一つ葉への畏敬の念
令和3年7月21日(水)
保険会社に電話をした。
「返答は今日か、来週の月曜以降に・・・。」
土日の休みの話が途中ではいったので、
(えっ?、今日は水曜だよ。)
と不可思議に応対。
「明日、あさってとオリンピックのために
お休み・・・。」
納得!
そんな休みがあることをすっかり忘れていた。
今日から「夏の句」に。
夏来ても
たゞひとつ葉の
一葉哉
夏が来ても葉を茂らせることなく、
一つ葉は一枚の葉をつけたままだなあ、
の意。
貞享五年(1688)の作。
稲葉の辺りでの嘱目吟。
植物の名を形への関心が横溢する句で、
底本では、376と377の間に配され、
鵜飼見物に行く途次の吟とも読める
構成。
「一つ葉」・・・山地などに群生する
ウラボシ科のシダ類。
一枚ずつ葉が直立することによる名で、
夏に新しい葉が生じる。
俳諧独自の題で、芭蕉句が初出か。
◎ 多くの草本は、数え切れない
たくさんの葉を茂らしているのに、
このシダの一種の「一つ葉」は、
年中一枚の葉だけだ。
そのたった一つの葉に自足しているとは、
何とまあ変わった植物だろう。
この羊歯は、ウラボシ科の常緑である。
20センチほどの厚い葉一枚で多年生だ。
頑固で変わった羊歯で他の植物とは
全く違う風変わりな形を保っていて、
図太く生きている。
他人とあまりに違った顔をしていると
恥ずかしがる人が普通なのに、
一つ葉と来たら、暑い夏なのに、
厚い着物を着て傲然としている。
頑固に自分の生き方を貫き通して
きた芭蕉も、この植物には、畏敬の念を
覚えずにはおれなかった。
芭蕉は、冬の寒さに震え、
夏の暑さにまいっているが、
それらの季節を嫌ったり、避けようと
したりするよりも、
四季折々の変化を楽しむ境地にいたと思う。
無論寒さに苦しく暖をとろうとし、
暑中には涼を求めて山登りしたりしている。
しかし、四季の変化を、
それこそが天の与えた恵みであり
四季の変化に即応する文化を生み出した
源泉であると思い、
人生のよろこびであると
見做していたようだ。