令和7年3月19日(水)
尾花沢町養泉寺②
境内に、
柴崎路水と鈴木素州が
宝暦12年(1762)に建てた
「涼しさを
我宿にして
ねまる也」
の芭蕉句碑がある。
我宿にして
ねまる也」
の芭蕉句碑がある。
<涼し塚>

これが「涼し塚」で、

隣に
「壷中居士」を刻む石碑
が建っている。
<壷中居士の句碑>

壷中は、
村山地方を代表する
江戸期の俳人で、
初め蕉門十哲・服部嵐雪
の流れを汲む海谷一中に入門。
後に、
蕉門十哲の一人
各務支考を祖とする美濃派の俳人
林風草(鶴岡)の門下となる。
宝暦元年(1751)、
俳諧仲間と山寺立石寺に
「蝉塚」
を築いた人物である。
「富める者なれど
「富める者なれど
志いやしからず。
都にも折々かよひて、
さすがに旅の情を
知たれば、
日比とゞめて、
長途のいたはり、
さまざまにもてなし侍る。」
と、
と、
清風の人柄と
そのもてなしの多彩さ、誠実さに
居心地の良さを満喫する
芭蕉である。
<本堂>

苦は楽の種。
山刀伐峠越えまでの苦しさ
からも解放された
楽しい日々となる。
~つづく。