古く明治28年に建てられた。その後左棟を並べて建て、次いで2棟を合わせた大屋根を架け、今の姿になったといわれている。

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【大家倉庫】 石川県出身の海産商・大家七平によって建てられた。外壁に札幌軟石を使用し、越屋根と入口部分の二重ア-チが特徴。その雄大さと独特の姿は運河地区の石造倉庫を代表するもののひとつ。平成14年におもちゃ博物館として再利用されたこともある。

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【小樽倉庫→小樽市総合博物館・運河プラザ】 色内地先の埋め立て直後の明治23年~27年にかけて建てられた営業用倉庫のひとつ。正面右手の倉庫が最初の建設で、増築を重ね2つの中庭を囲む大倉庫となった。寄棟の瓦屋根に鯱を乗せた和洋折衷のデザインで煉瓦造りの事務所を中心に左右対称に展開し、全体として優雅な美しさをみせている。北側を帯広市総合博物館、南側を運河プラザに活用、公開されている。

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【田中酒造店】  田中酒造店の店舗として昭和2年に建てられ、以来、今日まで営業を続けている。かっての酒造店の店構えを残した数少ない建築で、正面の軒下は、腕木を手前に迫り出す「せがい造り」になっている。大正、昭和初期にかけて、この形の屋根が小樽の木造商店に多くみられた。昭和初期の和風店舗を商品の販売、展示をかねながら修復、活用した良い例である。

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【早川支店】  早川支店は、新潟出身の川又健一郎が茶、紙、文房具を商う早川商店から暖簾分けを受けて、現在の場所に開設したのが始まりで、後に川又商店と店名を変更している。現在の建物は、明治37年の稲穂町大火で全焼したため明治38年に再建されたもので、厚い土塗りの防火戸や隣との境界に設けられた袖壁など、防火に対する配慮がうかがわれる。その袖壁には朝日や鶴と亀などの彫刻が施され、繊細な和風意匠でまとめられている。

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【磯野商店倉庫→海猫屋】  明治20年、新潟県佐渡出身の磯野進が興した磯野商店は、佐渡の味噌や新潟の米、縄の販売で成功し、海産物商として地歩を築き小樽の有力商店となった。この倉庫は明治39年に建てられたものであり、赤煉瓦造り2階建てで、内部にもこの赤煉瓦が露出している。この辺り一帯に磯野商店の店舗や倉庫が建ち並んでいたが、この倉庫が唯一遺構となっている。現在は海猫屋(飲食)として、活用されている。

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【安田銀行小樽支店→新聞社社屋・飲食店】  この建物は昭和5年に建築され、第二次世界大戦後、富士銀行から継承した跡、昭和45年から新聞社と飲食店・花ごころとして使われている。ギリシャの建設様式をもった昭和初期の典型的な銀行建築であり、重量感あふれる円柱が特徴である。

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【塚本商店→後藤商店】

大正9年に建てられたこの建物は、近江出身の呉服太物商の店舗として建てられた。小樽では、明治37年5月8日の大火で市街地を焼き尽くしたことから、防火構造の建物が普及した。この建物も防火のために、外壁をコンクリ-トで塗り固めね出入口や窓を防火戸で覆う工夫を施し、幾多の火災をしのいできた。

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【小樽商工会議所】  昭和8年建てられ、北海道の発展に寄与する小樽経済界の拠点であった。設計は土肥秀二、施工は萬組で、いずれも地元の手によるものでした。外装は石川県産千歳石で彫刻が施され、正面玄関には、土佐産の大理石が用いられている。昭和初期における鉄筋コンクリ-ト造の建物として貴重なものである。

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【越中屋ホテル→小樽グランドホテルクラッシック】 越中屋は、明治30年以降の英国の旅行案内書にも載った旅館である。昭和6年建てられたこの建築は、外国人旅行者のための別館で、国際貿易港小樽を象徴刷る建築のひとつ。正面から見る姿は、中央にある縦2列のベイウインドゥや両脇の丸窓と垂直の窓割りなどが特徴です。また、内部に散りばめられているステンドグラスに第一次大戦後のア-ルデコ様式の影響が見られる

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【三井銀行小樽支店】  昭和2年に建てられたこの建物は、色内大道り面し、小樽グランドホテルクラッシックの向かいにある銀行らしい建物。鉄筋コンクリ-ト造り、2階、地下1階なので、正面にある5つの石組のア-チの外壁がライトアップに浮かび上がる。内部もレトロな作りで2階には廻り廊下があり、天井が吹き抜けで高くゆったりとした気分にしてくれる。大正15年7月に着工し、昭和2年に完成した。2002年11月18日に閉鎖し、札幌支店に統合された。建物は「白い恋人」の石屋製菓が購入した。

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【日本銀行小樽支店→金融資料館】  1900年前後、当時商業を中心として発展する小樽市に各銀行が集中し、市内で徐々に完成していった銀行街は次第に「北のウォ-ル街」と呼ばれるようになった。その中で、日本銀行も小樽市に参入し、東京駅の設計者として知られる辰野金吾や長野平治らが建物の設計者担当し、1912年に竣工した。建物は積み上げた煉瓦の上にモルタルを塗った造りの2階建てで、ルネサンス様式を取り入れている。さらに屋根には八幡製鉄所の鉄骨が使用されており、小樽市内を眺めることの出来る東側の塔にはイギリス製のラセン階段が取り付けられていた。総工費は当時の金額で40万円以上に上がり、これは日本銀行本店と大阪支店に次いで3番目に高額な建設費だった。2002年9月13日、日本銀行札幌支店に統合が決定し、小樽支店としての営業は廃止となった。その後改築が行われ、2003年5月14日に新しく金融資料館として開館。内部は日本銀行小樽支店として機能していた時代のデザインや造りを残したものとなっており、岐阜県の赤坂産大理石が材料として使用されているロビ-と営業場カウンタ-、煉瓦製の壁から鉄骨を組むことで広い吹き抜けの空間を実現した営業場の天井、アイヌの守り神であるシマフクロウをコンセプトにデザインされ、内壁だけで12体数える彫刻などが特徴である。

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【北海道銀行本店→北海道中央バス本社ビル】  明治45年に建設され、設計は日本銀行小樽支店の設計に携わった長野平治で、請け負ったのは地元の加藤忠五郎。銀行建築独特の重厚さをもち、玄関や窓回りの石組みのデザイン、コ-ナ-部分や窓の間隔の変化などに特徴がある。外観の正面は、ほぼ創建当時の姿で残っている。

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【三井物産小樽支店→松田ビル】  昭和12年建設で、戦前の道内事務所建築の代表作で、当時の建築思想を示す国際建築様式の単純明快な意匠である。設計は松井貴太郎、施工は大倉土木。黒御影石の貼られた玄関や1階の壁は、2階以上の白タイルと鮮やかなコントラストを見せ、新鮮な印象を与えている。玄関ホ-ルは琉球産大理石で内装され、正面には2其のエレベ-タ-が設置されている。センタ-コアとして階段室、トイレなどは各階に集約配置されている。

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【第一銀行小樽支店→トップジェント・ファッション・コア】  大正13年に建設されたこの建物は、かって、北のウォ-ル街といわれた地区の中心に位置している。外観デザインは飾り気のない壁面に改変されているが、当初は道路側2面に3階通しの大オ-ダ-が立てられていた。現在は洋服店として活用されているが、内部の2階吹き抜けの営業室は、元のまま残されている。

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