◎高円の 野辺の秋萩 な散そね 君が形見に 見つつ思はむ
お知らせ
前回に引き続いて、『田原の里の旅』ハイキングです。 万葉集に関連する問題についても掘り下げてみたいと思います。
日時 平成23年4月24日(日)
乗車券は「近鉄奈良駅」まで購入
集合場所 近鉄京都駅②③番ホーム付近 08:20分頃集合 08:31分発「急行奈良行」乗車
近鉄奈良駅09:16分着 ▲奈良交通バス停(日笠方面行き)乗車
コース 日笠バス停下車ー田原東陵 [第49代光仁天皇陵]ー奈良県奈良市批瀬・【太安萬侶(墓)】
「古事記」編者の墓誌ー田原西陵[志貴皇子・追尊、春日宮・田原天皇]奈良県奈良市須山町金坊。
服装 ハイキングの出来る服装。シューズ(履きなれたもの)
携行品 昼食・水筒・筆記具・カーペット・雨具等
その他 第172回 平成23年4月24日(日)
場所 当尾[岩船寺~浄瑠璃寺]。または、加茂長町~恭仁京跡。検討中。
ご友人知人の方々 お誘い合わせの上お出かけをお待ちします
天武天皇の命で『帝紀』『旧辞』を誦習した稗田阿礼。いったん見たもの・聞いたことは忘れない、天才的記憶力と理解力を発揮した舎人だったという。この作業は天武天皇の崩御により一時途切れるが、後を継いだ元明天皇が「稗田阿礼誦む所」を撰録して献上するよう太安万侶に命令し、ここに『古事記』が完成した。
『古事記』巻頭の序文は安万侶が元明天皇へ奉った「上表文」だが、駢麗体(べんれいたい・隋〜唐時代に流行した文体)の見事な文であるという。この二人の天才なくして、『古事記』のクオリティは成立しなかったかもしれない。
ところで「稗田阿礼は男か女か」という論争が江戸後期に巻き起こっている。
女性説は名前の持つ響き、稗田氏が女性を宮中へ遣わす猨女君(さるめのきみ)と同じ天鈿女命(あまのうずめのみこと)の末であるなどの伝承から、平田篤胤らが唱えたもの。
ただ、性別の記載はないものの「舎人」と書かれているから、通説通りの男性説が有力なようだが…。はたして。