ミーマン日記

週1回ディサービスに夫婦で行って、楽しく過ごしています。

昨日は「西大寺・秋篠寺・盾列古墳」に・・・

2008-12-01 16:13:00 | 万葉関係
11月最後の日曜日、京都万葉同好会としても、今年最後のハイキングに行ってきた。

お天気は晴れ曇りのまずまずの日でした。

京都駅では、会員さんのお友達や、久し振りの参加の人も見えて・・・今日は沢山の参加者になるかな~と、わくわくしながら~電車に乗っていました。

合流場所の西大寺の駅では、何と51人の参加者です。

西大寺では、お茶盛の用意が出来るまで本堂でお話が有りました。

西大寺の創建は奈良時代の天平宝字八年(764)に称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のために、七尺の金銅四天王像造立を発掘されたことに始まる。
造営は翌天平神護元年(765)からほぼ宝亀末年(780)頃まで続けられたが、当時の境域は東西十一町、南北七町、面積三十一町(約48ヘクタール)に及ぶ広大なもので、ここに薬師、弥勒の両金堂をはじめ東西両塔、四天堂院、十一面堂院など、実に百十数字の堂舎が甍を並べていた。
文字通り東の東大寺に対する西の大寺にふさわしい官大寺であった。
その後平安時代に再三の災害に遭い、さしもの大伽藍も昔日の面影を無くしていた。
しかし鎌倉時代に稀代の名僧興正菩薩叡尊(1201~1290)がこの寺に入られ復興に当たられた。
現在は真言律宗総本山として、寺宝や宗教的行事によくその寺格と由緒をしのぶことができる。



本堂



庭には観音様が・・・



お茶席の部屋で説明を・・・正面には床の間が有り「叡尊」さんの掛け軸と、万年雪が・・・




お茶をたてて頂いてます。



大茶盛 (1)



大茶盛 (2)



大茶盛 (3) まともに写すとお顔が見えませんね~
和気藹々のうちに大茶盛もすみました。

次に向かったのは、「秋篠寺」

秋篠寺は奈良時代の末、七百八十年頃光仁天皇の勅使によって建立され、薬師如来を本尊とする寺であるが、伎芸天像もこの寺の創建の頃、他の多くの仏像とともに造顕されたものと思われる。
しかしその後、平安時代の末、1135年兵火のために金堂などが焼失した際、この伎芸天像も御首部を残し御胴体が大きく破損し、鎌倉時代に於いて再び御胴体が造られ現在のお姿を見るに到った。
したがって現在のお像は御首部だけが奈良時代の作(寄木造)で有るが、ともにきわめて写実的な作風をもって全体が統一され、かすかに憂いをおびた表情の優美さとともに肢体の豊満さと、まれに見る微妙な動きはこの天女像の大きな特色である。



伎芸天像 秋篠宮様がお妃に向かって、「横顔が誰かに似ているね~」と言われた。






秋篠寺 (本郷さん提供)



昼食後団体写真を・・・




秋篠寺を出て、盾列古墳に向かう

盾列古墳群



神功皇后陵

盾列古墳群は、①神功皇后陵 ②成務天皇陵 ③日葉酢姫 ④孝謙・称徳陵



成務天皇陵



最後に「新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事」
                         大伴宿禰家持
の歌を歌い今年の終わりとしました。

又来春3月まで御機嫌よう~