貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

月ハまた命!

2021-04-25 14:57:07 | 日記

月ハまた命!

令和3年4月25日(日)

 昨日、夏野菜の苗を仕入れに、JAへ。

 開店30前に到着。

 もはや駐車場は満杯近く。

 百人ほどの人が並んでいる。

 後につく。

 開店と同時に脱兎の如くといって

いいのか、すごい高齢者の勢い。

 苗を選んでいる暇はない。

 取り敢えず予定していた苗を、

両手からはみ出さんばかりにつかみ、

会計へ。

 見ている前に、苗がどんどん

なくなっていくのだから詮無き。

 吃驚!!!

 今日はその疲れもあり、

ゆったりと。

中山や 

  越路も月ハ 

     また命

○元禄二年の作。

 芭蕉がいる中山は、

小夜の中山ではなく、

越前の中山である。

 中山と言えば、西行の

「年たけて また越ゆべしと 

    思いきや 

    命なりけり さやの中山」

が有名。

 自分も老いてきた。

いつまたこの越前の中山で月を見る

ことができるか分からない。

 それが人間の運命なのだ。

 月が、今度は自分の運命の象徴に

なっている。

「月ハまた命」

として、片仮名を用いたのが

句の奥行きを深めたようだ。


悲しげな月

2021-04-22 15:51:07 | 日記

悲しげな月

令和3年4月22日(木)

義仲の 

  寝覚の山か 

    月悲し

   義仲の一夜半の寝覚めに

月を眺めた山が此処かと思えば、

月も悲しげな感じであるの意。

 元禄二年作。

 前書きに「燧が城(ひうちがじょう)」とある。

 木曾義仲が籠もり、平家に攻められた

古戦場である。

 義経や義仲に対する芭蕉の愛着は並々でない。

 特に、木曾義仲は、近江の義仲寺にある

義仲塚の傍に、自分の遺骸を葬るよう、

生前遺言していたほど。

 福井から敦賀に向かう途中にある山を

燧山と言い、その山にあった城は、

木曾義仲が平維盛の軍勢に敗れた所。

 ここは、今は廃墟になっているが、

かつてここで城に立てこもっていた義仲は、

真夜中に目覚めて、月を見て

何を思ったであろう。

 如何にも悲しげな月であったろう。

 歴史を思い感慨に耽っているのが、

芭蕉である。

 義仲寺の芭蕉の墓


いもの神?

2021-04-21 15:40:00 | 日記

いもの神?

令和3年4月21日(水)

月に名を 

  包みかねてや 

     いもの神

  元禄二年作。

 いもの神?

 「いもの神」とは、

「疱瘡(いも)  」(天然痘)の神。

 湯尾峠の茶屋で、疱瘡除けの

お守りが売られていた。

 これに、「芋名月」の「芋」を掛けた。

 「芋→名月→はしか」

  『類船集』に、茶屋に「いもの神」の札が

掛けてあるのに興じ、掛詞に興じた句、

とある。

 福井県南条郡湯尾には、痘瘡の神様が

祠ってある。

 峠には茶屋が二軒ある。

 痘瘡のお守りを売っていた。

  痘瘡に罹ると、顔にぶつぶつのが

残るので、女性は特にこの病気を

嫌っていた。

 丁度峠に来たときに、

月が皎々と照って、

昼のように明るかった。

 だから、痘痕のぶつぶつを治す神様も、

お守りの霊験が効かず困っている

だろうという。

 ちょっとふざけているようで、

なお過去の闇を照らす月の明るさを

鮮やかに表現している。


未来の月の句

2021-04-20 15:42:49 | 日記

未来の月の句

令和3年4月20日(火)

あすの月 

  雨占なはん 

    ひなが岳

   明日の名月が、雨か、晴れか、

日永嶽の様子で占ってみよう。の意。

 元禄二年作。

 福井県の武生(たけみ)の近くにある

日野山を「比那が岳」という。

 その山の上に月が昇っている。

 その月の具合で天気を予言できると

いう言い伝えがある。

 青梅では、大岳山(おおたけさん)に

雲がかかると雨が降るという言い伝えが

あるが、昇る月で天気を予言するという。

 芭蕉は14日の月を見ていたらしく、

明日の満月の時の天気を気にして

いるのだ。

 明日の天気を予測してくれる比那が岳

に全てを一任している神頼みの心は、

月を美しくもし、見えぬ闇ともする。

 つまり、明暗に動揺する

未来の月の句であると、師匠は言う。


あさむつや

2021-04-19 15:40:03 | 日記

あさむつや

令和3年4月19日(月)

あさむつや 

  月見の旅の 

    明ばなれ

   月見の旅に出て、夜が明けきる

朝六つ時に、浅水の橋を渡ることだ。

  「明ばなれ」は、夜がすっかり

明けること。

 『枕草子』の「浅水の橋」と

「朝六つ」、即ち午前6時頃を掛けた句。

◎ 「「あさむつ」という歌枕と

「朝六つ」という時間とが調和して

いて、夜明けに暗かった夜が去り、

「有明の月」が少しぼんやりと

してくる様子が巧みに描出されている。

 歌枕を使って、清少納言の昔から

芭蕉の現在までの過去の時制の名月が

回顧され、更に現在の時制にいる芭蕉が

最期の明月を見上げている。

 過去は歌枕の月、

 現在は夕暮れの夜有明の月、

 未来はまだ見ぬ名所の月。