推敲の極致?
令和3年4月1日(木)
栗の花は地味でなかなか人の眼に
ふれぬもの。
山栗など秋口よく拾いに行った。
いがは足裏で擦る。
すぐ実が飛び出してくる。
指で皮をむき、指先の爪を活用。
渋皮をとる。
夕ご飯は大好きな山栗のご飯。
竈で炊いていた。
山栗を見つける度思い出す幼き時の
思い出。
しかし、栗の花の記憶はない。
青梅に住むようになり、今は無き
栗林が家の近くにあった。
白い花が咲き、今年はいっぱい採れ
そうなどと愉しむようになる。
さて、芭蕉の句。
世の人の
見付けぬ花や
軒の栗
往古、栗の木のもとに庵を建てる
のが流行ったらしい。
須賀川の可伸庵
それは、花が見付けぬくいため
ではなく、栗という文字「西の木」に、
西方浄土を尊ぶ心を重ねて
大事にしたらしい。
大仏開眼の頃の行基は、
杖や柱に栗の木を用いたそうだ。
法然にもその趣味があり、
当時かなり知られた話だとか。
芭蕉のこの句は、
見つかりにくい花と難しい修行との
二股かけていて、
どっしりと安定した句となっている。
しかし、初句は、
隠家や
めにたゝぬ花を
軒の栗
つづく。