貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

須賀川と軒の栗

2018-01-14 08:31:52 | 日記
須賀川と軒の栗

平成30年1月14日(日)

 昨日は、何十年ぶりかで、砥石を使い、

包丁研ぎをした。

 家にある庖丁全部を研いだ。

 親父は職人だったこともあるけど、

砥石で研ぐ道具類は、いつもぴかぴかで

切れ味抜群だったことを思い出した。

 取りあえず、砥石に慣れることを、今

回は主眼においた。

 先日、テレビでよき砥石になる所を掘り

続けている方を観た。

 それも刺激になり、やってみようかと

モチベーションを高めてくれた。

 
 さて、須賀川市。市役所に駐車。

 
光の国からの贈り物みたいなできたての市役所



可伸庵へ向かう。

可伸庵

可伸庵入口





その説明



これが軒の栗の碑



これは、昔の句碑なのか?



芭蕉の句碑だ。



「世の人の 見付ぬはなや 軒の栗」 

『おくのほそ道』には、

「此宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、

 世をいとふ僧有。橡(とち)ひろふ太山もか

くやと閒(しづ)かに覚られて、ものに書付

侍る。其詞、栗といふ文字は西の木と書て、

西方浄土に便ありと、行基菩薩の一生杖にも

柱にも此木を用給ふとかや。」

と句の前文があり。



 然るに、ここにはもう一つ軒の栗の説明碑が。



そこには、芭蕉の句は、

「かくれがや めだゝぬ花や の木の栗」

と記されている。

 可伸の潔い生き様に驚嘆している節も伺える。