令和3年10月16日(土)
今日から『笈の小文』を追従。
5年前の2016年5月に『笈の小文』
の旅をし、兵庫の明石まで行く。
これからそれらを振り返りながら
芭蕉の句を再度紐解くことに。
また、ご支援、ご声援よろしく!!!
4 笈の小文
貞享四年(1681)十月二十五日に、
貞享四年(1681)十月二十五日に、
江戸を立って尾張から伊賀に入り、
故郷で年を越し、伊勢にて遊び、
弟子の杜国を伴って吉野の花を見、
さらに高野山、和歌浦を、須磨、明石を
巡り歩いた紀行である。
『笈の小文』とは、
『笈の小文』とは、
芭蕉が別の紀行のためにとっておいた
のだが、没後、弟子たちが紀行文を
組み立て、この名前をつけたという。
「笈」というのは、旅の僧が仏具、
「笈」というのは、旅の僧が仏具、
衣服、食器、食糧等を入れて、
背に担う箱で、地に置いたときに安定が
いいように四隅に木の脚がある。
つまり、芭蕉を旅の僧になぞらえた
つまり、芭蕉を旅の僧になぞらえた
俳諧紀行文。
つづく。