令和3年10月10日(日)
義朝の
心に似たり
秋の風
侘しく吹き付ける秋の風は、
侘しく吹き付ける秋の風は、
殺戮の世に非業の死を遂げた義朝
の心情を偲ばせる、
の意。
貞享元年(1694)の作。
「義朝」・・・源義朝。常磐はその寵妾で、
貞享元年(1694)の作。
「義朝」・・・源義朝。常磐はその寵妾で、
東国に赴く際に命を落とし、
美濃の山中に葬られたとの伝説がある。
紀行本文に
紀行本文に
「やまとより山城を経て、近江路に入て
美濃に至る。いま山中を過て、
いにしへの常磐の塚有」
とし、
守(もり)武(たけ)の付句を引きつつ、
「いづれの所か似たりけん。我も又」
と記しつつ掲載。
『守武千句』第三の
「月みてや
『守武千句』第三の
「月みてや
ときはの里へ
かゝるらん
よしとも殿に
似たる秋風」
がそれで、
「常磐に義朝」「月に秋風」の連想に
よって月を擬人化し、
自分に飽きた義朝を常磐が恨むという曲
の設定を行った付合。
芭蕉は歐陽永叔「秋風ノ賦」に、
芭蕉は歐陽永叔「秋風ノ賦」に、
「常ニ粛殺ヲ以テ心ト為ス」(古文真宝後集)
とある秋風ノ凄まじいイメージを重視し
戦乱の世とて血縁の者とも戦わざるを
得ない義朝の心を思いやって、
両者の間に相通じるものを察知した。
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