貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

蕉道「おくのほそ道パートⅡ」 江東区: 深川 芭蕉史跡展望庭園 2

2017-08-16 14:29:18 | 日記
江東区: 深川 芭蕉史跡展望庭園 2

平成29年8月16日(水)

 気骨ある芭蕉の表情は、40代後半の面構え。

 眼力にもすごみを感じた。

 死を覚悟して、出立したのは、この深川。

 旅に死んだ4人に憧れも強かったのだろうが、

特に李白と西行を自分の本当の師と仰いでいた

のであろう。

 因みに旅に死した4人とは、李白、杜甫と

西行、宗祇。

 李白と杜甫は中国の官僚で、追放されたり、

都に召し抱えられたりする旅の途中で死したら

しい。

 西行は藤原氏の家系の子として生まれ、

文武両道の美形の将来を嘱望されたが、出家。

崇徳天皇の母との一夜の契りから悟りをひら

くためという。当時は、西方浄土といわれたため、

西行と名付けたといわれている。

 宗祇は、1400年代、連歌師の第一人者でも

あった僧侶。

 その芭蕉座像の台座には、こんな説明板が

打ち込まれていた。



杉山杉風の絵を精密に模写した京都の画家

吉田偃武(えんぶ)の作だと説明されている。

 史跡芭蕉庵跡という紅碑

蛙もいっしょ。



芭蕉句碑

深川の末、五本松といふ所に船をさして

「川上と この川しもや 月の友」

五本松は、小名木の川筋大島町の五本松辺りをさし、

この川しもは、深川の末に舟を浮かべている

芭蕉の位置をさしている。

自分たちは、今この川下で舟を浮かべて

この月を愛でているが、

川上でもこの月を眺めている人がいるはずと

いう意かな?



泊舩集では、この句は、

深川の五本松という處に舟をさして

「川上と この川しもと 月の友」

となっている。

深川芭蕉庵跡の説明



芭蕉に因んだレリーフがいくつも並ぶ。