2日の朝は、6時半頃に目覚め、7時過ぎから朝風呂に行く
部屋以外は寒く、お風呂で温まろうと、何度も湯船につかっていると、東の空がうっすらと、色が変わってきた。
もしかして・・お日様が出てくるのかな??と、露天風呂に移動・・暫くすると、うっすらと黄色いお日様が山の上に見えてきた。(赤ではなく、黄色がかっていた。)
みんなそれぞれが、手を合わせお願い事をする。(お日様が見えて良かったわ)(^_-)-☆
部屋に帰り、皆さんお化粧して(身だしなみ)朝食場に向かう・・
朝食
朝食を済ませ、衣服を整えて、ロビーでお茶していると、屋上で団体写真を撮りましょうというので、屋上に行く前に、4階には貴賓室があり、皇太子のお若い時と、中曽根さんが、宿泊されたお部屋を覗きに・・
私達の部屋と置物が違います。 中曽根康弘さんが書かれた掛け軸。
団体写真(逆光で写りが悪い・・)
10時15分になり、旅館の車で吉野の駅まで送っていただく
橿原神宮で下車、此処まで来たのだからと、皆さんで参拝に出かけます。
橿原神宮の参道 本殿の前には今年の干支の絵馬が・・
参拝を済ませ、昼食の場所に移動・・案内人の人の話では、15分ばかりですから~と、行けど行けど、それらしいところが無い・・皆さんお疲れのようですが・・40分ぐらい歩いてやっと着きました。(皆様お疲れ様です。)
遠い処歩いてきたので、お腹も減りちょうど良かったかな?「和楽心」というお店です。
お造り定食 皆さん評判がよく新鮮なお刺身で美味しかった。
お店を出て散会になり、奈良の人はお家に、橿原神宮前から京都に変えられる人と、久米寺に行く人とに分かれる。
久米寺に行く人は12人丁度半分の人数になりましたが、駅から10分ぐらいの所でした。
大日如来 久米千人
大和三山の1つ、畝傍山の南方に位置し、橿原神宮からも近い。開基は聖徳太子の弟・来目皇子(くめのおうじ)とも久米仙人とも伝わるが、詳細は不明である。空海(弘法大師)が真言宗を開く端緒を得た寺として知られる。娘のふくらはぎに見とれて空から落ちたという久米仙人の伝説が残る。
『和州久米寺流記』には来目皇子の開基を伝える。一方、『扶桑略記』『七大寺巡礼私記』などは当寺を久米仙人と結び付けている。久米仙人の伝説(後述)がフィクションであることは言うまでもなく、創建の正確な事情は不明だが、ヤマト政権で軍事部門を担当していた部民の久米部の氏寺として創建されたとする説が有力である。境内には古い塔の礎石があり、境内から出土する瓦の様式から見ても、創建は奈良時代前期にさかのぼると思われる。空海はこの寺の塔において真言宗の根本経典の1つである『大日経』を感得(発見)したとされている。空海が撰文した「益田池碑銘并序」(ますだいけひめいならびにじょ)には、「来眼精舎」(くめしょうじゃ)として言及されており、空海とも関係があったと思われる。
なお、橿原市の隣の明日香村奥山に「奥山久米寺跡」があり、この寺についても来目皇子創建とする伝承がある。
久米仙人ゆかりの寺で、アジサイやツツジの名所としても知られる
女性のふくらはぎを見て雲から落ちたとの言い伝えがあるユーモラスな久米仙人ゆかりの久米寺。大和三山のひとつ、畝傍山(うねびやま)の東南麓に位置します。梅雨の時期のアジサイのほか、春にはツツジが境内を美しく咲きほめる。
江戸時代に京都の仁和寺から移築され、通常は非公開となっている多宝塔(重文)初層が特別に開扉される。
net引用
久米寺を後に、橿原神宮前から京都行の急行で自宅に帰ってきたのは、17時半でした。
二度目の親睦旅行皆さん楽しんで頂けましたでしょうか?
何人かの人が、楽しかったし、毎年やって欲しいと言われたのが嬉しかったです。
気のつかない世話人で、失礼も有ったかもわかりませんが、許してたもれ・・
3月27日には、今年初めてのハイキングが有ります。それまで皆さんお元気で~(^_-)-☆