人為の美とその儚さの両立
令和3年7月11日(日)
今日も日射しが折に触れある。
梅雨明けの間近。
江戸時代頃は、
五月雨も終わりに近づくという
のかな?
五月雨や
色帋(しきし)へぎたる
壁の跡
五月雨が降り続く候。
家の中を見回せば、壁に色紙を
剥いだ跡が、残っている、
の意。
元禄四年(1691)の作。
ひぎたる・・・剥がした。
底本の掉尾を飾る句で、
五月四日の条に、
「月日は落柿舎を出たと名残惜をしかり
ければ、奥口の一間を見廻て」
として掲載。
梅雨時のけだるさに気分、
壁に残る色紙跡の非充足感、
落柿舎を出る名残惜しさなどが
絶妙に響き合う。
◎ 嵯峨の落柿舎を出る時に、
部屋の中を見回すと、昔は豪奢な
建材で飾り立ててあったのだろうが、
今はすっかり傷んでしまい、
壁には無造作に剥ぎ取った色紙の
跡が見える。
そして、外では雨が絶え間なく降って、
ますます家の中の荒廃をひどくしている。
金色堂とはあべこべで、
人間の弱さが強調されている。
しかし、芭蕉は、荒廃もまた、人
間の作り出す美であるという見識がある。
そこで、芭蕉においては、
矛盾が両立する。
金色堂の人為の美を誉め、
落柿舎の人為の美の儚さを嘆く。
ともに、対極にしながら両立している。