貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

那須温泉神社の「伝説 殺生石」の中で、「九尾の狐」の物語

2017-02-14 08:57:02 | 日記
那須温泉神社社務所発行の「伝説 殺生石」の中で、

「九尾の狐」の物語

・九尾の狐の誕生。

・中国の王の后に姿を変えて、悪行を尽す。

・インドに渡り、太子の后となって悪行を

尽し、ある夜、突然姿を消す。

・数百年後、16、7歳の女子に姿を変え、

遣唐使の船で日本に渡る。

・約360年後、赤児に化け、子宝に恵まれな

い夫婦に拾われる。

・藻女(みずくめ)と名付けられ、夫婦の寵愛

のもと、美しく成長する。

・18歳で宮中に仕え、才色兼備と称えられる。

・名を「玉藻の前」(1) と改められ、鳥羽院

のそばに仕える。

・鳥羽院を殺し、やがてはこの世を治め、

人の世を滅亡させようとするが・・・。

・鳥羽院の前で、実の姿が露見しかける。

・陰陽師・阿部泰成、玉藻の前を九尾の狐と

見破る。

・玉藻の前、泰成との対決に破れ、「白面

金毛九尾の狐」の姿で逃げる。

・九尾の狐、那須野に現われ、婦女子を

さらう。

・那須の領主須藤権守貞信、朝廷に九尾の

狐の退治を要請する。

・朝廷、三浦介と上総介を将軍、泰成を参謀

に、八万余の軍勢を那須野へ派遣。

・軍勢、九尾の狐退治のため、犬追物(2) で

騎射を訓練する。

・貞信、「目的物に必ず命中し、刺さったら

抜けない矢」を得る。

・貞信、九尾の狐を射殺。九尾の狐、巨大な

毒石に姿を変える。

・村人、毒石を「殺生石」と名付ける。

・鎮魂のため派遣される名僧、殺生石の毒気で

次々と倒れる。

・源翁和尚、殺生石を教化。その時、石、3つ

に割れて飛び、1つが残る。
                               
・殺生石、急激に毒気を弱めるが、今なお毒を

吐きつづけている。


 元禄2年(1689年)4月12日(新暦5月30日)、

芭蕉は桃雪に誘われて、騎射を練習するため犬を

追物射したという蜂巣の犬追物(2)跡と、祭神が

玉藻の前(1)で、九尾の狐を射止めた所と伝えら

れる那須篠原の玉藻稲荷神社を訪ねた。

芭蕉は、これらの史跡から那須野に伝わる殺生

石伝説の詳細を知り、殺生石を訪ねる決心を

固めたと思われる。

 それから7日後の4月19日(新暦6月6日)、

芭蕉は、異臭がただよう荒涼とした谷あいに足を

踏み入れ、殺生石を目の当たりにした。

「おくのほそ道」の中の「蜂蝶のたぐひ真砂の色

の見えぬほどかさなり死す」は誇張して書かれた

ものだろうが、おどろおどろしい光景の中で、

場合によっては命さえ失いかねない異臭の中で、

芭蕉と曽良は思わず二の足を踏んでしまった

ともいわれている。

殺生石と九尾の狐