先週埼玉へ行った際に、東京で友人たちと三か月ぶりに再会した。
その内の一人が、一冊の本を貸してくれた。
『あふれる愛に』 土志田和枝著
31年前、横浜の住宅街に米軍のファントム機が墜落。幼子二人の命を奪われ、自らも全身火傷の重傷、何度も皮膚の移植手術を重ね、4年4ヶ月後に亡くなった、あの土志田和枝さんの手記である。
和枝さんがどんなに苦しい治療に耐えてきたか、また、我が子の死を知った時の悲しみと絶望、そして、そんな和枝さんを支え続けた家族もまた、苦悩し続けた4年4か月だったことを初めて知った。
それにしても、それにしても、それにしても 解せない!
米軍機の犠牲になった日本国民を、何故、日本政府は救おうとしなかったのか?
最高の医療機関と最高のスタッフを提供し、全力で治療に当たるのが当然だろう。
国が結んだ日米安保、その約束事のもとに置かれた米軍基地、その訓練中の事故による犠牲ではないか。
米軍はもとより、その米軍に誠意が見られなければ、日本政府が責任を持って対処すべきだろう。
なぜ設備の整った、火傷の専門医のいる病院に入院させられなかったのか?
家族がどんなに懇願しても受け入れなかった。
見舞いに来た防衛施設庁の役人に和枝さんのお父さんは転院希望を告げ、その返事を待ち続ける。が、返事はない。
待ち切れず電話を入れると、帰ってきた返事は、
「こちらにはこちらの仕事があります。そちらのことばかりやっているわけにはいきませんよ。一応、本庁には報告しておきました」だった。
しかし、その病院で70回にも及ぶ皮膚の移植手術を受け、入退院を繰り返し、一時は快方に向かっていた和枝さんを、今度は病院側が転院を求める。
なんと精神科の病院に転院させられ、40日後にその病院で亡くなったのだ。
父親はこう書いている。
なぜ、和枝があれほど苦しいと訴えたにもかかわらず、
カニューレ(気管に空気を送る管)を入れてほしいという願いを
無視し、「放置」したのか。
肺炎後遺症が認められたのに、
なぜ性急にカニューレを抜かなければならなかったのか。
なぜ、皮膚科も内科も耳鼻咽喉科もない精神病院に、
なかば強引に転院させたのか。
なぜ、被害者であるたった一人の患者を、国の力で国立総合病院に
入院させることができないのか。
日に日に明るくなり、目に見えて回復していただけに、
娘和枝の突然の死は親の心情として悔やみきれない、
誠に残念でなりません。
和枝さんとその子どもたちは、アメリカという他国の軍隊によって傷つけられ、
日本という自国の政府によって放置され、
結果、亡くなってしまった。
・・・そう思えてならない。
あれから、30年。
この国、少しはましになっているだろうか?