市民革命
古代文明発祥の地で、市民革命が起きた。
人々が思いと情報を共有し、大規模なデモを成功に導いたのは新しい文明の利器だった。
歴史的な日、2011年2月12日。
数年後の歴史の教科書には、このことが史実となって記述されるだろう。
腐敗した独裁政権に、市民が自らの手で幕を下ろしたのだ。
圧政に耐えてきた市民は、すでに我慢の限界に達していたのかもしれない。
チュニジアのジャスミン革命の影響も大きいかもしれない。
新しい情報伝達ツールを身に付けたネット世代の若者が扉を開いたのかもしれない。
でも、それだけでは、成功は得られなかったと思う。
もう彼らは、軍を恐れてはいなかった。
(テレビ画面に映る彼らの顔を見てそう感じた)
大統領が何度居座りを発表しても、あきらめなかった。
自分たちが勝利することを確信していた。
それは、エジプトという国を信じていたから・・?
遠く海を隔てたこの国で、私は、その映像を羨ましく眺めているだけ。
かつて私も日本という国を信じていた。
変われると思っていた。
虎の威を借る狐のように大国につき従い、
自分の意思というものを持たずに、その大国の顔色を窺いながら発言し、
100年先、1000年先を考えず足元ばかりを見て行動する、
平和憲法を掲げながら、平気で軍事力を増大させ、
核廃絶を訴えながら、他国の核の傘の下にとどまり続けようとする、
そんな恥ずかしい国の姿を、私たち若者が変えていけると思っていた。
でも、できなかった。
私たちの力が足りなかったのは、変えたいという思いが足りなかったのか、
信じる心が足りなかったのか、わからないけれど。
当時はまだインターネットを手に入れてなかったから、という言い訳だけはしたくない。
ネットの発信力が大いに貢献したことは間違いのない事実だけれど、
それだけで成功するのなら、
いま、沖縄高江のヘリパッドや東江の埋め立てや上関原発の工事も止められるはず。
いくら文明の利器があっても、ここではその効き目が広がらない。
それは、沖縄の基地問題が、全国の切実な思いになっていないから。
原発の深刻な問題が、ほとんどの人に知られていないから。
痛みを実感して初めて、人は立ち上がる勇気を持つのだろう。
痛みに気付いた時にはすでに手遅れ…ということもあるのに。