今回の小旅行の目的地、知覧特攻平和会館に向かう。
目的地と言いながら、何一つ予備知識もなく来たことが良かったのだろうか・・・
私の期待は大きく裏切られた。
その「平和会館」にあったのは、特攻隊員として散った若き1036人の遺影と遺品、
「零戦」「疾風」などの実物戦闘機で、それは全く予想通りの展示物だった。
(館内は撮影禁止のため、写真は無し)
また、外には隊員たちの宿舎であった三角兵舎の復元舎、数々の石碑や像が建立されていたが、それもまた予期していた。
しかし、そこには、平和=戦争反対とは程遠い空気が澱んでいた。
土曜日とはいえ、館内は多くの来場者で混雑していたが、
人々が時間をかけて見ているのは、絶筆(遺書)や手紙のコーナーである。
そのほとんどが家族にあてたものであり、父母への恩と妻子への愛にあふれたものばかり。
中には許嫁へのもの、恩師や兄弟へのものもあるが、それらすべてに共通しているのは、彼らが「愛する人々」と「国家」と「天皇」のために自らの命を喜んで投げ出したというメッセージである。
何人かの人々は鼻をすすりながら読んでいた。
食い入るように読みふける若者もいた。
彼らの心を揺さぶるものは、たぶん若き特攻兵の潔い死への感動ではないだろうか?
そして、その死はより美化され、訪れた人々の心の中に深く刻印されるのではないか?
そんな不安を感じて、私は何度もうろついた。
どこかに、死への恐怖を書き残した手紙はないか?
どこかに、戦争への疑問を書き記した日記はないか?
どこかに、この作戦を命じた者への恨みごとが隠されてはいないか…と。
そんなもの、有るはずはない。
ここにあるのは、自己犠牲を厭わない美しい言葉ばかり。
おそらく本音は書けなかっただろう。
が、仮にそれが本心から出た言葉であったとしても、
戦前戦中の教育や体制の中で育てられ強制された、いわばマインドコントロールされた思想であることを、「平和会館」ならば指摘すべきではないか。
そのような配慮はまるでない。
当時のままの思想が宝物のように保存されているばかりである。
館内に置かれている感想ノートを読むと、それがよくわかる。
多くの人が、今の日本の平和は彼らの犠牲の上に成り立っていたことがわかった
と書いていた。
冗談じゃない!
彼らは、戦争終結を遅らせた指導者たちによる最も愚かな作戦命令により殺された哀しい犠牲者に過ぎない。
悪あがきを続けた果てに、首都大空襲や原爆などの壊滅的な被害を受けてやっと為政者は負けを認めた。
国民は二度とこんな目にはあいたくないと、起草された平和憲法を喜んで受け入れたのだ。
そのときの思い、
戦争なんていやだ!
もう家族を戦争で失うのはまっぴらだ!
殺すのも殺されるのも二度とごめんだ!
この記憶がまだ国民の中に細々とあるから、今の日本はかろうじて平和なのだ。
決して特攻隊員の死によって平和が生まれたのではない。
私は、そのようなことを感想ノートに一生懸命書いてきたつもりだが、
この空気の中では、犬の遠吠えのようなものかも・・・。
歴史の真実がどこかで捻じ曲げられて伝わっている。
いや、故意に伝えられているのかもしれない。