日記が遅くなりましたが、先月4月20日に「仙洞御所」拝観に行ってきました。
上皇、法皇の御所。院の御所ともいう。平安初期以降、天皇は譲位すると内裏(だいり)を出て別の御所に移るのが例となった。これが仙洞御所で、家政機関である院庁(いんのちょう)が置かれ、院司(いんし)が定められた。平安中期以後は里内裏(さとだいり)を院の御所とすることも多く、とくに院政期には院の活動が活発化し、各所に仙洞ができた。中世以後、武士の勢力が増すにつれて衰亡し、近世になると幕府によって内裏(現在の京都御所)の周辺に集中させられた。現在、京都御所の南東に残る仙洞御所は、1630年(寛永7)小堀遠州(こぼりえんしゅう)を奉行として後水尾(ごみずのお)天皇のために造営された。1854年(安政1)焼失のおりに、仙洞に住むべき院が不在であったため再建されず、いまは庭園のみが残っている。 (net引用)
現在は、茶室二棟とわずかな施設と小堀遠州が御所造営後、(1634)から三年の歳月をかけて作庭した池泉回遊式の大庭園です。
東西約100メートル、南北約300メートルの築地堀で囲まれた矩形(くけい)の敷地の東寄りに北池と南池が大きく広がっている。
南池は中島と橋とで二分されているため、あたかも池が三つ連なっているかのようで、北側から、真の池、行の池、草の池と称される。
建物以外は、池と橋です。
説明はこれぐらいにして、写真で行った気分になって下さいね。
大宮御所表門と築地堀 大宮御所常御殿車寄
大宮御所常御殿南庭 右端の窓際の場所は天皇・皇后様がお休憩されるところ
潜り門を抜けると、 北池が大きく広がる。
阿古瀬淵に架かる石橋は六枚橋、切り石六枚を三枚づつ二列に並べてある。 この石は「草紙洗小町」で有名な逸話をもつ。
藤棚、まだ咲いていなかった。 藤棚の橋を渡ると船が置いてある。
雄滝
醒花亭(せいかてい)池の南橋の畔に数寄屋造りの醒花亭が建つ。
広大な洲浜(大浜ともいう)が広がる。石一つに米一升を与え集めさせた。一升石と呼ばれる。 柿本社
又新亭(ゆうしんてい)霊元上皇宝永六年(1709)には修学院離宮上の御茶屋から移した止々斎があったが、天明の火災で焼失したため、明治十七年近衛邸の又新亭を移築したもので江戸末期の茶室です。
約一時間の見学が終わり帰り路、
山吹の花 「梨木神社」
「七重八重 花は咲けども山吹の 蓑ひとつだに なきぞ悲しき 」 太田道灌
この様な歌を思い出しながら、帰途に着く
雨模様のお天気でしたが、めったに見れない処だったので、拝観出来て良かった。
売店の人が、又来てくださいねと言われました。
今度は秋にでも行こうかな~
上皇、法皇の御所。院の御所ともいう。平安初期以降、天皇は譲位すると内裏(だいり)を出て別の御所に移るのが例となった。これが仙洞御所で、家政機関である院庁(いんのちょう)が置かれ、院司(いんし)が定められた。平安中期以後は里内裏(さとだいり)を院の御所とすることも多く、とくに院政期には院の活動が活発化し、各所に仙洞ができた。中世以後、武士の勢力が増すにつれて衰亡し、近世になると幕府によって内裏(現在の京都御所)の周辺に集中させられた。現在、京都御所の南東に残る仙洞御所は、1630年(寛永7)小堀遠州(こぼりえんしゅう)を奉行として後水尾(ごみずのお)天皇のために造営された。1854年(安政1)焼失のおりに、仙洞に住むべき院が不在であったため再建されず、いまは庭園のみが残っている。 (net引用)
現在は、茶室二棟とわずかな施設と小堀遠州が御所造営後、(1634)から三年の歳月をかけて作庭した池泉回遊式の大庭園です。
東西約100メートル、南北約300メートルの築地堀で囲まれた矩形(くけい)の敷地の東寄りに北池と南池が大きく広がっている。
南池は中島と橋とで二分されているため、あたかも池が三つ連なっているかのようで、北側から、真の池、行の池、草の池と称される。
建物以外は、池と橋です。
説明はこれぐらいにして、写真で行った気分になって下さいね。
大宮御所表門と築地堀 大宮御所常御殿車寄
大宮御所常御殿南庭 右端の窓際の場所は天皇・皇后様がお休憩されるところ
潜り門を抜けると、 北池が大きく広がる。
阿古瀬淵に架かる石橋は六枚橋、切り石六枚を三枚づつ二列に並べてある。 この石は「草紙洗小町」で有名な逸話をもつ。
藤棚、まだ咲いていなかった。 藤棚の橋を渡ると船が置いてある。
雄滝
醒花亭(せいかてい)池の南橋の畔に数寄屋造りの醒花亭が建つ。
広大な洲浜(大浜ともいう)が広がる。石一つに米一升を与え集めさせた。一升石と呼ばれる。 柿本社
又新亭(ゆうしんてい)霊元上皇宝永六年(1709)には修学院離宮上の御茶屋から移した止々斎があったが、天明の火災で焼失したため、明治十七年近衛邸の又新亭を移築したもので江戸末期の茶室です。
約一時間の見学が終わり帰り路、
山吹の花 「梨木神社」
「七重八重 花は咲けども山吹の 蓑ひとつだに なきぞ悲しき 」 太田道灌
この様な歌を思い出しながら、帰途に着く
雨模様のお天気でしたが、めったに見れない処だったので、拝観出来て良かった。
売店の人が、又来てくださいねと言われました。
今度は秋にでも行こうかな~