長いことご無沙汰して居りましたが~体調が悪く臥せっていたと言う事ではなく・・元気にして居りました。
17日~22日まで「ハワイ旅行」に行っておりました。
23日は 「万葉サイクリング」に行っておりました。
26日は 京都の紅葉を観に、「銀閣寺」「永観堂」「南禅寺」に行ってきました。
ハワイ旅行の前後忙しく・・写真の整理がしてなく、「万葉サイクリング」から書いていきます。
23日(祭日)最近万葉同好会に入ってこられた人中心に行ってきました。
「明日香」の旅サイクリング
京都駅7:30分に集合、飛鳥駅に10時前に着き、それぞれが自分に合った自転車、電動着きの自転車等用意していただき、男性8人、女性6名が飛鳥駅を出発
最初に行ったのが、「於美阿志神社」に行き、祭神は「阿知使主」【東漢氏】
『続日本紀』宝亀3年(772)4月20日の条には、遠く応神に漢人阿知使主が来朝し、高市群の檜前村を賜わり住んだと伝えている。 境内に「宣化天皇檜隈廬入野宮址」の石柱、「檜隈寺址。十三重塔」を囲む敷地が残っている。
旅行ボケして、デジカメを忘れ、前田氏、添田氏の両名にお願いして、写真を送ってもらう。 歌は無いけど、「キトラ古墳」の前で説明する。
高松塚古墳の前で記念写真 その後高松塚壁画館に入り中の展示物を拝観
「高松塚古墳」 昭和47年(1972)3月「女人像の壁画」「天井星座」「玄武・青龍・白虎」など副葬品の盗掘址(穴) 特に赤・白・緑・黄色の縦縞模様のロングスカートや天井星座の発見に驚いた。
此処で万葉歌朗唱
11-2550 立ちて思い 居てもそ思ふ 紅の 赤裳裾引き 去にし姿を 作者不詳
「中尾山古墳」は、正八角形古墳(天皇陵墓)とされることから、「文武天皇陵」であると断じている「高橋三知雄」節
『檜隈大内陵』(天武:持統合葬陵)
19-4260 大君は 神にしませば 赤駒の 腹這ふ田居を 都と成しつ 大伴御行
「参考」 身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて 昭和天皇御製
亀石をみて、「橘寺」に入り休憩所で昼食
「橘寺」 聖徳太子誕生の地と伝えられる「橘寺」創建当時の建物は何も無いが、東門南側鐘楼脇の塔の心礎に橘の文様のある石と土台が有るのみ 二面石がある。
「二面石」 飛鳥時代の石造物の一つで、太子の左横にある。人の心の善悪二相を表したものといわれている。
① 日本書紀 天武紀9年(680)4月「橘寺の尼房失火、以て十房を焚く」
② 万葉集巻16-3822 橘の 寺の長屋に 我が率寝し 童女放髪は 髪上げつらむか
昼過ぎになると、雨が降ってきた。 皆さん用意周到で雨具を出し着る。
「川原寺」 明日香村川原:(川原寺址のみ) 弘福寺。橘寺の北側、一本の道を隔てて川原寺があった。 南大門を持つ独特の伽藍配置の寺で、橘寺とは丁字形に建てられていた。川原寺は歴史との結びつきが深く、『日本書紀』『続日本紀』に合わせて10回に及ぶ記事が見られ、天武紀14年の条には、天皇の行事も伝えている。 橘寺・川原寺ともに古い建物は残していない。
16-3849 生死の 二つの海を 厭はしみ 潮干のやまを 偲ひつるか
16-3850 世の中の 繁き仮廬に 住み住みて 至らむ国の たづき知らずも
川原寺 朱雀のモニュメント等が有った。
雨も思ったほどきつくなく、飛鳥駅へと向かう途中に、欽明陵・吉備姫王(配:茅渟王)・皇極天皇・弟光徳天皇・「重祚」~斉明天皇の墓へ行った。 墓域の柵内に、四基の猿石が見られた。
「欽明陵」 については、見瀬丸山古墳に曽我堅塩媛が合葬されていると言う有力説もある。
飛鳥は広く、一度では廻れなく、二度三度と行くことになるでしょう~が、主人は足が悪く皆さんについていけなく、自転車だと行けますが・・自転車だと、沢山の参加者で廻ることが出来なく、これからも少人数で行くことでしょう~