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貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

百骸九竅(ひやくがいきゆうきよう)の序文

2021-10-17 10:58:18 | 日記
令和3年10月17日(日)
 今日から衣替え。
 朝から小雨降り、寒し。
 寒いのは苦手のひとつ。
 『笈の小文』は、私にとって、
「老いの鼓舞覧」にあたる・・・?
 前回に続く。
 弟子たちが作ったために、『おくのほそ道』
などを参照して弟子たちが書いた部分も
あるらしく、芭蕉の吟行した時の思いな
のか、後に弟子たちが書いた推測による
文章なのか、迷う、と諸家は言っているが、
それは『おくのほそ道』にも芭蕉の旅の
ずっと後の思いや文章の推敲があるのに
似ていて、諸家もそれを承知で文章を読み
論じているので、
『笈の小文』も同じことであると
思うより他の方途はない。
 末席に序文がある。
 なかなかの名文で、先ずこれを吟味。
「百骸九竅(ひやくがいきゆうきよう) の
中に物あり。
 仮に名付けて風羅坊とい付。
 まことにうすもんお破れやすからん
ことを言ふにやあらむい。
 かれ狂句を好むこと久し。
 つひに生涯のはかりごととなす。
 ある時は倦んで放擲せんことを思ひ、
 ある時は進んで人に勝たむことを誇り、
是非胸中に戦こうて、
これが為に身安からず。
 しばらく身を立てむことを願へども、
学んで愚をさとらんことを思へども、
これが為に破られ、
つひに無能無芸にして、ただこの筋に
つながる。
 西行の和歌における、
宗祇の連歌における、
雪舟の絵における、
利休の茶における、
その貫道するものは一(いつ)なり。
しかも、風雅におけるもの、
造化にしたがひて四(しい)時(じ) を友とす。
 見るところ花にあらずといふことなし。
 思ふところ月にあらずといふことなし。
像(かたち)、花にあらざる時は夷狄にひとし。
心、花にあらざる時は鳥獣に類す。
夷狄を出で、鳥獣を離れて、
造化にしたがひ、造化にかへれとなり。」
 この序文は難しそうだが、文の内容を
追っていけば、やさしいことが書いてある、
と師匠が紐解いてくれる。
 次回へ。