数日前、数人の友人たちから同じ内容のメールが届いていた。
それは、「地下深く 永遠(とわ)に ~核廃棄物 10万年の危険~」というTV番組の予告。
でも、残念ながら見れない!
それは、 NHK 衛星放送 の番組だから。我が家のテレビは衛星放送が映らないのだ!トホホ・・
でも、友人に録画を頼んでいたら翌日早速届けてくれて(感謝!)、それを昨夜観ることができた。
確かにドキュメンタリー映画と聞いていたが、観ているうちに、
本当にドキュメンタリー番組なのか、ドキュメンタリー風に創られた映画なのかわからなくなってしまった。
それほど、私は無知であり、私たち日本人の意識が遅れていることを痛感させられた。
オンカロという固有名詞も初耳だった。
が、それは本当にフィンランドで計画され造り始められた核廃棄物の処分施設なのだ。
それは、核の危険を10万年先まで本気で閉じ込めようという壮大な計画!
一方日本では、何も決めないまま原発をどんどん造って稼働して、どんどん核廃棄物が溜まってしまい、
いっぱいになって困ったなぁ~そうだ資源ゴミとして再利用すればいいんだ!と思いつき、
六ヶ所村に再処理工場を造ったけれど、それも見切り発車だったので故障続きでうまく稼働せず、
核のゴミは溜まるばかり・・・
未だ最終処分場の受け入れ先も決まらず、
それでも稼働し続け、核のゴミを出し続け、その上まだ原発を造り続けようとしている。
2010年、国際環境映画祭グランプリを受賞したというこの映画の解説には、次のように書かれている。
各国が頭を痛める原子力発電所の廃棄物問題。
北欧のフィンランドが世界に先駆け、核のゴミの最終処分場の建設に乗り出している。
「オンカロ」(フィンランド語で「隠し場所」)と呼ばれる処分場は、
太古の岩盤層を深さ500mまで掘り下げた先に作られ、
施設が国内で排出される核廃棄物で満パンになる約100年後に、入口を完全封鎖されるという。
核廃棄物の最終処分が難しい理由は、実はその先である。
廃棄物が出す放射線が、生物にとって安全なレベルに下がるまで、
欧州の基準では少なくとも10万年かかるとしている。
つまりオンカロは、人類の歴史にも匹敵する膨大な歳月の間、安全性の確保が求められるのだ。
革命や戦争が起きたり、気候や地殻の大変動に見舞われたりしたとしても・・・
最も危惧されているのは、今の人類が姿を消したあとの未来の知的生物が処分場に侵入し、
放射線が漏れ出してしまうシナリオだという。
そうならないよう、近づくと危険だという警告を伝えた方がいいのか?しかし、どうやって?
あるいは何もせず、記憶から消し去ってしまう方がいいのか?
原子力というパンドラの箱を開けた人類が直面する難問を描く。
この映画を一足早く、渋谷で観てきた山田太郎氏(「原発を並べて自衛戦争はできない」著者)は、
以下のような感想を送ってくださった。
フィンランドに世界で初めてつくられつつある高レベル放射性廃棄物処理場についての映画で、
放射性廃棄物の危険性の本質をわかり易く示し、しかも、100000年までの保管を目標にしているが
とても安心できるものではないことを浮き彫りにしたすばらしいドキュメンタリーでした。
映画終了後、ゲストの社団法人スウェーデン社会研究所所長・須永昌博氏が
北欧各国と日本の状況について話をした際に、こういう難しい問題についても北欧各国では、
民主的手続きを踏んで進めるが、日本はその手続きが抜けているというのです。
その証拠として、北欧各国の選挙の投票率は70~80%代を確保しているのに、
日本では40~50%と低いことを指摘していました。
日本では、技術的な問題以前に、民主主義を習得する方が先だということです。
耳が痛いけれど、ほんとうだな~
政治に無関心な私たちは、政治家が決めたことに、あまり自分自身の責任を感じない。
フィンランドの人たちは、10万年後の人類を核の危険から守る手だてを真剣に考えているのに、
私たちは、核の危険から子や孫の世代を守ることさえ考えようとしていない。
核廃棄物の危険性に気付いている人たちさえ、そう多くはいない。
だからこそ、こんな映画を観た私たちが伝えなくては・・・ネ
井戸端会議、飲み会、茶話会 etc・・・話題のタネにいたしましょう~