貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

人為の美とその儚さの両立

2021-07-11 10:25:39 | 日記

人為の美とその儚さの両立

令和3年7月11日(日)

 今日も日射しが折に触れある。

 梅雨明けの間近。

 江戸時代頃は、

五月雨も終わりに近づくという

のかな?

五月雨や 

 色帋(しきし)へぎたる 

      壁の跡

   五月雨が降り続く候。

家の中を見回せば、壁に色紙を

剥いだ跡が、残っている、

の意。

 元禄四年(1691)の作。

 ひぎたる・・・剥がした。

 底本の掉尾を飾る句で、

五月四日の条に、

「月日は落柿舎を出たと名残惜をしかり

ければ、奥口の一間を見廻て」

として掲載。

 梅雨時のけだるさに気分、

壁に残る色紙跡の非充足感、

落柿舎を出る名残惜しさなどが

絶妙に響き合う。

◎ 嵯峨の落柿舎を出る時に、

部屋の中を見回すと、昔は豪奢な

建材で飾り立ててあったのだろうが、

今はすっかり傷んでしまい、

壁には無造作に剥ぎ取った色紙の

跡が見える。

 そして、外では雨が絶え間なく降って、

ますます家の中の荒廃をひどくしている。

 金色堂とはあべこべで、

人間の弱さが強調されている。

 しかし、芭蕉は、荒廃もまた、人

間の作り出す美であるという見識がある。

 そこで、芭蕉においては、

矛盾が両立する。

 金色堂の人為の美を誉め、

落柿舎の人為の美の儚さを嘆く。

ともに、対極にしながら両立している。