千住大橋記念碑と素盞雄(すさのお)神社
千住大橋、素盞雄神社を目指し、車を
初めて使用。
中央道が案内される。
<千住大橋記念碑>
徳川家康が江戸城に入り、4年目の
1594年(文禄3年)架橋奉行伊奈氏の
指揮の下、隅田川の一番目の橋として架け
られた橋だという。
勿論木製の橋である。
奥州、日光・水戸三街道の要地をしめて、
千住の宿を南北に結び、三十余藩の大名行
列が行き交う東北への唯一の大橋であった
という。
「千じゅというところにて舟にあがれば
前途3千里という」不安に縛られた芭蕉の
気持ちが率直の表出されている。
この先は知識と各所に散らばる弟子や
知人に頼る身であることもあろう。そ
れにしてもそんな気質でもあるまい。
人間臭を大いに出している感あり。
<素盞雄(すさのお)神社>
荒川区千住6-60-1にあり。
千住大橋、芭蕉持っていた杖と傘が
ミニチュアとして置いてある。
芭蕉句碑もあり。
行春や 鳥啼き 魚の目は泪
はせを翁
碑
素盞雄神社内
芭蕉の使った旅のものなど句碑
素盞雄神社
素盞雄神社
芭蕉句の旗
千住大橋、素盞雄神社を目指し、車を
初めて使用。
中央道が案内される。
<千住大橋記念碑>
徳川家康が江戸城に入り、4年目の
1594年(文禄3年)架橋奉行伊奈氏の
指揮の下、隅田川の一番目の橋として架け
られた橋だという。
勿論木製の橋である。
奥州、日光・水戸三街道の要地をしめて、
千住の宿を南北に結び、三十余藩の大名行
列が行き交う東北への唯一の大橋であった
という。
「千じゅというところにて舟にあがれば
前途3千里という」不安に縛られた芭蕉の
気持ちが率直の表出されている。
この先は知識と各所に散らばる弟子や
知人に頼る身であることもあろう。そ
れにしてもそんな気質でもあるまい。
人間臭を大いに出している感あり。
<素盞雄(すさのお)神社>
荒川区千住6-60-1にあり。
千住大橋、芭蕉持っていた杖と傘が
ミニチュアとして置いてある。
芭蕉句碑もあり。
行春や 鳥啼き 魚の目は泪
はせを翁
碑
素盞雄神社内
芭蕉の使った旅のものなど句碑
素盞雄神社
素盞雄神社
芭蕉句の旗