4日の新聞に、平戸市の最教寺での「子泣き相撲」の話題が載っていた。
3日の節分の行事として有名で、県内外から赤ちゃんを抱えた人たちがやってくるという。
昔、平戸藩主が赤ちゃんの泣き声で亡霊を退散させた逸話が由来とされる。
母親に抱かれた赤ちゃんが、行司の「はっけよい」のかけ声で泣き比べ。早く泣いた方が勝ち。
中には仕切り前から双方とも泣いていたり、どちらも泣かずじまいで行司泣かせの赤ちゃんもいるようだ。
赤ちゃんの泣き顔とは裏腹に、周りで見守る大人はみな笑顔。
赤ちゃんが泣けば泣くほど笑顔。
赤ちゃんが泣かないと行司も母親も困り、なんとか泣かそうとする。
赤ちゃんはいい迷惑だな~と思うのは私だけ?
ところが、幼い子供にとってもっと迷惑な行事が長崎市にはあった。
長崎市手熊町に伝わる節分祭「もっとも爺(じい)」というやつ。
もっとも爺とは、節分の前夜に年男と福娘と共にやってくる福の神の一種で、
3人1組で町内を回るそうだ。
年男が「鬼は外~」と言い、福娘が「福は内~」と言って、普通に豆まきをした後で、
もっとも爺が「もっともー!」と大声で叫びながらドカドカ家に入ってくる。
(なぜ「もっとも」と言うのかはわからないらしい)
頭には変な被り物をして、顔は利休色のような暗い色に塗りたくって、大声で叫びながら突進してくる。
子供たちは恐怖に引きつった顔で泣き叫びながら逃げ回る。
子供たちが泣けば泣くほど福が大きくなると言われ、大人たちはニコニコ笑顔だった・・・
大人ってほんとに勝手だな~。
子どもが泣けば泣くほど縁起がいいなんて、かってな理由をつけて、子どもには関係ない。
怖い思いをさせられて…可哀想。
神経の細い子などに悪い影響はないんだろうか?
私は子どもの頃、すごく怖がりだった。
虫が怖い、ヘビが怖い、暗闇が怖い。
そして、チンドン屋が怖かった。
昔はよく紙芝居のおじさんや、アイスキャンデー売りのおじさんが来て、
子どもたちはその後をくっついてまわっていた。
時々チンドン屋さんも来るのだが、あまりにも音が大きくて、派手な身なりに恐れをなして、
私はなかなか近寄れなかった。
が、あるとき勇気を出して、その賑やかな一行に近づいてみたら、なんとなく楽しくなって、
いつの間にか真後を歩いていた。
すると、私の前を歩いていた着物姿のお姉さん(と、私は思い込んでいた)が、クルリと振り向き、
私に顔を近づけてきた。
その顔は、白壁のように真っ白で、真っ赤な唇は耳の近くまで裂けていて、野太い声で何か言った。
ギャー!と言ったかどうか、ワーンと泣いたかどうか、まるで覚えていない。
ただ、それ以後、チンドン屋さんの音が聞こえてくると耳を塞ぎ、
音が遠ざかるまで家の隅っこで縮こまっていた。
もしあの時、大人たちが面白がって、チンドン屋さんを我が家に連れ込んでいたら、
私は発狂したかもしれない…と思うほど、なぜか怖かったのだ。
小学1年生の頃、我が家に居候していた若い叔父さんが、私を映画に連れて行ってくれたが、
それがヤクザ映画だった。
ピストルを持った1本足の男が、コツコツと近づいてくる…
そのシーンを1ヶ月ほど毎晩夢見てうなされた。
大人にも子どもにも個人差がある。
子どもの怖がりは、大人が考える以上に恐怖に慄いているのだ。
一歩間違えば幼児虐待だ。